憂鬱な新学期 | koutaroのブログ

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新学期 無理しないで

今日の朝刊の一面見出し、である。

 

夏休み明けがつらい君へ_

・聞いてくれる人きっといる

・居場所を見つければいい

・行かなくても時間止まらない

相談窓口・・・文科省、チャイルドライン、法務省、、、

 

毎年8月が終わるこのころになってくると、新聞やTVで報道される「9月1日問題

こういった記事を読むたび、ずいぶん時代が変わったものだと思う。

 

私が小学生のころには考えられなかったことだ。

学校は行くのが当たり前。

イヤだと言っても親には強制連行させられる。

当然、不登校などという児童、生徒はいなかった。

 

私も新学期はイヤだった。

同級生にいじめられていたから。

 

それでも、親友と呼べる友達がいたから学校には行けた。

彼がいなかったら、たぶん私は今こうしてブログなど書いてはいなかっただろう。

いつも言っていることだけど、やっぱり人は一人じゃ生きてゆけない。

 

「逃げ道」を作っておくことは非常に大切なことだ。

それは大人になっても変わりがない。

 

「つらい」と思ったら逃げればいい。ショボーン

何もとことんまで戦おうなどと考える必要はない。

それができないのは戦争の時だけ。

 

今、世界で、一番逃げ出したいのはプーチンだろう。

だが彼が始めた戦争だから逃げるに逃げられない。

逃げ道がないから、いつまで経っても戦争は終わりが見えない。

 

昔に比べれば「子供の人権」がとても尊重される時代になった、と思う。

「当たり前のこと」が正々堂々と主張できる時代になった、ということだろう。

良い傾向であるし、今の子は恵まれているとも思う。

 

教師次第で子供は変わる

私は教師という職業の人種が大嫌いだ。

その理由は小学校高学年の時期に遡る。

 

小学6年生のとき、クラスでは皆が「あだ名」で呼び合っていた。

普段は何の意図もないニックネームなのであるが、ある時、誰かが私を侮辱するあだ名で呼んだのを契機に、親しい友人を除く皆がその名で私を呼び始めた。

 

「やめろ」と言っていると、あろうことか担任の教師までその名で私を呼び始めた

自分も子供たちの輪に入りたかったのだろうか。

担任までが加害者に加わるなんて、今では信じられないことだろうが、コイツは堂々とそれをやってのけやがった。

人権蹂躙も甚だしい

 

ショックだった。

 

しばらくして自然とその呼び名は聞かれなくなったけれども、同級生、担任と私の間には深い溝ができた。

私は彼らとは口をきかなくなったし、彼らも私を遠ざけていた。

なにか連絡ごとがあるときは友人を介して連絡していた。

 

そういった「気まずさ」は一度出来上がってしまったらもう一生解れることはない。

 

相手が謝ってきたら許すこともあっただろう。

 

でも、当時は担任自らが生徒を貶める行為に及んでいたから他の生徒たちも悪いことではないと思い込んでしまっていた。

当時のこの担任の名前は「山森〇紘」という。

50年経っても忘れない、一生忘れられない名前だ。

誰でもそうであるように、いじめを受けた人はいじめをした者を一生忘れはしない。

 

この事があって以来、私は「教師」という職業者を軽蔑するようになったえー

だから私は今でも学校の「先生」のことを「教師」と呼称し、決して「先生」とは呼んでいない。

「先生」と呼んでいいのは尊敬できる人、人格者のことである。

医師であっても同じこと。

尊敬できる医師でなければ「先生」とは呼んでいない。

 

以前にも書いたが、人は「出会い」によって大きく人生が変わる。

私も素晴らしい「先生」に出会っていたなら教師という職業を選んだかもしれない。

しかし私の場合はそうではなかったから、最初から教員は選考外だ。

 

子供は親や先生などの年長者の立ち居振る舞いを見て成長してゆくものだ。

学校の教師は1年のほとんどを生徒といっしょに居るわけで、子供へ与える影響というものはとてつもなく、非常に大きいと思う。

言い方を変えれば「生徒の人生を決定づけるのが教師」ということでもある。

極めて責任の重い仕事だと思っている。

それを小学生のころの経験から理解していたから、教員は志望しなかった。

つまり、重い責任を背負うことになる職業からは逃げていたのである。

今の教員にその責任感があるのかどうかは疑問だが。

 

「逃げること」は時として人生にはとても大事なのだ。

自分を守るために。

そして、自分と関わる人たちを守るために。

 

長い人生を生き抜くには、絶えず自分の「逃げ道」を作っておくこと

これが大切だと思う。