日本流Followership-何も決めない、変えない日本の上司

① 昨今の安倍政権下における、官僚の文書改ざん問題や、平気で国会での答弁をつじつま合わせのために変えてしまう大臣や、その原稿を書いているいわゆるエリート官僚の行動原理を見ていると、私が長年いろんな形で接してきた日本企業におけるいわゆる「上司」」と呼ばれる、それなりに出世した上、中間管理職、つまりは組織の中で「上司」と呼ばれる人たちの仕事の仕方や行動に相通じるものを感じます。
このような「上司」の行動パターンは、時として、一部上場企業の社長や役員のレベルの人にも見られるので、ある意味、日本の企業文化、日本の教育というものがその背景にあるのではと思えるほど、根強く、いや、根深く、日本におけるビジネスマンの行動様式として定着しているといっても過言ではないと思います。
手前味噌ではありますが、私が新入社員時代に先輩から厳しく教わったことは「仕事というのは自分で考え、自分で決めて、その案を上司やその上の上司の権限を使って、会社としての案として進めていくこと」というのが原理原則であると、そう教わって、今日まで、仕事に取り組んできました。もちろん、いろんな組織の一員として、日本企業、外資系企業で仕事をしてきた中で、やはり時として、この原理原則から外れることを余儀なくされる局面もありました、ただ、だからといって自分が若い時に教えてもらった、「仕事とは」という原則を変えようと思ったこともなく、また、今日、後輩を指導する立場になっても、この原則は自分にとってビジネスマンとしての一番太い軸となっていることに変わりはありません、
さて、では、どうして日本の上司には、何も決めない、何も変えないという行動原理が備わってしまったのでしょうか・

1970年台までの戦後復興から、高度成長期において、日本のビジネスマンの基本的な価値観、行動権利は形成されたといわれています、これは、一昔前になりますが、元通産官僚だった作家の堺屋太一さんがさかんにいわれていた、官民一体の成功モデル「規格大量生産」方式にのっとった、社会通念としてのビジネスマンとしての「成功」、「幸せ」という価値観の形成が右肩上がりの経済成長と企業の終身雇用、年功序列制度の中で、出来上がり、それを基にした受験戦争という形での、教育システムまでも巻き込んだ壮大な平均的日本人の価値観形成によるものではないかと考えられます。
もちろん、高度成長から、バブルの崩壊、その後のデフレ経済、また、ITやStart upというようなテクノロジーの進化や、グローバル化、ビジネススクール、男女雇用均等などなど、また、最近ではGAFAやAI,DXといった、更なるビジネスを取り巻く大きな環境の変化の中で、この日本のビジネスマンの価値感が多少は変化したように思いますが、企業組織の中で、そり成功したといわれる、中高年の「上司」には、こういった次弾の変遷にまったく動じることなく、普遍的にこの価値観をいまも守り続けている人が多いことに、驚きを隠せません。

次回以降、具体的な例を挙げながら、この日本の「上司」の生態をより明らかにし、そんな上司の基で、必要以上に悩まず、自分の成長と、企業の成長の為にビジネスマンとしての皆さんがどう頑張っていけばいいかという処方箋へとお話を展開していきたいと思います。



年に一回ですが、こちらのテーマで大学3、4年生を対象に5年ほど前からお話しさせてもらってます。今年は1月にDXやAIのことも含め、これからの時代の仕事と言う側面でのキャリアに対する考え方、取り組み方について90分お話ししました。


https://syllabus.hosei.ac.jp/web/preview.php?nendo=2019&t_mode=sp&template=t1&no_id=1914779&gakubu_id=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%AD%A6%E9%83%A8&gakubueng=AM

ニュースクール大学ジャズ&コンテンポラリーミュージック/New School University Jazz & Contemporary Music Program


ニュースクール大学ジャズ&コンテンポラリーミュージック/New School University Jazz & Contemporary Music Program


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超一流ジャズミュージシャンによる、質の高い授業を誇るジャズ研究校

毎夜最高レベルのミュージシャンによる、エキサイティングなライブが繰り広げられる街に身をおき、刺激を受けつつ自分の音楽を高めることができる学校です!
■学校一般情報■
ジャズ音楽の中心地、ニューヨークはマンハッタンに位置するニュースクール大学ジャズ&コンテンポラリー・ミュージック科は、数ある学校の中でも質の高いジャズ教育を誇る大学です。「プロの一流ジャズミュージシャンによる新しい音楽教育の場を」との考えで、1986年に設立されました。同科では、音楽史から音楽理論、ブルース、ゴスペル、ジャズ即興、エンジニアリング、音楽マネジメントまで、幅広いクラスを用意。講師陣には、ジャズピアニストのジュニア・マンス、モダンジャズ・ベーシストのレジー・ワークマン、サックス奏者・作曲家のジェーン・アイラ・ブルーム、ジャズドラマーのチコ・ハミルトンなど、錚々たるメンバーが揃っています。同科の学生や卒業生には優秀な学生が多いことでも有名です。また、学生はマネス音楽院やパーソンズ・スクール・オブ・デザイン、ユージン・ラングカレッジで、授業を受けることも可能です。このほかにも、リベラルアーツのBA(学士)とジャズのBFAの両方からなる、BA/BFAプログラム(2つの学位取得)に登録することも出来ます。同校は充実した最新鋭の設備を誇り、全ての教室に基本楽器やPAシステム、ステレオシステムが備えられています。プロ級の照明システムとレコーディングシステムを完備した演奏・レコーディング用の120席の小ホール、レコーディングとエンジニアリングが可能なセカンドスタジオ、リスニングライブラリーなど、音楽を学ぶ最高の環境が揃っています。グリニッジ・ビレッジにある同科の周辺は、まさにジャズクラブのホーム。毎夜、あちこちで一流ミュージシャンのライブが格安の料金で行われています。活気に満ちた音楽に包まれた街で、様々な刺激を受けながら、自分の音楽を追求することが出来るでしょう。


https://www.andvision.net/genre/gospel/621-new-school-university-jazz-a-contemporary-music-program.html


これまでまったく基礎的なジャズドラムのレッスンを受けたわけでもなく、教則本にしたがってドラムという楽器の基礎を学んだこともなく、ただ我流でCDをひたすら繰り返し聞くことで、演奏のコピーをしてきた私にとって、当然といえば当然なのですが、まず、プレースメントテストの時もそうだったのですが、一回目のドラムの個人レッスンの時や最初のバンドアンサンブルの授業の時に先生(プロのミュージシャン)から、「君はまったくドラムの演奏の基礎ができていないので、ビギナーとして最初からやり直したほうがいい」と言われ、最初にやらされたのは、ほんとうに基本的なドラムのたたくときの姿勢、ドラムスティックの持ち方、そして、ど初心者向けの教則本にしたがっての反復練習でした。当然、山のように宿題もでて、「次回までに、教則本のこのページを違うテンポでできるように」といった宿題が毎週のように出て、それと格闘する毎日となったわけです、
大好きなニューヨークの街でジャズを専門に学ぶという、表面的なカッコよさに夢を見ていた私の音大生ライフのスタートは、現実をつきつけられ、まったくカッコよくもなく、まったく楽しくもない、基礎練習に明け暮れるという毎日となったわけです。長い間、我流で楽器を演奏してきたものにとって、まったくの基礎からやり直すというのは、それがピアノであれ、管楽器であれ、同じだと思いますが、かなりの苦痛を伴うものです。ただ、こういう経緯を経て基礎を繰り返し練習することの大切さを身をもって学んだことは、あれから15年以上たった今も、しっかりと私の週末のドラムの個人練習に生きていて、一人スタジオで練習するときに、基本練習にその時間の大半を使っています。
今でこそ言えるのですが、やはりバンド演奏を楽しむには、そしてより高いレベルのアンサンブルの演奏を目指すには、バンドメンバー各自の楽器演奏の技術を高めることはMUSTなのです。
言い換えると楽器を演奏することがそれなりにできないと、バンドとしていい音がでないということになります。

ニュースクール大学では、「ジャズ&コンテンポラリーミュージックプログラム」という学部の「演奏」
の専攻という位置づけで、49歳の一年生として入学したわけですが、入学すると「演奏」専攻ですので、まず、プレースメントテストなるものを受験させられます。
これは、他の新入生や在校生と一緒に2曲、演奏し、それを教授陣が審査して、現状の演奏技術レベルをランク分けするというものです。学校や授業の仕組みのよくわからないまま、このプレースメントテストの結果を基に、学年ごとにいるアドヴァイザーと面談し、まずは最初の学期の授業を選んでいくわけです。我流でしかドラムを演奏してなかった私は、当然のごとく「ビギナー」レベルとなり、必修科目のジャズリ理論、ピアノ、聴音、リズムなどのクラスは一番下のクラスからのスタートとなりました、
また、これらの授業の他に、他の同レベルの生徒たちと組まされて、バンドの授業、ドラマーばかりを集めたドラムの授業、また、個人レッスンもあり、それぞれ、担当の先生(プロのミュージシャン)が決められていきました。もっと演奏する授業もとりたかった私でしたが、例えばコルトレーンアンサンブル、チックコリアアンサンブルなどというような一人のミュージシャンを徹底研究するような演奏クラスは新入生だけでなく、上級生も交えてのオーディションで選ばれた生徒だけが入れる授業だったので、まったく私には敷居が高すぎて、受けることもできず、楽器を担当する生徒は誰もやりたがらないボーカルの生徒のバック担当する、ボーカルリズムセクションの授業でボーカリストのバック演奏をする授業のみとらせてもらえました。

こんな風にスタートした私のニューヨーク音大生ライブでしたが、当初予想していたより、はるかにつらくしんどい毎日の連続で、授業のない毎週末も学校に通い、宿題と格闘する毎日となったのです。

ビジネススクールでは絶対に教えてくれない仕事術 三十代のビジネスパーソンに伝えたい17の「思い」 https://www.amazon.co.jp/dp/4286115623/ref=cm_sw_r_cp_api_i_qubEEb48C6WCK


ビジネスパーソンの標準コースと、それに見合う標準型も失われた今こそ、百戦錬磨の藤岡型に学べ。三菱商事ニューヨーク駐在員という華やかで将来性のある立場を捨て、あえてリスクの高い外資系に飛び込んだ著者から後輩たちに贈る熱きメッセージ。



私は現在67歳、現役で外資系の会社で役員を務めています。高校生の頃までギターを弾いてたのですが、いっこうに上達しないので、仕方なくドラムに転向していました。そんな私を友人が誘ってくれて、ジャズのバンド活動を始め、いわゆるジャズドラマーとしての演奏を見よう見まねでスタートしました。

大学の四年間はサックスカルテットのアマチュアバンドとして、関西で自主コンサート、大学の文化祭、ライブハウスなどで演奏活動を楽しみました。大学卒業後は、上京してサラリーマンとして仕事漬けの生活を開始、その後海外赴任を2度経験し、40歳ぐらいまでは文字通り猛烈社員として、音楽ともほぼ無縁の生活を送っていました。

 

その後、日本の会社から外資系の会社への転職を機に、自分の人生をどうデザインしていくか?という考え方を強くし、学生時代に活動していたジャズ演奏を老後の楽しみのために再開したいという思いで、学生時代のバンド仲間に少しずつ声をかけ、演奏活動を再開しました。

仲間は関西に在住、私は東京という遠距離バンド活動の上、練習できるスタジオも、ジャズとなるとピアノがおいてあるスタジオに限られ、メンバーのスケジュール調整や、練習スタジオの確保などに苦労しながら、年に一、二度の自主ライブを開くようになりました。

 

私からの呼びかけに答えてくれた昔のバンド仲間も触発され、それぞれプロのジャズミュージシャンの個人レッスンをとるなどし、楽器の上達に努力してくれ、私も我流ながら、時々東京のスタジオを借りて練習するようになりました。

 

まあ、練習するといっても、ただドラムをたたいているだけのような練習で、教則本に従ったり、具体的な目標をもって練習していたわけではなく、ほとんど意味のない練習をしていただけという状態でしたけどね。。でもそれは後から分かったことで、その時は一生懸命だったわけです。

 

そんな風に、仕事といわゆる「発表会」的な自主ライブだけの活動とを両立させるだけで、まあ、単なる趣味のおじさんバンドというレベルで活動を続けていたのですが、ひょんなことから、49歳の時に一念発起で、ニューヨークのマンハッタンにあるニュースクール大学のジャズ学科に入学することになったのです。

ちょうどニューヨークで9.11のテロが起こった直後でした。当時役員として勤めていた外資系の会社で世界的な業績悪化の為に、大幅な人員削減を実施することとなり、その陣頭指揮をとっていた私は、精神的にかなり疲れており、「このままこの会社でストレスの多い役目の仕事を続けていてもなぁ。。」という思いから、その仕事がひと段落した時に、自分自身も整理してもらうという提案を会社側に出し、認めてもらうこととなったのです。その時点では、過去に赴任経験のある米国で新しい仕事を探そうというアイディアだったのですが、「どうせ渡米するなら、今度は仕事じゃなくて学校に戻って好きなことを勉強したらどうですか」という友人の言葉に背中を押され、「そうか、その手があった、学校に戻るというのは面白い、どうせ勉強するなら、自分の好きなことを勉強しよう、そうだ、ジャズだ!」と思い立ち、急いで20021月からでも入学できる学校を探したのでした。

 

そして運よく、前述したニュースクール大学のジャズ科が入学オーディションをするということを見つけ、すぐに願書(エッセイ)と自分の演奏のデモテープを送ったのです。ニュースクール大学は4年製の普通の大学なので、英語のTOEFLの試験も入学条件の一つとなっていましたので、こちらも猛勉強して、受験し、万事整えて入学許可を待っていたところ、11月になって無事合格の通知を受け取るに至ったわけです。

こうして50歳を目前にして、以前赴任していたニューヨークに、今度は、音大生として戻ることとなったわけです。

 

このニューヨークでのジャズ修行は、結局2年半で日本に戻ることになったため、大学を卒業するまではいかなかったのですが、一口では言えない、人生で初めて味わったと言っても過言ではないほど、挫折の連続で、本当に貴重な経験となりました。

それについては、次回のブログをお楽しみに。