「燕は戻ってこない」タイトルの意味は?
生殖医療をテーマとした桐野夏生原作の小説をNHKがドラマ化したことでも話題になりました。
毎回TVを見ている人、原作を読んだことのある人にはストーリーはわかっていると思います。
でもなぜ燕?
戻ってこないってどうゆうこと?
謎ですよね。
原作者からは説明がないので、読者がいろいろ考えてみて、ということのようです。
燕とは誰を指しているのか?
私はずっと主人公のリキのことだと思っていました。
地元北海道の北見を出て東京へ。
東京で出産してまたどこかへ。
北海道にも東京にも二度と戻っては来ない、ということかと。
燕は夏の渡り鳥で人家の軒先などに巣をつくり、翌年また同じ場所に戻ってきて営巣しますよね。
昨年営巣した場所はGPS並みに覚えていて確実にピンポイントで場所がわかるらしいです。
リキの営巣(出産)場所が東京なので、代理出産した娘を連れてもう東京へは戻ってこない、という見方もできると思うのですが、リキさんて燕のように速く飛ぶっていうイメージじゃないんですよね。
同じ渡り鳥でも鴨のように群れをつくって飛ぶ、というイメージじゃないから燕にしたのかもしれませんが。
それから燕は気圧の変化に敏感で、低気圧(雨)が近づくと低く飛んだりします。
リキも代理出産を経験して人のエゴに翻弄され、愛情とか嫉妬とか人間の感情の変化に敏感になってきた、ということを燕として表現しているのかもしれません。
もう一つの燕は、リキが出産した双子のうちの娘。
リキが連れ出して草桶家へはもう戻ってこない、という意味。
バレエという呪縛から解き放たれ、自由を手に入れた子を燕と換言しているのでは?
だとすると、燕のように速く飛ぶっていうのも分かる気がしませんか。
いろいろ考えれば考えるほどいろんな意味に解釈できそうです。
「命は誰のものか」
といったサブタイトルがあったりしますが答えはすでに出ています。
草桶基が生徒に言っていました。
「君たちは「遺伝子の奴隷」になってはいけない。」
基は自分のほうが奴隷であったこと、「アダルトチルドレン」であったことに気付きます。
命は誰のものでもない。
その「人」のものであると。
この小説が面白いのは、ありえそうでありえない人たちが続々登場すること。
代理出産を希望するバレエダンサーなんてほぼいないだろうし、春画を描く女性とか聞いたことないし、部下をホテルに連れ込む上司なんて最悪のセクハラ野郎も普通いない。
このドラマを見ていて、私がずっと頭の隅に残っているせりふがあります。
それは北海道の地元北見で叔母の桂子がリキに言っていたせりふ。
「リキ、幸せになる方法、自由になる方法教えてあげようか。それは結婚することだよ。私みたいになっちゃいけないよ。」
結婚して子どもを産み、家庭を持つことがなによりも大事だと説くこのせりふ、このドラマ全体を通して究極の真理を突き付けている気がします。
あなたはどう思いましたか?