シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その224〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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ホツマツタヱ偽書説をとっていた人達はこのブログの解読がこんなに進んでいたとは思わず、かなり慌てているようです。
偽書のパターンとして、記紀をベースにしてでっち上げた「国学」のひとつの便法だと思っている場合が多く、それ以外の攻撃は「〜は無かった」攻撃だけなのです。たとえば、昨日言われたのは、砂糖が日本に入って来たのは17世紀だ、とか。
そういう説はありますが、あくまでも説です。
しかも、ここで私が書いているのは、同様な多加水の餅は台湾にある、と書いただけで、台湾の歴史はほとんど知られていないのですから、砂糖の存在を否定するような記述も、また無いのです。
攻撃のためだけに批判する、なんとも虚しい作業ではありませんか。
サトウキビを絞った液から砂糖を析出させるには石灰を加えるのですが、その方法もはるか昔から知られていたのです。
AD300に、インドから伝来した、などとまことしやかに言っても、台湾については何も知りはしないのです。

〜その92〜」で紹介したように、徐福が最初に琅琊(ろうや)の港を出航して南下したと考えました。
そして、台湾海峡を横切り、台湾の北端をかすめて黒潮の本流に乗るというものでした。
当時、台湾は海賊の巣窟であると考えられておりましたが、友好的な関係だったかもしれないのです。
船団の一部は台湾で補給した可能性も否定できません。
あ、言うのを忘れていましたが、四国でも、伊予のものと阿波のものはサトウキビの種類が異なるそうです。

そもそも、甘味料はほかにも知られており、中華大陸でも、干し柿から果糖を得る方法がありました。
削り氷にあまづら掛けたるなんていうのもありました。
このアマヅラは普通のツタだそうです。
長い維管束に甘い汁がたっぷりつまっているのでしょうか。
甜菜などというものもあります。
成分的にはサトウキビにオリゴ糖を足したようなもので、中華でも、400年台の医家の書に葉の使用が登場しています。
根は甘く無毒とある程度で、砂糖の原料として認識されていなかった、という残念なものです。
おそらく、栽培種として適していなかったのか、収量が少なかったからかもしれません。
日本では記録は皆無なのかもしれず、明治政府がヨーロッパに刺激されて、飼料用に根を肥大させたものに目を付けるまでは歴史に登場してこないように思われます。

砂糖の応用に話を戻しましょう、笹餅は多加水で、餅米のでんぷんがベータ化(デンプンの粒子が互いにくっつき、食味が悪くなる現象)しやすいのを防ぐために砂糖を加えるので、甘みを加えるのは二の次なのです。
老化したでんぷんは加熱することにより、アルファ化(デンプンの粒子が細かくなめらかな食味になる現象)して再び美味しく食べることができるのですが、ある程度固くなった状態がもっとも文化的な風味を持つため、かならずしも、出来たてが良い、というものでも無いのです。
この笹餅のおばちゃんも、朝作った餅は夕方くらいが食べやすいというような意味のことを言っております。

近代の製糖については「砂糖の話」に香港車糖の歴史を書いています。

私は高校生の頃は考古学に興味を持ちましたが、それは兄が考古学をやっていたからです。
しかし、兄の学究態度は自身の興味の域を出ず、万年研究者を通していたので、世界各地に発掘に出かけていましたが、私には魅力的には見えませんでした。
彼は、その後、大学の教授におさまり、鎌倉時代の研究に勤しむようになり、完全に私の興味の外に居るようになりました。

私はといえば、新しいテクノロジに刺激され、コンピュータと通信の世界に没入していくのです。
もとより、アカデミとは無縁でしたが、データベースは活用してこそ、と思うようになり、古代の研究についても、考古学ではなく、考現学からのアプローチをするようになったのです。
つまるところ、考古学はシナリオを持たない分野であるため、正確な答えに至るのに膨大な年月を必要としてしまうのです。
いっぽう、言語、民俗、宗教、文化の分野は考古学と共有するのですが、その応用は180度異なっているのが考現学的アプローチです。
私の手法は地図を見ながら、変な地名をさがすことから始まります。


さて、本文の解説に入りましょう。

12アヤの解説Part2


●一行訳5

12-9 さつさつと もろがうたえハ サツサツト モロガウタエハ 【サツサツト(オノマトペ)、颯爽と】、【モロガウタエハ、諸が歌ったので】
12-9 きくはたれ わさもみたれて キクハタレ ワサモミタレテ 【キク・ハタレ、(これを)聞いたハタレは】、【ワサモミタレテ、作戦も乱れて】
12-9 しばらるゝ かれこのうたお シバラルル カレコノウタオ 【縛られてしまった】。【そこで、この歌を】
12-10 さつさつの こゑとたのしむ サツサツノ コヱトタノシム 【サツサツの】【節で楽しむ】
12-10 かのちこお アめにおくれハ カノチコオ アメニオクレハ 【その稚児を】、【ア〔天〕メ、都・に送ったが】、
12-10 かみのまえ えたそろハねハ カミノマエ エタソロワネハ 【御上の前に出ても】、【何だかもわからず】、
12-10 さらんとす アめのみをやハ サラントス アメノミヲヤハ 【這い出て行こうとした】。【ア〔天〕メ・ノ・ミ・オヤ・ハ(ここではアマテル)は】
12-11 これおほめ なんちはふこの コレオホメ ナンチハフコノ 【(稚児をあやして)これを褒め】、【汝、這う子の】
12-11 いさおしハ もろにすぎたり イサオシハ モロニスギタリ 【イサオシ・ハ、手柄は】【モロ・ニ・スギ・タリ、諸御上に勝っている】
12-11 きみまもれ かみアまがつと キミマモレ カミアマガツト 【(これからも)キミ、君・マ、間・モレ、守れ、キミに仕えなさい】、【カミ・ア〔天〕マ・ガ・ツ・ト、神・天・の・護り・と】
12-11 なおたまふ このもとおりに ナオタマフ コノモトオリニ 【名を賜った】。【この事跡を基に】





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●連続訳
颯爽と、諸が歌ったので、これを聞いたハタレは、作戦も乱れて。
そこで、この歌を、サツサツの節で楽しみながら、その稚児を、都に送ったが、御上の前に出ても、何だかもわからず、這い出て行こうとした。
アマテルは稚児をあやして、これを褒め、汝、這う子の手柄は、諸御上に勝っている。
これからも、キミに仕えなさい、「神天の護り」と、名を賜った。
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ここで、キクハタレというのが問題です。
わたしも以前は「キクハタレ」はキク(キツネ衆)を掛けているかと思っていましたが、マヒナヒの性格からして、どうやらキツネの影は無い、とする判断に至りました。


●一行訳6

12-11 なおたまふ このもとおりに ナオタマフ コノモトオリニ 【名を賜った】。【この事跡を基に】
12-12 アきつヒめ ぬのもてつくる アキツヒメ ヌノモテツクル 【ア〔敬〕キツヒメが】【布で作った】
12-12 アまがつハ かみうたこめて アマガツハ カミウタコメテ 【ア〔天〕マガツは】、【カミ・ウタ・コメ・テ、先祖を想う御歌を込めて】
12-12 チちヒめに たまえハこれお チチヒメニ タマエハコレオ 【チチヒメに】【賜わったので・これを】
12-12 さきかけの さわりおのそく サキカケノ サワリオノソク 【(花嫁行列の)サキ・カケ・ノ、先駆けの】【サワリ・オ・ノソク、障りを除く】
12-13 アまがつぞ もしもねたみの アマガツゾ モシモネタミノ 【ア〔天〕マガツとした】。【「もしも妬みの】




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●連続訳
この事跡を基に、アキツヒメが、布で作った稚児人形は、先祖を想う御歌を込めて、チチヒメに賜わったので、これを、花嫁行列の先駆けの、障りを除く、アマガツとしました。


●一行訳7

12-13 アまがつぞ もしもねたみの アマガツゾ モシモネタミノ 【ア〔天〕マガツとした】。【「もしも妬みの】
12-13 かむときも アまがつはへり カムトキモ アマガツハヘリ 【咬むときも】、【ア〔天〕マガツ・ハヘリ、アマガツが侍れば】
12-13 まぬかるゝ もしもうらみの マヌカルル モシモウラミノ 【免れるのです】。【もしも恨みによって】
12-13 なやますも アまがつはべり ナヤマスモ アマガツハベリ 【悩まされることがあっても】【ア〔天〕マガツハベリ、(お側に)アマガツが侍れば】
12-14 しりぞくる まかるうらみハ シリゾクル マカルウラミハ 【(これを)シリゾクル、退けるのです】。【マカル・ウラミ・ハ、罷る恨み、命にかかわる恨みは】
12-14 アまがつが みにせめうけて アマガツガ ミニセメウケテ 【ア〔天〕マガツが】、【その身に責を受けて】
12-14 かハるなり あれおにものお カハルナリ アレオニモノオ 【カハルナリ、身代わりとなるのです」】。【アレ・オニモノ・オ、荒れた・鬼者・を、策略で攻撃する曲者は】





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●連続訳
「もしも妬みの咬むときも、アマガツが侍れば免れるのです。
もしも恨みによって、悩まされることがあっても、お側にアマガツが侍れば、これを退けるのです。
命にかかわる恨みはアマガツが、その身に責を受けて身代わりとなるのです」。



●一行訳8

12-14 かハるなり あれおにものお カハルナリ アレオニモノオ 【カハルナリ、身代わりとなるのです」】。【アレ・オニモノ・オ、荒れた・鬼者・を、策略で攻撃する曲者は】
12-14 やぶるなら そらはふこにて ヤブルナラ ソラハフコニテ 【破るには】、【ソラ・ハフ・コ・ニテ、嘘・這う・子にて、人形を囮にして】
12-15 まねきいれ しめひきわたし マネキイレ シメヒキワタシ 【マネキ・イレ、引き入れて】、【シメ・ヒキ・ワタシ、捕らえて(吟味方に)引き渡し】
12-15 みそきなせ おにかみしばる ミソキナセ オニカミシバル 【ミソキナセ【罪障をあかし黒幕を知るのです】オニカミ・シバル【鬼守・縛る、悪い御上を捕縛する】
12-15 うつわもの そらほおことハ ウツワモノ ソラホオコトハ 【ウツワ・モノ【優れた物である】ソラ・ホ・オ・コ・ト・ハ【空虚・穂・生・子・とは】
12-15 ひつしばえ わらもてつくる ヒツシバエ ワラモテツクル 【(稲の)ヒツジバエ、収穫後の(先々代であるイサナギの庶子の報われなかった子等を表わす)稲藁を束ねた】【藁で作った】
12-16 かんがつハ ぬのもてつくり カンガツハ ヌノモテツクリ 【カン・ガ・ツ・ハ(これ)、(報われなかった)御上・による・護りの人形なのです】。【布で作り】
12-16 かみまねく アきつめのうた カミマネク アキツメノウタ 【神(の僥倖)を招く】【ア〔敬〕キツヒメの歌】





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●連続訳
策略で攻撃する曲者を破るには、人形を囮にして、引き入れて、捕えて吟味方に引き渡し罪障をあかし黒幕を知るのです。
悪い御上を捕縛する、優れた物である、「空虚穂生子」とは稲のヒツジバエ、収穫後の(先々代であるイサナギの庶子の報われなかった子等を表わす)稲藁を束ねた藁で作った、カンガツハこれで、報われなかった御上による、護りの人形なのです。
布で作り神の僥倖を招く、ア敬キツヒメの歌。
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この、報われなかった御上に注目し、再びそのような不義理が生じることが無いように、古い親戚付き合いを重視してトミに不平、不満が出ないようにしながら、新しい縁組を祝うというのが、この稚児人形の精神である、ということなのでしょうか。



かつて、「〜その155〜」でこのような図を示しましたが、ハルナの部分以外は変えていません。


●一行訳9

12-16 アまかつに かみたまわれハ アマカツニ カミタマワレハ 【ア〔天〕マカツニ、アマ(朝廷が)勝つために】【神が味方した】
12-16 もろはたれ さハりなすとも モロハタレ サハリナストモ 【ハタレ共は】、【障りを仕掛けても】
12-17 きみがみに ヒとたびかハり キミガミニ ヒトタビカハリ 【キミの身に】、【ヒ〔一〕トタビ・カハリ、身代わりとなって】
12-17 たちまちに たちはたらきて タチマチニ タチハタラキテ 【タチマチニ、すぐさま】【タチハタラキテ、威力を発揮する】
12-17 きみがをゑ みなまぬかるゝ キミガヲヱ ミナマヌカルル 【キミへの穢は】【すべて免れる】
12-17 アまがつのかみ アマガツノカミ 【ア〔天〕マカツノ、天・間、天の使いの・ツ、守護の・神、(これこそが身代わりの)アマガツの神です」】。





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●連続訳
「朝廷が勝つために、神が味方した。
ハタレ共は、障りを仕掛けても、キミの身に、一度、身代わりとなると、すぐさま、威力を発揮する。
キミへの穢は、すべて免れる、天の使いの守護の神、これこそが身代わりのアマガツの神です」。
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この部分をアキツヒメのウタに対する反歌とするのは無理があります。
形式的にも反歌ではないし、単にカスガの総括文だと考えて良いのではないでしょうか。



●一行訳10

12-18 このうたお みはらにこめて コノウタオ ミハラニコメテ 【コノ・ウタ・オ、この歌を】、【ミハラ・ニ・コメ・テ、(アマガツの)御腹に込めて】
12-18 つくるへし ときにしほかみ ツクルヘシ トキニシホカミ 【作りなさい】。【この時、シホ守が】
12-18 またとハく いつれもみぎの マタトハク イツレモミギノ 【また訊きました】。【どれも皆、同じように】
12-18 ことくかや かすがこたえて コトクカヤ カスガコタエテ 【つくるのでしょうか】?【カスガが答えて】
12-19 さにあらす たゝにつくれハ サニアラス タタニツクレハ 【そうではありません】、【タタ・ニ・ツクレ・ハ、ただ、(煮て、次行の導引)似たように作れば】
12-19 かれきなり みたまあればそ カレキナリ ミタマアレバソ 【(それは命の無い)枯れた気です】。【御霊が必要なのです】。
12-19 たとふれハ しほのあちあり タトフレハ シホノアチアリ 【タトフ・レ・ハ、例えるなら】【シホ・ノ・アチ・アリ、塩の味があります】
12-19 はからねハ あちなしやけど ハカラネハ アチナシヤケド 【ハカラ・ネ・ハ、考慮しないなら】、【アチ・ナシ・ヤケド、味気の無い潮を焼いても】
12-20 しほならす このアまがつも シホナラス コノアマガツモ 【シホ・ナラ・ス、(良い)塩にはならないのです】。【コノ・アマガツ・モ、このアマガツも同じで】、
12-20 こゝろあぢ いれてなすなり ココロアヂ イレテナスナリ 【ココロ・アジ、心の・味を】【イレ・テ・ナス・ナリ、入れ・て・作るの・です】
12-20 そのときに しほかまはしめ ソノトキニ シホカマハシメ 【その時に】、【シホカマハシメ、シホカマをはじめとして】
12-20 もろほめて はやあきつめの モロホメテ ハヤアキツメノ 【皆が褒めて】、【ハヤアキツ姫の】
12-21 いさおしお よゝにのこして イサオシオ ヨヨニノコシテ 【イサオシオ、(輿に乗ってアメ亜族を柔した)功績を】【ヨヨ・ニ・ノコシ・テ、代々に遺して】
12-21 さつさつの こゑとたのしむ サツサツノ コヱトタノシム 【サツ・サツ・ノ、幸々の】、【コヱ・ト・タノシ・ム、節で愉しむ】
12-21 よめいりの そのさきのりの ヨメイリノ ソノサキノリノ 【ヨメ・イリ・ノ、嫁入り(良人の家に入る良妻)・の】【ソノ・サキ・ノリ・ノ、前・乗り(花嫁の前にアマガツを乗せた輿を通す)・の】、
12-21 アまがつぞこれ アマガツゾコレ 【アマ・ガツとは、このことなのです】。





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●連続訳
この歌を、アマガツの御腹に込めて作りなさい。
この時、シホ守がまた訊きました。どれも皆、同じようにつくるのでしょうか?
カスガが答えて、そうではありません、ただ、(煮て、次行の導引)似たように作れば、それは命の無い枯れた気です。
御霊が必要なのです。
例えるなら、塩の味があります、考慮しないなら、味気の無い潮を焼いても良い塩にはならないのです。
このアマガツも同じで、心の味を入れて作るのです。
その時に、シホカマをはじめとして皆が褒めてました。
ハヤアキツ姫の、輿に乗ってアメ亜族を柔した功績を、代々に遺して、幸々の、節で愉しむ、嫁入り(良人の家に入る良妻)の前乗り(花嫁の前にアマガツを乗せた輿を通す)の、アマガツとは、このことなのです。
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このアヤは短いのですが、じつに様々な要素を盛り込んであり、全体の知識、特に家族関係を知らないと通り一遍の理解しか得られません。
地名に残っている現在の塩釜は、もうすこし後の時代のもので、弥生時代の製塩中心については「〜その156〜」に考察してあります。

また、製塩方法としては、縄文時代のものとは大きく異なり、温度による溶解度の差を利用した再結晶法であることが、現在の古典的製塩事業に残されています。
後世に導入された「藻塩焼く」という技法も弥生時代にはなかったことになります。





12アヤを続けて書くと、こんな話になります。

●連続訳
アキツヒメとアマガツのアヤ
めでたいめでたい、歌う声と新郎新婦の幸せを祝う、その基は、稚児人形を、ハヤアキツヒメが作り初め、アマテルの御子、ヲシホミミがアマツヒツギを受ける時、多賀の甲で、タクハタヒメが入内しました。
その先輿のアマガツを、シホカマの守(当代はハヤアキツの子、アマツヒコネ・タタキネ)が、まだ知らなかったので、カスガの守に、故を問いました。
カスガが答えて、これは昔、アメ族のマスヒト(シラヒト)が謀反を起こして、6つのハタレが世表に沸き満ちて、タミを苦しめたのです。

その時に、アマテル御上の作戦に従い、諸守の討つハタレの中で、御上のハルナが謀ろうとして、アマテル御上の意図を読んだのですが、ヲヲンカミは、これを知りたまい、1歳半の稚児を、手輦の内の袂の下に置いて、立てる息(泣き声、笑い声等の喃語)が混じるために、ハタレは、アマテルの真意を疑って、呼吸を謀ることが出来ませんでした。
結果を見た、ヲヲンカミは、深慮遠望な方なので、聡くハタレの作戦を見越して御歌を作り、その染札を、笹餅に付けて投げた。
書かれていたサツサ・ツツ・ウタは、

「そんなにしても、ハタレも勢いが、ちょっと足りない。
いくらがんばっても、もう手立ては無いよ。
だから、何をしてもアメの御上には効かない。
日月のように、わしらは、天地を照らすのさ」。

颯爽と、諸が歌ったので、これを聞いたハタレは、作戦も乱れてしまった。
そこで、この歌を、サツサツの節で楽しみながら、その稚児を、都に送ったが、御上の前に出ても、何だかもわからず、這い出て行こうとした。
アマテルは稚児をあやして、これを褒め、汝、這う子の手柄は、諸御上に勝っている。
これからも、キミに仕えなさい、「神天の護り」と、名を賜った。
この事跡を基に、アキツヒメが、布で作った稚児人形は、アキツヒメ御上の御歌を込めてチチヒメに、賜わったので、これを、花嫁行列の先駆けの、障りを除く、アマガツとしました。

「もしも妬みの咬むときも、アマガツが侍れば免れるのです。
もしも恨みによって、悩まされることがあっても、お側にアマガツが侍れば、これを退けるのです。
命にかかわる恨みはアマガツが、その身に責を受けて身代わりとなるのです」。

策略で攻撃する曲者を破るには、人形を囮にして、引き入れて、捕えて吟味方に引き渡し罪障をあかし黒幕を知るのです。
悪い御上を捕縛する、優れた物である、「空虚穂生子」とは稲のヒツジバエ、収穫後の(先々代であるイサナギの庶子の報われなかった子等を表わす)稲藁を束ねた藁で作った、カンガツハこれで、報われなかった御上による、護りの人形なのです。

布で作り神の僥倖を招く、ア敬キツヒメの歌。

「朝廷が勝つために、神が味方した。
ハタレ共は、障りを仕掛けても、キミの身に、一度、身代わりとなると、すぐさま、威力を発揮する。
キミへの穢は、すべて免れる、天の使いの守護の神、これこそが身代わりのアマガツの神です」。

この歌を、アマガツの御腹に込めて作りなさい。

この時、シホ守がまた訊きました。どれも皆、同じようにつくるのでしょうか?
カスガが答えて、そうではありません、ただ、(煮て、次行の導引)似たように作れば、それは命の無い枯れた気です。
御霊が必要なのです。

例えるなら、塩の味があります、考慮しないなら、味気の無い潮を焼いても良い塩にはならないのです。
このアマガツも同じで、心の味を入れて作るのです。
その時に、シホカマをはじめとして皆が褒めてました。
ハヤアキツ姫の、輿に乗ってアメ亜族を柔した功績を、代々に遺して、幸々の、節で愉しむ、嫁入り(良人の家に入る良妻)の前乗り(花嫁の前にアマガツを乗せた輿を通す)の、アマガツとは、このことなのです。
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この部分は、シホカマが製塩事業の司であるために出てくるのです。
塩の専門家なら塩の味にはうるさいでしょうね。

私も、昔カナダに行ったとき、バンクーバーアイランドで、海水を舐めてみたことがあります。
日本の沿岸地域の味と比べて、かなり薄いと感じました。
その後、焼いた魚を食べたのですが、他の料理に比べ、はるかに美味でした。
バンクーバーアイランドの塩は、華やかさに欠けているのではないかと考察したのです。
季節や地形、潮時の都合もあるのでしょうが、2月の第一周に桜が咲いたり、変な処でした。
旨かったのはその時に食べた魚と、アイスワインくらい、寂しいところだな、と思ってしまったのは残念なことです。
お呼ばれした家ではスイカが出てきたりして、奥さんが「今日はどうしても、スイカが食べたかったの!」というのです。
あいにくと、輸入物で、カナダではスイカは出来ないとか。

さて、話をハヤアキツヒメとタクハタチチヒメに戻しましょう。

ハヤアキツヒメは、イミ名をアキコ、タクハタチチヒメは、ススカといいます。
この二人、どうやら親戚なようで、本貫地は近く、どちらも鈴鹿峠に近いところなようです。

アキコのミヤは片山神社(かたやまじんじゃ)と考えられます。



片山神社(かたやまじんじゃ)
三重県亀山市関町坂下636
34.891172,136.337079

祭神
倭比売命
瀬織津比売神
気吹戸主神
速佐須良比売神
坂上田村麿
天照大神
速須佐之男命
市杵島姫命
大山津見神

利用河川は鈴鹿川ですかね。

どこにもハヤアキツの名前が無いじゃないかぁ!と不満を言われても困ります。
神道では「祓戸の神(はらえどのかみ)」としてまとめられていることも多く、「速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)」としてまとめられていることもあります。
一番考えやすいのは、「倭比売命(やまとひめのみこと)」に上書きされている可能性です。
倭比売命の時代に、神道は、それまでの先祖を祀るだけだったのが、国家統治のための世界宗教になったと考えられます。
アマテルが女性神アマテラスになり、依代もカガミに統一されて行ったのもこの時代と考えられます。

速川一族についてはこれまで、何度となく書いてきましたが、神道では、かなり歪んでいます。

鈴鹿峠付近は川筋には近いのですが、斜面ばかりで耕地は狭く、食料生産は主に陸稲に限定されていたのではないかと想います。
ミヤの標高は300mもあり、あまり楽ではない場所だったのでしょうか。

かわりに、商品作物として楮(こうぞ)を作っており、太い糸で木綿(ゆう)の布を織っていたようです。
ハヤサスラヒメは速川の・流離いの姫という意味ですが、この姫達は、いずれも大日のヤマトに入内しています。
そして新たな知行として、サクナタリ(佐久奈度)を得たと思われます。
ここで、大日のヤマトは、その名の通り、オオヒヤマの麓の「家・間・処(直参の集う所)」という意味ですから、ほとんどのトミは佐久奈度に移住したことでしょう。
地元を管理する代官はいたと思われますがセオリツの死後、モチコ・ハヤコが出奔した結果、トミ・タミは食えなくなったと考えてください。
そこで、アマテルがアキコを入内させたという行為は、そのトミ・タミを救済したのと等価なのです。

次はタクハタチチヒメですが、長いこと、タクハタの意味は良くわからないでいました。
神道では、栲幡千千姫命(たくはたちちひめのみこと)と書きますが「栲」はやはり、楮の意味です。
幡は機と書く場合もあり、こちらのほうが適切でしょう。
ただ、なぜ楮の機なのかはわからなかったのです。
今回、「ヌノモテツクル」を多発しているので、やっと理解しました。
ゆうの布はこの地の名産になっていたのです。



椿大神社(つばきおおかみやしろ)
三重県鈴鹿市山本町字御旅1871
34.964444,136.451667

祭神
猿田彦大神
瓊瓊杵尊
栲幡千千姫命

標高は220m
川筋は鍋川(なべかわ)

こちらは耕作に適した場所のようです。
チ〔千〕チ〔乳〕ヒ〔人〕メはヲシテでは、千の乳という表記なので、「ゆうの布で千人養う姫」というくらいの意味になります。
これも、ごく最近、確信を持てるようになったのですから、正書法は大事ですね。
チチヒメは夫であるヲシホミミの死後、伊勢で学び、鈴鹿の山で箱根の方角を向いて葬られているようなので、現地で探すと墓所が判明すると思われます。
じつは、この椿大神社には御船磐座(みふねいわくら)という、一見して、周石墓と思われる遺構があります。
これが箱根の方角を向いていれば、チチヒメの墓に決定なのですが、さて、どうでしょうか。
ただの神社なので、実測図もなく、わかりません。
地元のかたが居らっしゃいましたら、レポートをお願いしたいと思います。ただ、この山、多数の仏教遺構と思われる石組みが相当あるようなので、簡単には弁別できないかもしれません。



ミヤの中に舟型の墓といえば、カモワレテのトヨタマヒメを思わせますが、トヨタマヒメの場合、地上、あるいは半地下式であるのに対して、こちらは地下式なので、同族ではないかもしれません。



さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/