今回は、神話ホツマを政治利用するという試みに使うという観点から、神谷宗幣、いときょう両氏の展開した、「縄文ホツマツタヱの旅」というyoutube番組を俎上にあげ、今日はその28回目を批判的に見てみましょう。(このビデオは5年前のものです)
批判的に見る、といっても、私は神話も大好きで、この両氏に敵対しているわけではないので、誤解のないように願いたいと思います。
神谷宗幣氏と、いときょう氏のトークショー
文字起こしではなく、要点をメモしただけですので、詳しく見たい方は下のリンクからどうぞ。
縄文ホツマツタヱの旅 第28回
https://www.youtube.com/watch?v=yGUlmhVku4Q&list=PL6mu43UnNThDc4VEosKvKotu3XFXaOZD9&index=28
縄文時代末期の国家体制
神谷;毎回毎回、いろんな、あの、話が出てくる、まあ、いつも言ってるんですけど、前回はいろんな神様の、教えていただきまして、はい、八王子の神様とかね、ぼくら、じゃあ、地名としては八王子って、有名ですけど、ね、八王子の、8人の王子って誰ですか、って云うようなことは、なかなか、ね識る機会も無いので、そういったことも、ホツマを学びながら、考えてもらえば、な、よいうことですけども、今日は二十三アヤで、縄文時代の国家体制、について。
はい。
神谷;縄文時代の国家体制って、皆、ピンと来ませんよね。
そうですね、はい、二十三アヤは、「ミハサダメ ツルギナノアヤ」というところですね。
いわゆる、「ミハタ」って云う言葉がありますよね、ミハタっていうのは「機織り」のことですね、はい。
で、古代では、機織りと云うもので、もう、衣(ころも)が出来ていたわけですね。
機織りの技術もあったのですね。
それで、その、機織りで、それぞれ、リーダーの方が、どういう本数、糸の本数で、いわゆるその着物を着るか、というところまで、細かく決められているわけですけどね。
神谷さん、縄文時代の末期っていうのはですね、何時ぐらいなると想像できますか?
神谷;縄文の末期だから、紀元1世紀ぐらいですかね。
紀元前100年、最近ではどうも、紀元前1000年くらいが縄文の末期ではないか、という人もいて、紀元前1000年は弥生にはいる、という文献も出てきたりしている、ですけどもね。
神谷;へー、だから、わからないんですよ、僕等ね、教科書では、稲作の伝来から弥生時代ってやってるんですけど、もっとまえから、稲作があったと解ったんで、だから、どこが区切り目かわかんないんですよね。
はい、今そこが非常にあいまいになりつつある、というのが新しい学問になってきていると思うんですが、その中で、縄文時代の末期っていうのが、紀元前の800年くらいのお話に繋がってくるわけですね。
● こういう記述、と、こういう遺跡・遺物があるので、紀元前800年ころである、という「説」を示していただかないと、批判もできません。
神谷;すると、まさに、前回のニニギノミコトの頃ぐらいの感じですね。
そうですね、ニニギノミコトの時代ですね。
この時代に、この機織りの、いわゆる器具とかそういうものの機能を国家体制にしているんですね。
神谷;えー。
これがいわゆる、御機(みはた)の行政組織というものです。
そして、どういうものかと言いますと、ことらの、一番下にあります、「ヒトテユビ」という言葉がありますね。
一手に5本の指がありますね、これで、5家族をひとつの単位とした、と。
神谷;五人組みたいなもんですね、江戸時代の。
江戸時代の、はい。
そして、それが80あつまると、400ですね、集まると、「ムラ」という単位になったんですね。
それを「アレヲサ」と言ったんですね。
このムラが80集まると、「アガタ」という、県(けん)になる。
で、そこには「アガタヌシ」という人が治めた、と。
それがまた80集まると、「クニ」という単位になる。
それを「クニツコ」という人が治めたのです。
はい、そしてこのクニツコがさらに800、あ、クニツコに800のいわゆる、「モノノヘ」という武士、ある意味で武士ですね、達がいて、その武士達を統括するのが「オオモノヌシ」えー、人達がいて、警察、兼、国の防衛の役割の人達ですね。
● これは物部(もののべ)を誤解していると思われ、物部は武装闘争も出来るロジスティクスと総務の担い手で、物流と生産関係を調整している弥生時代の日本の動脈組織です。
で、このオオモノヌシの補佐役でコトシロヌシというのが居る。
ですから、出雲に行くとコトシロヌシの神社で美保神社というのがありますね。
神谷;はい、はい。
そしてこの、クニツコ、国のアレとして、朝廷から使わされた、いわゆる、「ツウヂ」という、アレですね、担当官、これも行政官、ツウヂと云う人が居て、同時に「ヨコヘ」と云う警察官、検察官の人達も居て、この、ヨコヘ、検察官は10人、クニツコに与えられて、なにかあると、「アタイ(直)」という人に様子が告げられて、そのアタイから、「アメノメツケ」に報告されて、天皇にまで行った、と云う、これほど細かい行政組織が、もう、はりめぐらされていたんです、日本には。
神谷;と、云うことが書いてあるんですね!
そうです。
神谷;はははは、笑うしかないんですけど。
神谷;笑うしかない、凄過ぎて。
と、どうなるか、というと、海の向こうから、渡来の人が海岸にたどりつくと、即、ムラオサ、そしてアガタヌシ、クニツコを通じて、天皇にまで情報が届いた、と。
神谷;はい。
そういう時代が紀元前800年くらいです。
で、その国家体制があったからこそ、ですね、いわゆる、海の向こうから弥生の人達が来て、その人達を迎え入れて、どういうふうにしたら良いか、ってのは天皇の指示の元で行われた、ということがわかる。
はい、それが縄文時代の、国家体制なんですね。
● 読み間違いも甚だしいのですが、ここまでくると、もう、立派な皇国史観です。
神谷;えーと、8、5家族でひとつ、それが8集まって・・・
80ですね。
神谷;はい。
ただ、この8というのは非常にアバウトな数字だとさっき、申し上げましたね。
神谷;はい。
ですから、これ全部やってくと、すごい巨大な組織になるんですけど、どちらにしても、ムラから、中央にまで、一つの線が、縦の糸がピーンと張られてたと云うことが、これでわかりますね。
神谷;これの図でもわかるように、オオモノヌシとかコトシロヌシとか、古事記だと一人の神様ってなってますけど、役職名だと、私、このあいだに出雲に行ったときに、オオクニヌシっていうのも、役職名だと、聞いているんですよ。
神谷;もちろん、だから、何人目かのオオクニヌシ、の時に、国譲りがあったのですけど、役職名なんで、何人もいる、と。
はい。
神谷;だから、初代オオキニヌシから、何人もいる、それが続いているんだよっていう聞いたんですけど、これにつながります、ね?
そうですね、はい、まあ、オオクンヌシ基本的にはソサノヲノミコトの子供になるんではないか、と私は思いますけど。
はい、まあ、そういうわけで、この体制がある、とわかってから、国の歴史の見方、縄文時代の歴史の見方、ガラッと変わりましたですね。
そして、ここには、御機の二十三には「ミハサダメツルギナのアヤ」ていうことですから、「ツルギ」についての、あの、考え方を聞いてるんですね。
それがいわゆる、三代目のオオモノヌシ、クシヒコという人が、アマテラスオオミカミに、伊勢神宮の内宮で質問しているんです。
なんで斬る道具であるツルギが、宝と云うんでしょうか、と云うことをおっしゃってたんですね。
その時に、アマテラスオオミカミがこのようにお話します。
まず、クニトコタチの時代から始まりまして、この国は八王子の一人、トノミコトが国を譲り受けて、トヨクンヌ、ウビチニ・スビチニ、オオトノチ・オオトマエ、ところがここで、途絶えてしまった。
そして、「タノミコト」のところの系統の方が、いわゆる、イザナギ、イザナミという方、ここから、新たな国作りが行われた、と云うことになってるわけですけども、この、6代目の天皇、オモタル、カシコネさんの時代に、飢饉がおきたんですね、飢饉がおきて、やむを得ず、人をツルギ、戈(ほこ)で斬らざるを得なかったと、そうすっと、その時に罪の無い人まで斬るという事態がおきたんです、それは結局、天皇家の子胤がなくなる。
● ここで、若干の系図の読み違いがあり、イサナギ、イサナミを同系統から出してしまっているため、男系・女系の二つの異なる家という条件をみたさなくなっています。
ということをアマテラスオオミカミがお知りになって、じゃ、斬るということについて、どういう考えが必要だったかをこの伊勢の地で、オオモノヌシのクシヒコに教えているんだと。
神谷;その時に、伊勢に神宮があったんですか?
もちろんあります。
伊勢神宮というのは、縄文時代の紀元前800年くらいからありまして、そこに沢山の古代の指導者が集まって、アマテラスオオミカミの話を聞いてるんですね。
その時に、いわゆるカガミとは何でしょう、つって、質問する人が出ると、アマテラスオオミカミが、そこで、能舞台のような舞台が用意されまして、ここで、いろいろとお話される、はい、そういうシーンがあるんですね。
水無月の祓いでも沢山の巫女達が囲んでいるという、その祓いの言葉があるんですが、それは昔は、伊勢神宮のところで行われていた、という話です。
神谷;なるほど。
その質問のなかで、いわゆる、人を斬る、殺めて斬る、ことの無いように、左目と右目の機能について、お話するんですね。
● 「誤って斬る」の言い間違いと思われます。
で、左目と、右目では機能が違うんですね。
で、左は人を活かす目である、右目は罪を犯した人を斬る、枯らす目であると、云うことで、左目を開けて剣を打ってはいけません、と、右目だけで打ってください、と云うふうにおっしゃるわけです。
で、それが、後に、剣を打った人が、アマメヒトツノカミ、あま、目がひとつの神という神になるわけですけども、これを柳田國男さんは、古代は残酷なことをしたと、目をひとつ潰して剣を練らせたんだと言うんですけど、実はアマテラスオオミカミのお言葉の中に、そのようにして、人を斬る場合には、罪の無い人を斬ってはいけません、右目だけで斬ってください、と云うことでそれを、剣を練らせたんですね。
で、その剣の名を何と言ったかと云うと、「ヤエガキノツルギ」と言いました。
神谷;ほう、「ヤエガキノツルギ」、はい。
はい、このヤエガキノツルギが、今、ちゃんと言葉として残って無いんですね。
はい、「ムラクモノツルギ」はあるんですけどね。
神谷;初めて聞きます。
「ヤエガキノツルギ」が現れることが、私にはとても大事なことではないかな、と思っています。
神谷;八重垣の剣、はい、どっかにありそうですか?
ありそうですね、絶対でてくると思います。
神谷;どっかででてきますか、へーーー。
八重垣という言葉もね。
神谷;はい。
神谷;でも、あの、八重垣って、こないだ、出雲に、八重垣神社に行って、そのあと、えっと、須賀神社に、和歌があるじゃないですか、スサノオの
はい、出雲八重垣ですね。
神谷;出雲八重垣のウタ、あれ、もう、だから、その、奥さんとの生活を詠った歌だと云うことで、伝わってますけど、八重垣っていうのはナラクレモノという意味があって、とか、そういう訳もあるんですよ、ということ教わったんですけど。
● ならくれもの? 荒くれ者と、ならず者を合わせた造語でしょうか? 辞書にはみつかりませんでした。
まあ。八重垣というのは、8つの垣がぐーっと大きく巡らして、そん中に妻を籠めて、大事にまもると、同時に、そこにいる国民をしっかり守ると、という意味も、私は八重垣の中にはあると思うんですが。
ですから、八重垣の剣ってのは八重垣の中にいる人を守る、精神、ただ、その中にはちょっと荒くれ者もいたかもしれないという言葉も在るってことですね・
神谷;だから、八重垣っていう言葉はそういうものって、いとさんが今おっしゃったような意味もあれば、なんか、荒くれ者たちを、ある意味、成敗するという意味もあるのかなという意味も、今思って、このあいだの歌思い出したんですけど。
神谷;まあ、いろんな音ですから、八重垣って、僕等、八重の垣と書きますけど、別に、古事記にも、そういうふうには書いてないですからね、違う漢字を書いてありますからね。
● そりゃ、そうだ、古事記は万葉仮名で書かれていても、漢字語も混じっているし、いまさらそんなことを言われても、そもそも、後の時代に作られた古事記をホツマで補完しようという考え方が、本末転倒しています。
ですから、古事記はいろんな解釈をいろんなとこでされてるという感じはしますけどね。
神谷;あ、今日は、縄文時代、の末期、まあ、いとさんの説では紀元前800年年くらいではないか、というんですが、その当時はこういう形で国家体制が、できたんですよ、と、ホツマには書いてある、ということで、はい。
モノノベという、もちろん、モノノヘ氏というしっかりした武士の集団があって、何かあると、駆けつけるという体制があったと思いますね。
神谷;「もののふ」の語源かもしれないですね。
そうですね、はい。
そういうことで、それが正しいとか正しくないとか、そういうことじゃなくて、ホツマツタヱというものにはそう云うふうに書いてある、ということなので、あのね、みなさん、たまに、証拠を出せとか、800年ってどっから出てきた、とか、偶(たま)に僕に質問で来るんですけど、いや、あの、ホツマツタヱにはそう書いてあります、という解説をする番組なので、はい、是非、そういった理解で、見ていただければ、なぁというふうに思います。
● ですから、証拠を出せではなく、どこにどう書いてあるから、800年、という説を唱えているかを言ってくれればよいのです。(その部分の印象でもよいのですから、根拠を示していただきたいのです)
● 説の根拠をださなければ、思いつきで語っているだけ、つまり、「騙り」という誹りを受けてしまうことになります。
神谷;はい、今日はどうもありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
ビデオのメモはここまでで、これ以降は私の普段の記事になります。
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対話中にでてきた美保神社について、すこしだけ触れておきましょう。
これは宍道湖の入り口付近にある美保神社です。
このミヤは物部氏のトップである男系男子と女系女子の結びによって成った御家の元締めになります。
美保神社(みほじんじゃ)
島根県松江市美保関町美保関608
35.562308,133.306024
祭神
事代主神
三穂津姫命
これは美保神社の千木を正面から見たところです。
左側が男千木(おちぎ)、右が女千木(めちぎ)です。
重要なのは、千木(ちぎ)だけでなく、このミヤは、左右対象に造られ、男系の御家と女系の御家が対等な状態で結ばれていることなのです。
これはクシミカタマが読者を混乱させるために差し込んだ、ハヤコの三人娘と、宮中のお目付け役であるミホツヒメについて記述している部分です
アマメヒトツについては、古代の「カネリ」であると言っていますので、鍛冶ではなく、「金練(かね・ねりの熟したもの)」すなわち、冶金(やきん)技術者であったと考えるのが妥当です。
つまり、当時の刀剣制作に用いたのは鋼(はがね)ではなく、青銅(せいどう)だったと考えれば合点が行くと思われます。
青銅剣(せいどうけん)を造る技術は鍛造(たんぞう)ではなく、鋳造(ちゅうぞう)なのです。
しかも、カネリは分業されておらず、鋳造に用いる石型(いしがた)の制作も主な技術として、こなしていたのだと思われるのです。
剣の石型を造るのには鏨(たがね)と鎚(つち)で石の表面を精密に削(はつ)ることによって造るのです。
そのため、職業病として、石の欠片(かけら)が跳ねて眼をつぶすこともあったと思われます。
そうなると、逆の発想が出来るようになります。
アマテルがカネリを讃えるのは、「隻眼(せきがん)になりながら、専門職として、これを造ったとは、関心な奴じゃ」となることが容易に想像できるでしょう。
しかも、わざと目をつぶしたり片目を塞いで作業をさせるよりはるかに真実味があります。
碩学と言われる柳田國男が石型加工に思い至らないのは、工業技術を識らないからに他なりません。
さて、次回は本歩にもどって8アヤの解説の最後の部分になります。
さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/