そうしているうちに次々と、私の友人や知人などの姿が現われてきました。男性も女性もいます。総勢10人くらいでしょうか。なぜ、今ヘミシンク中に、彼らがでてくるんだろう・・・と思っていると、砂浜を歩いている私に、男優似の男性は、非言語交信のようなかたちで話しかけてきました。相変わらず馬と一緒に、私の前を歩いている状態は続いていて、特に私の方を振り返ることもありませんでした。
「彼らに共通しているものを考えてみるんだ」と、彼は言います。そう言われ、友人知人たちの共通点を考えると、「依存していない」という情報がやってきました。確かに、彼らは「依存」という状態からは遠い人たちでした。自分の脚でちゃんと立って、ひとりの人間として自立しています。
私は、依存という視点で、自分の過去を振り返っています。恥ずかしながら「依存」だらけの人生です。この作業をすることによって、他に依存しすぎている自分を認識し、反省させられました。特に、私と両親の間には、強く「依存」関係というものがありました。私が両親に依存するから、両親も私に依存する・・・長く続いている無限ループのような依存関係は、一方通行では決してないものだとわかりました。
常に依存することに慣れてしまうと、自分の脚で立つ力が失われてしまいます。何かあったとき、依存が強いと、自分の責任ではなく、自分以外のものの責任に責任転嫁するくせがついてしまいます。これで逃げ道を作れるわけです。でも、そういうことばかりやっていると、自分で自分の責任がとれなくなります。依存関係が崩れてしまった時、あてにしていた、よりどころを失うことになります。自分の力で立って生きることをしてこなかったから、そこからは、大変な思いをすることになるでしょう。色々思い出し、そんなことを考えさせられました。
ここで、丸くて中が空洞の、紙が貼られた張りぼてのようなものが現われました。私はその丸い張りぼてを、とってやろうと、手を伸ばしています。しかし、掴もうとすればするほど、その張りぼては、どんどん遠くに離れていきます。まるで、掴もうとする想いの強さに反比例するように、自分の手から遠ざかっていきます。
ここで、「ないものねだり」という情報がやってきました。自分が求めているもの、必要としているものは、自分の外側にあると信じている限り、あの張りぼてを、追いかけることになる・・・しかし、自分の求めているもの、必要としているものは、自分の外側にはないのだと、あの張りぼては、象徴しているようです。
ここで、私の体の映像が現われました。私の胸のあたりに、先ほど掴もうと追いかけていた、張りぼてと同じような丸いものが存在しているのが見えています。ここで情報がきます。外にあるはずだと思い込んでいる、自分の求めているもの、必要とするものは、外側にではなく、自分の中に、すでに内在しているのだと・・・依存が強いと、自分の中にすでにあるものに気がつかず、外ばかりに求めるようになってしまう。しかし外に求めても、それは中身がからっぽな張りぼてでしかない。結果として、真に自分にとって必要なことは、何も満たすことができない。
こんな事を伝えられた感じでした。このところのヘミシンクは、私の人生の総決算のような展開になっています。今、自分に起こっている問題は、やはり誰の責任でもないのかもしれませんね。そんなことを考えさせられるヘミシンクでした。益々反省モードです。日常生活、社会生活を送っていると、いきなり今までの生き方を180度変えるというのは、難しいことですが、ヘミシンク中に考えさせられたことは、心にとめて生きたいなと思いますね。
では、また次回!