シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その301〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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今回はホツマツタヱ25アヤの解説Part6です。

まずは本文から。

●一行訳11

25-52 にいたなす つくしミソフの ニイタナス ツクシミソフノ 【ニイ、新・タ、手・ナス、成、新しい拠点を造ったのです】。【ツク、筑・シ・紫・ミ〔三〕ソ〔十〕フ〔二〕・ノ、ツクシの32(県)を】、
25-53 みめくりて かこしまにます ミメクリテ カコシマニマス 【ミ、見・メクリ、巡・テ、見狩して巡り】、【カ、鹿・コ、児・シマ、島・ニ・マス、坐、カゴシマミヤに居た】、
25-53 としとしに みのりもふえて トシトシニ ミノリモフエテ 【トシ、年・トシ、々(態)・ニ、年を追う毎に】、【ミノリ、稔・モ・フエ、増・テ、生産力は上がり】、
25-53 くにゆたか ことしうえつけ クニユタカ コトシウエツケ 【クニ、国・ユタカ、豊、国は豊かになり】、【コ、今・トシ、年・ウエ、植・ツケ、付、今年の作柄は】、
25-53 てれとよし うさのあかたに テレトヨシ ウサノアカタニ 【テレ、照・ト(逆接)・ヨシ、良、日照りがあっても結果は良好でした】。【ウ、宇・サ、佐・ノ・アカタ、県・ニ、宇佐の県に】、
25-54 はやらせて さつきのもちの ハヤラセテ サツキノモチノ 【ハヤ、流・ラ、行・セ(使役)テ、流行らせて】、【サ、五・ツキ、月・ノ・モチ、望・ノ、5月の望の日の】、
25-54 はるいわひ もちにはゑしき ハルイワヒ モチニハヱシキ 【ハル、春・イワヒ、祝、春の歳の祝】、【モチ、餅・ニハ、羊、ヱ、歯・シキ、敷、(鏡)餅にウラジロを敷き】、
25-54 うけかみに いはふほながと ウケカミニ イハフホナガト 【ウ、多・ケ、食・カミ、神・ニ、豊穣の神に】、【イハフ、祝・ホ、穂・ナガ、長・ト祝うのは豊作と】、
25-54 ゆつりはの ほつまあそびの ユツリハノ ホツマアソビノ 【ユツリ、譲・ハ、果・ノ、親譲り(ニニキネ→ウツキネの事業継承)の】、【ホ、穂・ツ・マ、間・アソビ、遊・ノ、アメのキミの渡御による】、
25-55 みづほうた たのしにきはふ ミヅホウタ タノシニキハフ 【ミヅ、瑞・ホ、穂・ウタ、歌、豊作を讃える歌声で】、【タノシ、楽・ニキハフ、賑、楽しみ賑わう】、
25-55 とよのくに ミソフのあがた トヨノクニ ミソフノアガタ 【トヨ、豊・ノ・クニ、国、七世紀までの豊前・豊後を併せた地域】、【ミ〔三〕ソ〔十〕フ〔二〕・ノ・アガタ、県、32の県に】、
25-55 みなはやる かとまつはゑバ ミナハヤル カトマツハヱバ 【ミナ、皆・ハヤ、流・ル、行、皆流行りました】。【カト、門・マツ、松・ハ、羊・ヱ・歯・バ、葉、門松やウラジロ】、
25-55 ゆつりハも はるしきかざる ユツリハモ ハルシキカザル 【ユツリ、譲・ハ、葉・モ、楪(ゆずりは)も】、【ハル、春・シキ、敷・カザル、飾、春季歳に敷き飾る】、
25-56 もとおりや とよにきハひて モトオリヤ トヨニキハヒテ 【モト、元・オリ、居・ヤ(推測)、基だろうか】。【トヨ、豊・ニキハヒ、賑・テ、豊の国は賑わって】、
25-56 むヨろとし へてもあそくに ムヨロトシ ヘテモアソクニ 【ム、胸・ヨ〔百〕ロ、万・トシ、歳、また半年が】、【ヘ、経・テモ(逆接)・ア、阿・ソ・蘇、クニ、国、経っても阿蘇国は】、
25-56 まだこえず かれみやつくり マダコエズ カレミヤツクリ 【マダ、未・コエ、肥・ズ(否定)未だに豊かになりません】。【カレ、彼・ミヤ、宮・ツクリ、造、そこで阿蘇国にミヤを造り】、
25-56 うつります はおかんがえて ウツリマス ハオカンガエテ 【ウツリ、移・マス、坐、移りました】。【ハ、果・オ・カンガエ、考・テ、結果を考えて】、
25-57 かぞみねの かぞうおいれて カゾミネノ カゾウオイレテ 【カ、夏・ゾ(強調)・ミ、身・ネ、根・ノ、夏の国の長の】、【カゾ、数・ウオ、魚・イレ、入・テ、鰊糟(身欠ニシンの中骨)を入れて】、
25-57 たおこやし かげろふのヒの タオコヤシ カゲロフノヒノ 【タ、処・オ・コヤシ、肥、この地を肥やし】、【カゲ、陽・ロフ、炎・ノ・ヒ〔火〕・ノ(阿蘇山の枕)】、
25-57 こえくにの たけいわたつハ コエクニノ タケイワタツハ 【コエ、越・クニ、国・ノ、外輪山を越えた国の】、【タケ、健・イワ、磐、タツ、龍・ハ、(長である)タケイワタツの】、
25-57 くつおあげ あそヒめゆなに クツオアゲ アソヒメユナニ 【クツ、沓・オ・アゲ、上げ、位を貴人に上げ】、【ア、阿・ソ、蘇・ヒメ、姫・ユ、湯・ナ、女・ニ、(その娘の)阿蘇姫を湯女として】、
25-58 たてまつる きみめしあけて タテマツル キミメシアケテ 【タテマツ、奉・ル(完了)奉った】。【キミ、君・メシ、召・アケ、上・テ、キミ(ウツキネ)はこれを召して】、
25-58 うちきさき こゝにもむヨろ ウチキサキ ココニモムヨロ 【ウチ、内・キサキ、妃、内妃としました。】、【コ、此・コ、処・ニ・モ・ム、胸・ヨ〔百〕ロ、万、ここにも半年ほど居て】、


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●連続訳11
ツクシの32県を、見狩して巡り、カゴシマミヤに居た、年を追う毎に、生産力は上がり、国は豊かになり、今年の作柄は、日照りがあっても結果は良好でした。
宇佐の県に、流行らせて、5月の望の日の、春の歳の祝、鏡餅にウラジロを敷き、豊穣の神に、祝うのは豊作と、親譲り、ニニキネ→ウツキネの事業継承の、アメのキミの渡御による、豊作を讃える歌声で楽しみ賑わう、トヨノクニ(七世紀までの豊前・豊後を併せた地域)で、32の県に、皆流行りました。
門松やウラジロ、楪(ゆずりは)も、春季歳に敷き飾る、基だろうか。
豊の国は賑わって、また半年が、経っても阿蘇国は、未だに豊かになりません。
そこで阿蘇国にミヤを造り、移りました。
結果を考えて、夏の国の裔の長の、鰊糟(身欠ニシンの中骨)を入れて、この地を肥やし、その功により、阿蘇山の外輪山を越えた国の長である、タケイワタツの、位を貴人に上げたところ、その娘の阿蘇姫を湯女として、奉りました。
キミ(ウツキネ)はこれを召して、内妃としました。

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●解説11
ツクシの32県というのは、九州全体ではなく、筑紫平野を中心とした筑後川流域と考えてください。
水利に恵まれ、地味が痩せていなければ、耕せば耕しただけ発展しますので、見狩りといっても、見回ってはげますだけで充分な増産が見込まれるのです。

楪(ゆずりは)というのは新しい葉が出てから古い葉が落ちることから、新旧のシームレスな継続の想いが込められています。

この時代、一般の暦は倍年法で表現されていたようで、一年365日を二年として、春の歳、秋の歳に分けていたようです。
それぞれを、「花」と「穂」と呼ぶのですね。
今日でも、神道では夏越の祓(なごしのはらえ)を境に、二度の祭りを行うものがあります。
長州勢によって東朝鮮を形成して、戦没者を鬼神として人質にとった靖国神社でさえ、春・秋、二度の例大祭をやっていますから、実は、倍年法というのは広く日本人に定着していたのかもしれません。

これまで、阿蘇国のタケイワタツがどうして位が上がったか、というのはわかりませんでした。
カゾウオは鰊(にしん)であることは解っていましたが、物部による流通網を理解すればすべてが一本に繋がるのです。
だいぶ前「〜その73〜」を書いたときには総花的にやりすぎて、ひとつのアヤのテーマが浮き出るほどには読めていなかったのです。
最近書いた「〜その291〜」では

■鰊糟

24-106 かつしまや かつみねやまと カツシマヤ カツミネヤマト 【カ、右・ツ・シマ、島・ヤ(例示)、物部の島(領地)や】、カ、右・ツ・ミ、身・ネ、根・ヤ、家・マ、間・ト、物部衆直参の】、
24-106 しまあひに かつうおなれハ シマアヒニ カツウオナレハ 【シマ、島・アヒ、間・ニ、島と島の間で】、【カツ、数・ウオ、魚・ナレ、熟・ハ、乾物の身欠ニシンの手屑を干した肥料を融通させていました】。
24-106 このうおゝ あらたにいれて コノウオオ アラタニイレテ 【コ、此・ノ・ウオ、魚・オ、この魚の干物を肥料として】、【アラ、新・タ、処・ニ・イレ、入・テ、新開の拠点で】、
24-107 ワおこやす アまのこやねも ワオコヤス アマノコヤネモ 【ワ〔地〕オ・コヤス、肥、土を肥やしました】。【ア〔天〕・マ、間・ノ・コ、児・ヤ、屋・ネ、根・モ、アマノコヤネも】、



と、正確に読めるようになったのです。
しかし、どこか、ニシンの回遊が南下していた頃、大量捕獲の名所があったのではないかと、探し回ったのです。
それでも、北海道にしかそんな好漁場はみつけられませんでした。
結局、原文に戻って読み直すと、ああ、獲れる場所で獲って、それぞれのシマの間で流通していただけだったのかぁ、と納得させられました。

ウツキネは温泉の湧いているところにミヤを造ったようです。
けっして、ミヤの予定地をボーリングして温泉を掘り当てたわけではありません。


これは阿蘇山の外輪山の内側にある阿蘇神社です。

温泉のあるミヤなので、タケイワタツは娘を湯女として奉ったということなのでしょう。
ウツキネは、湯女だなんて、とんでもない、このミヤのウチキサキにしましたよ、ということなのです。

熊本地震で壊れちゃったけど、どこまで復元したのかな?


これは瓦礫になった阿蘇神社



●一行訳12

25-58 うちきさき こゝにもむヨろ ウチキサキ ココニモムヨロ 【ウチ、内・キサキ、妃、内妃としました。】、【コ、此・コ、処・ニ・モ・ム、胸・ヨ〔百〕ロ、万、ここにも半年ほど居て】、
25-58 としおへて しがのかみだハ トシオヘテ シガノカミダハ 【トシ、歳・オ・ヘ、経・テ、歳が明けても】、【シ、此・ガ、彼・ノ・カミ、上・ダ(限定)ハ、それらの御上の管理する地域さえ】、
25-58 まだみてず つくしのみやに マダミテズ ツクシノミヤニ 【マダ、未・ミテ、満・ズ(否定)、未だに満足出来る状態ではなく】、【ツク、筑・シ、紫・ノ・ミヤ、ニ、ツクシノミヤ(現福岡県筑紫野市原田2550筑紫神社)に】、
25-59 うつります はおかんがえて ウツリマス ハオカンガエテ 【ウツリ、移・マス、坐、移りました】。【ハ、果・オ・カンガエ、考・テ、結果から予想して】、
25-59 あぶらかす いれてかすやの アブラカス イレテカスヤノ 【アブラ、油・カス、糟、アブラカスを入れて】、【イレ、入・テ・カス、糟・ヤ、屋・ノ、入れて粕屋の地(現福岡県糟屋郡粕屋町大字阿惠)阿恵官衙遺跡の】、
25-59 はにみつる そのほかミソの ハニミツル ソノホカミソノ 【ハ、果・ニ・ミツ、満・ル(完了)、結果を出すことができました】。【ソ、其・ノ・ホカ、他・ミ〔三〕ソ〔十〕・ノ、他にも三十の(県が)】、
25-59 まねくゆえ めぐりかんがえ マネクユエ メグリカンガエ 【マネク、招・ユエ、故、招くので】、【メグリ、巡・カンガエ、考、渡御の順序を考え】、
25-60 つくしみや ゆたかにこえて ツクシミヤ ユタカニコエテ 【ツクシ、尽・ミ、身・ヤ(詠嘆)身を尽くされるキミでした】。【ユタカ、豊・ニ・コエ、肥・テ、(結果は)豊かに肥て】、
25-60 たみやすく こゝにもむヨろ タミヤスク ココニモムヨロ 【タ、手・ミ、身・ヤスク、易、配下の物部衆は容易に成果を挙げたのです】。【コ、此・コ、処・ニモ(承前)・ム、胸・ヨ〔百〕ロ、万・ここにも半年ほど居り】、
25-60 としおへて みすゝのあいた トシオヘテ ミススノアイタ 【トシ、歳・オ・ヘ、経・テ、歳を越え】、【ミ(寧)スス、鈴・ノ・アイタ、間、ウツキネの御代の間中】、
25-60 しはらくも やすまでたみお シハラクモ ヤスマデタミオ 【シハラク、暫・モ(限定)、ほんの暫くも】、【ヤスマ、休・デ(否定)・タ、手・ミ、身・オ、休まずに配下の物部衆を】、
25-61 たすゆえに きさきつほねも タスユエニ キサキツホネモ 【タス、治・ユエ、故・ニ、指導していたので】、【キサキ、后・ツホネ、局・モ、后も局も】、
25-61 みこうます かれこれおぼし ミコウマス カレコレオボシ 【ミ(寧)コ、子・ウマ、生・ス(否定)、御子を生まず】。【カレ、彼・コレ、此・オボシ、覚、それゆえ、この状態を認識してはいたのですが】、
25-61 みやすてゝ うどにいたれバ ミヤステテ ウドニイタレバ 【ミヤ、宮・ステ、捨・テ(鹿児島の)ミヤは放置して】、【ウ、鵜・ド、戸・ニ・イ(継)タレ、在・バ、ウドに居たときに】、
25-61 はでかみの まねくかこしま ハデカミノ マネクカコシマ 【ハ、派・デ、出・カミ、上・ノ、ハデカミが】、【マネク、招・カ、鹿・コ、児・シマ、島、お呼びするカコシマに】、
25-62 ゆきまさす きさきハちゝに ユキマサス キサキハチチニ 【ユキ、行・マサ、坐・ス(否定)、行かれませんでしたので】、【キサキ、后・ハ・チチ、父・ニ、后(トヨタマ)は父(ハテスミ)に】、
25-62 これおつぐ はでかみうとに コレオツグ ハデカミウトニ 【コレ、此・オ・ツグ、告、これを告げました】。【ハ、派・デ、出・カミ、上・ウ、鵜・ト、戸・ニ、ハデカミは鵜戸に】、
25-62 もふさくハ きみたのさずや モフサクハ キミタノサズヤ 【モフサ、申・ク(婉曲)ハ、申しますことには】、【キミ、君・タノサ、楽・ズ(否定)・ヤ(反語)、キミはお楽しみにはならないのですか】?
25-62 しからすぞ つほねハあれど シカラスゾ ツホネハアレド 【シカラ、然・ス(否定)・ゾ(強調)、そうではありません】、【ツホネ、局・ハ・アレ、在・ド(逆接)局があっても】、
25-63 こおうまず かれにすておき コオウマズ カレニステオキ 【コ、子・オ・ウマ・生・ズ(否定)子を生まないのですから】。【カレ、彼・ニ・ステ、捨・オキ、置、そこで、構わず放置し】、
25-63 たゝヒとり つれてしはらく タタヒトリ ツレテシハラク 【タタ、只・ヒ〔一〕ト(類)リ、人、(トヨタマ?)1人を】、【ツレ、連・テ・シハラク、暫、連れて暫くは】、
25-63 こゝにあり つくしのたみお ココニアリ ツクシノタミオ 【コ、此・コ、処・ニ・アリ、在、ここに居ようとして】、【ツクシ、尽・ノ・タ、手・ミ、身・オ、(私に)尽くしてくれる配下の物部を】、
25-63 おもふはかりぞ オモフハカリソ 【オモフ、想・ハカリ(限定)・ソ(強調)、想うばかりなのです】。


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●連続訳12
ここにも半年ほど居て、歳が明けても、それらの御上の管理する地域さえ、未だに満足出来る状態ではなく、ツクシノミヤ(現福岡県筑紫野市原田2550筑紫神社)に、移りました。
結果から予想して、アブラカスを入れて、粕屋の地(現福岡県糟屋郡粕屋町大字阿惠)阿恵官衙遺跡の、結果を出すことができました。
他にも三十の県が、招くので、渡御の順序を考え、身を尽くされるキミでした。
結果は豊かに肥て、配下の物部衆は容易に成果を挙げたのです。
ここにも半年ほど居り、歳を越え、ウツキネの御代の間中、ほんの暫くも、休まずに配下の物部衆を、指導していたので、后も局も、御子を生みませんでした。
それゆえ、この状態を認識してはいたのですが、鹿児島のミヤは放置して、ウドに居たときに、ハデカミが、お呼びするカコシマに、行かれませんでしたので、后(トヨタマ)は父(ハテスミ)に、これを告げました。
ハデカミは鵜戸に、申しますことには、キミはお楽しみにはならないのですか?
そうではありません、局があっても、子を生まないのですから。
そこで、構わず放置し1人を、連れて暫くは、ここに居ようとして、私に尽くしてくれる配下の物部を、想うばかりなのです。

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●解説12


これは筑紫神社、ツクシのクニカミのミヤです。


これは阿恵官衙遺跡(あえかんがいせき)、物部の管理拠点です。
官衙というのは、そのもので、考古学者も慧眼というしかありません。

いま、考えると、アブラカスというのが植物性か動物性か区別ができないのです。
ニシン糟も、ニシンを茹でて絞って油を抜いた糟なのですから、大豆を絞った糟を発酵させたものなのかは不明なのです。
まだまだ、研究が必要ですね。

謎といえば、最後の部分なのですが、佐賀県に肥前の一宮、與止日女神社(よどひめじんじゃ)というのがあります。


これは、「〜その56〜」で少しだけ触れた與止日女神社ですが、疑問を抱くほど理解していませんでした。

今回、積極的に調べた結果、ウツキネが連れて鵜戸にいたのはヨドヒメ(元海女のアカメ)であったのでは、と疑ったのです。

與止日女神社(よどひめじんじゃ)
佐賀県佐賀市大和町大字川上1
33.326311,130.268339

祭神
與止日女命(よどひめのみこと)

標高 19m
利用河川 嘉瀬川(よしせがわ)

最初の推理はこのツアー中に、妊娠し、アカメの郷里であった、佐賀県佐賀市大和町大字川上1にミヤをもらった、ということでした。
しかし、産厄でしょうか、出産時に死亡した疑いがあります。
この神社の社伝には御子の記述はなく、祭神は1人だけ、というものです。
それにもかかわらず、この神社は肥前の国一宮なのです。
クシミカタマの記述を精査しても、トヨタマが鵜戸に行ったとは書いてないばかりでなく、他の妃であったことを匂わせる文になっています。
とすると、やはりヨドヒメですかねぇ。

嘉瀬川の流域には他にもヨドヒメの名をもった神社が5つあるそうです。
妻に死なれたキミは、その遺族に対して、妻の名を冠したミヤを贈って鎮撫しているようですので、まさにこのケースに一致します。
そして、このアヤのテーマとも。

空砲を撃ってアベっちの退陣を演出した役者を起訴したら、不能犯を殺人で起訴したことになり、特別公務員虚偽告訴ではないでしょうか?
この国はもはや、国家の体をなしていないのです。
日本列島に裁きの鉄槌を下すのは、プー様でしょうか、それとも、トラ公?

25アヤはこれで終わりですが、次回はまとめを少しと26アヤの予習をすこしやりたいと思います。



さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/