うつ最悪から脱却へ | koutaroのブログ

koutaroのブログ

ブログの説明を入力します。

 

無力感しかありません

先々月、何年かぶりにうつがひどくなりました。

無気力、無関心、何にもする気力がなく虚無感しかありません。

そして、やたらと怒りがこみ上げてきます。

思い描いていた退職後の明るい世界とは似ても似つかぬ全く異次元の暗黒世界に叩き落され、もがき苦しんでいる自分がいます。

うつが酷いときは何も感じません。

嬉しくも悲しくも楽しくも悔しくもなんとも思わないのです。

だから例えば、ガザでイスラエル軍によって殺された子どもを抱きかかえた母親が泣きわめいているのをネット配信で見ていても、なんとも思いません。

「心が死んでいる」からです。

これは非常に怖いことです。

生体的には生きていても、感情がない、AIの抜けたアンドロイドみたいに。

 

先日久しぶりに是枝監督の映画「空気人形」を観ました。

私がぺ・ドゥナの大ファンになった記念すべき作品です。

これを観ながら虚無感を満喫したので、何となく元気が出たかな。

マイナス思考に陥ったときは、じたばたせず、とことん奈落の底まで落ち切ったほうが気持ちが楽になるみたい。

 

 過去を引きずるよりも将来を考えよう

 

その後、いろいろ考えていましたが、自分がうつになった原因のひとつは「時代の変化」によるものだともわかってきました。

詳しい話はまた別の機会で話したいと思いますが、いずれにせよ「うつになった原因がわかったところで、いまさらどうしようもない」というのが現実なのです。

だからこれからは過去を切り捨て、未来に向けて生きてゆこうと考えるようになりました。

でもね、なにをしたらいいのか、それがわかんないんですよね。

で、また悩みました。

結局のところ、自分が子どもの頃に戻ってみて、何が好きだったのか、何になりたかったのかを思い出すようにするといいのかな、とも思うんです。

自分の場合は絵を描くことが好きだったからまた描こうかとも思いましたが、ちょっとハードルが高くてですね、写真にしました。

退職の1年前から一眼レフカメラを買って独学で撮り続け、毎年2度ほどはフォトコンテストで入賞してますから、自分では才能があると思っているんですよね。

ただ、普通の風景写真とか花の写真とか、もう飽きてしまってここ半年ほどカメラを触っていない状態だったので、文化センターなどで講習を受けてもっとレブルアップしたいな、と考えています。

写真を芸術まで高めたい。

それが今の目標です。

では芸術的な作品を撮れるようになったらどうするのか。

そんなこと、今から考えたって仕方のないことですよね。

まずは目の前の身近な目標があればいいのでしょう。

 

 生きる意味って何?

 

 

でも目標が立てられない人は悩みますよね。

なにをしたらいいのかわからない。

自分はなにが好きなのか、なにをしたいのかがわからない。

そういう人は、何もしなくていいのだと思います。

生きる意味だとか人生の目標だとか、そんなの考える意味ってありますか?

それこそ考えるだけ無意味だと思うんです。

目標のない人生があったっていいじゃないですか。

 

人生に何某かの「価値」を求めるから目標が必要だと思うのでしょう。

でもその「価値」って何ですか?

価値の有無を誰が判定するんですか?

自分以外の他者が判定するのなら、それはもはや「他人にとっての価値」でしかないですよね。

人生に必要な価値とは「自分が判定する価値」のことです。

つまり分かり易く言えば「自己満足」のことです。

人は皆、自己満足を充足させるためにだけ生きているのですよ。

 

では自己満足できずにいる人はそもそも生きる意味がないのでしょうか?

そうとは限らないと思います。

人はお互いに影響しあって存在するものですから。

あのとき、あそこで話したこと、見たこと、聞いたこと、触ったこと、五感で感じ取ったすべてのことが、他者には確実に伝わっているからです。

 

私が現役で働いていたころ、後輩から言われた言葉を思い出します。

「先輩の言葉って、口数は少ないけどグサッって胸に突き刺さります。」

私はこう返事したと覚えています。

「それはさ、なにも特別なことを話したからじゃなくて、だれもが心の底で思っていながら口には出さないことを、周りに遠慮せずにしゃあしゃあと喋っているだけなんだよ。」

 

生きる意味も人生の目標もすべてを失っていたころ、なげやりになった自分は人事だとか昇進だとかに縛られず、言うべきことは言いたい放題言っていた。

それが職場の雰囲気を変え、風通しが良くなっていったのも事実。

自分の人生に何の価値も求めず、ただぼーっと生きていても必要なことは伝わることもあるし、他人の役に立つこともある。

自死するよりまだマシでしょう。

だから目標のない人生があってもいい、と思うのです。

 

なんだか取り留めのない話になりましたが、気が向いたらまた投稿します。

なにせ「うつ病患者」なんで、以下3つの教訓は死んでも守りますから。

 

できることをできるところまで。

絶対に無理はしない。

やりたくないことは一切やらない。

 

これだけは絶対に守っていきますんで悪しからず。