シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その493〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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今日は火曜日、若干ランダムにお話をしようと思います。
といっても、今日は弥生時代の、日本語の文法の話なのです。

昔、諸星大二郎という人の漫画で、異世界に行った男がムラの住民と意思の疎通ができずに往生していましたが、人々と馴染むにつれ、顔のよこに図形が出るようになり、徐々に疎通ができるようになったという、「テレパスでも、辞書を共有できなければ意思の疎通はできない」という例なのです。
スタートレックボイジャーでは、流動性空間の住人、「生命体8472」とは意思の疎通ができなかったのですが、戦略理論により相互理解にいたり、その場を逃れることができた、という例もありました。
これらから類推するに、我等が地球に来訪する銀河同盟の管理者達は地球型知識ベース(つまり、アカシア)を識っている、ということになります。
しかしながら、地球人同士がいがみあい、互いに排除しようとする姿勢があるため、カミングアウトすることができない、とも言われております。
アカデミックな思想でさえ、「学際(がくさい)」が成るにはさらに数世紀は必要だろうと目されているのでは、よっぽどショッキングな(たとえば、大絶滅)イベントによらなければ人類が宇宙に出て行くチャンスは無いだろうとも言われています。
せめて、日本語だけでも、この垣根を超えることができればよいのですが。
そんなわけで、今日は日本語アナリズロジークの可能性について語ります。
(孤高主義による、現行の文法では、どのように肉付けしても、国際化には至りません)

では、道は無いのか、と云うと、そうでも無いのです。
ずっと前、「〜その25〜」でお話した、フランス語文法の話を膨らませると、「日本語アナリズロジーク」になるということなのです。

これまで、日本語を解説するのに、口語文法と文語文法という形で教えていたために、中学生が、いざ外国語を習うときに、うまく馴染めない生徒が多発したのは、複数の種類の言語を教えるのには複数の解析メソッドと複数の辞書を必要としていたのです。
第二次世界大戦以降も、複数の「概念」による理解を伴わなければ外国の事象を理解することができなかったのです。
さらに敗戦による卑屈な英語教育を施された結果、「他人と解り合うことは難しい」と考えるようになり、戦前回帰を望む「右翼」という構造さえ生ずるようになってすまったのです。

今、思考の原点に立ち戻る必要が出ているのですが、残念なことに、その日本社会は今にも崩壊しそうになっているのです。
まあ、何も無いことを期待して、学問の世界に向かうことにしましょう。

■日本語アナリズロジーク

平安文法はそのすべてを、言語パターンに求めるようになっており、古典文学に記述されている事象はパターンとして捉えられ、出てくる品詞の羅列によって決定されるわけですから、あいまいな表現や未知の表現はすべて読者の感性が決めているということになり、定説と異なる現代訳は、認めることが憚られるのです。
つまり、慣習的に「詠嘆」であったり「婉曲」であったりするのは読者にまかせられているということになり、「日本語というものは、曖昧な言語である」と云う判断がされて来たのです。
そのため、学校教育で古典文学を教えるときに、「文科省は、こう教える」となってしまい、広く社会で通用している表現が「嘘(うそ)」であっても批判できないという事態が生じ、国際的な解釈に不都合が生じているのです。
かつて、フランスのアカデミーが認めていたフランス語文法にはアナリズロジークは含まれていませんでした。
それは読者の一方的な判断にたよるのは不都合だとおもわれたからですがさすがに50年もたつと、アナリズロジークは普通に議論されるようになり、上級文法に組み込まれることになります。
それは、これまでのアナリズグラマチカルがパターン抽出であったのに対し、アナリズロジークは「パターンの海からベクトルを抽出する作業である」と考えられることだったのです。

具体的な方法論は未だ完成されてはいないのですが、読者の「官能検査」によって抽出されるベクトルデータを事典(ことてん)に積み上げることを続けることによって、フランスのアカデミーが半世紀かけて得ることができたことを真似るのが良いと考えました。
私が最初に手がけたのは、用言の語尾を品詞の制限に依らず、「分詞素」として抽出することでした。
これはまったく簡単で、形容動詞などというものは合成された結果であるということもたやすく理解できたのです。
この援用は非常に効果的で、日本語で、用言の語尾に着目することが可能になったのです。
ただし、名詞等の体言については、変化する語尾をもたないので、格の決定は格助詞に頼ることになります。

そこで、次に展開したのは、助詞を伴った品詞に、それぞれの格(かく)を明らかにして、その結果を格助詞(かくじょし)として分類し、ベクトルデータとして記録することでした。



ここで、私が類推に用いたのは、ロシヤ語では、動詞、名詞を問わず格変化を、持っていたので、それぞれの格をデータとして用いることができるので、日本語にも格助詞の考えを拡張することでした。

私の研究は分類と抽出を目的としたものではなく、簡単なデータベースソリューションとして自動翻訳をすることを目的としていたため、旧来の品詞分解の範囲にとどまらずに、汎く語句からベクトルデータを抽出することをその基本的技法として用いたのです。
当初は用言に付随する格のみ考えていましたが、格助詞の性質からこれまで理解されていなかった、体言に付随する格情報を引き出すことができることに気づき、それぞれ生格(せいかく)、主格(しゅかく)を与えることに成功したのです。

フランス語のアナリズロジークでは、アナリズグラマチカル(品詞分類)の与える品詞情報と同名の、nature【ナチュール】と、それぞれの機能、fonction【フォンクシオン】によってこのベクトル情報を得ているのです。
アナリズロジークは複文の相互関係を機能、nature【ナチュール】として表していますので、これを日本語に援用することにより、いかに複雑な構文になっていても、格助詞によって見分けることができるベクトルデータがえられるのです。
これまでのところ、ホツマツタヱのクシミカタマによって書かれたとされる記述を、日本語アナリズロジークにより、それぞれの語句の修飾関係をあきらかにすることができるようになったのです。


このフェーズでは、機能(fonction)は「格」を明確にすることとして表現しています。

これまで提示してきた「仮属詞」については、余程大きな省略を伴うもの以外、使わずに済んでいますので、現状で、ホツマツタヱ程度の文章規模では用が無いと認識しています。

これまで、具体的な概念を提示していませんでしたので、これからは少しだけ歩み寄れるようになったのではないでしょうか。
卑近な話ですが、「分詞素」を「分詞」と書くのも、たかだか2バイト節約できるだけなので、もうやめようと思います。
そうでないと。ニューカマーが増える度につまらない断り書きを書かねばならないのですから、フルで「分詞素」と書けば、直感的に、ああ、時制以外にも分詞構文がつかえるのかな、と理解できてしまうからです。

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石丸市長の都知事立候補以来、「こんな環境で選挙に臨むのはいやだ」、とばかりに、不参加を決め込む候補が増えるのではないかと考えられ、無投票当選なんていう事態も起こるのかもしれません。
いずれにしても、東京の命運は既に決しているのかもしれません。



さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
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