10アヤの続きです(一部コロナ)
■カシマ断ち
10-24 このたひハ たかみむすびの コノ・タヒ・ハ【此の・度・は、今回は】タカミムスビの
10-24 とみかれお のぞくかどでの トミ・カレ・オ【トミの不祥事を】ノゾク・カドデ・ノ【除く門出の】
10-24 かしまたち ワにすきまつる カシマタチ【カ(右)のシマ断ち】ワ・ニ・スキ・マツル【地に梳き奉る】(アメ族主流以外の)
10-24 かみはかり ふつぬしよしと カミハカリ【諸侯会議】で、フツヌシ・ヨシ・ト【フツヌシが良いだろう】と
10-25 みないえハ たけみかつちが 皆が言ったので、タケミカツチが
10-25 すゝみいて アにたゞひとり ススミ・イテ【進み出て】アニタダヒトリ【どうして只ひとり】
10-25 ふつぬしが まさりてわれハ フツヌシがマサリテワレハ【勝って私が】
10-25 まさらんや たかきいさみの マサランヤ【勝らないのか(反語)】タカキ・イサミ・ノ【高い勇の】
これは、どういうことでしょうか。
聡明な朝倉氏でさえ地の神に祈ってカの島を断つ祈願とした、とか。
池田満氏など地鎮祭をした、とか書いていました。
これなど、考古学者の責任としか考えられません。
二言目には祭祀が、宗教がとまくしたてますが、政治が空白になっているのです。
このような認識ではこんな簡単な文でさえ読み間違ってしまうのです。
地鎮祭をしたり、地の神を拝んでいるのではないのです。
カミハカリというのは単純な会議体なのです。
ワニスキマツル諸侯会議というので、カミハカリのメンバーが偏っているのです。
つまり、出雲に不満を持つメンバーばかりを招集したわけです。
そこで、軍事解決を図るべく、フツヌシを頭にして討伐しろ!という意思なのですから、これを押さえてしまったらこの会議体は完全に朝廷の敵に回ってしまいますから、ここはひとつ上手く行く方法を考えねばなりません。
そこで見た目に無骨な筋肉バカだと思われるタケミカツチが名乗り出たのです。
実はタケミカツチは相当な策士ですから、せいいっぱい野蛮な奴を演じています。
よーし、じゃあ、こいつに頭を取らせりゃ、出雲はボコボコだな、うん、それで行こう!、とあっさり決まるのです。
まあ、こんな具合にカ(右)の島、つまりオオモノヌシの任にあるオホナムチを解任することにしたのですね。
オオモノヌシというのはヤソ(80人の私兵)を率いているので、大変な実力があるので、もし、反逆したら、中央の兵などモノの数ではないでしょう。
9アヤにも出てきましたが、オホナムチの私兵というのは全部で181人の息子達(皆異母でしょうね)で構成されているのです。
出雲の周辺国では、この軍事力を恐れて逆らえない(と思い込んでいる)のですね。
実際には、オホナムチというのは、単純に商売の上手いオヤジなんですが。
これは佐太神社、ソサノヲのところで天領だと話してあります。
オホナムチの勢力が大きくなるにつけ、ここを知行として与えたのだと推測しました。
つまりオホナムチを大きく育ててモノノベを国軍の前渡しにしているようにみえるのです。
中央の朝廷は不満のある各地が台頭してくる前に出雲を公権力として利用可能にしておきたかったと推測されます。
同時に、出雲の慢心を戒めておく必要もあるのですが、アメワカヒコはタカミムスビのシナリオを理解せずに自分の置かれた境遇に順応してしまった、と考えれば納得が行くでしょう。
つまり、軽率な人材はプロジェクトの途中で退場すべきなのです。
(ここまで言うと、じゃあ、タカミムスビは軽率でなかったというのかよ!といわれるかもしれませんね。)
まあ、アメ族のトミというのは、せいいっぱい自分を表現しつつ、結果に責任を負う、という「滅私奉公」を基本としているので、ここでライフを終わっても、業半ばで殉じた、讃えるべきトミなのではないでしょうか。
私が悪口を言いたいのは東朝鮮のプロトタイプそのものなので、ここでは問題になりません。
たとえば明治政府とか。
佐太神社
35.508894,133.004136
この佐太神社の地図の上の方に鹿島町とあるのに気がついた人はいるでしょうか?
気の回るタイプの人は、さっさと調べて、wikiにもあるじゃないか、明治29年に島根郡と秋鹿郡の中間にある佐太神社をひとつの町にまとめた時、二つの郡から一文字ずつとった(おきまりの話)ので偶然の一致だろう、と捨ててしまう情報なのです。
私は明治政府は歴史のある神社等はすべて皇国史観に書き換えるため、操作していると考えているのです。
無論、島根郡も秋鹿郡もあったとは思いますが、それより前は?とも考えるのです。
つまり、島根半島の北側ほとんど全部が鹿島郡だった時期があるのでは?と思ったのです。
実は、島根半島はこの佐陀川によって東西に分割されており、美保崎のあるところは「島」になっているのです。
佐陀川は天明年間に開削された運河だそうです。
松江から直接日本海に行けるのだそうで、なんともはや。
この画面中央から左側の色の薄い部分は縄文時代には海だったかも知れませんが、講武川(こうぶがわ)の沖積平野で古くから農地として使われていたそうです。
また、この地域は縄文遺跡の貝塚や弥生後期の銅鐸や銅剣、また古墳時代の竪穴住居まで、さまざまな遺跡が入り混じって発見されており、教育委員会のタコやイカを悩ませているそうです。(ゲソ)
これは江戸時代の終わり頃描かれた伊能図(南側)
すでに秋鹿郡島根郡が別れて描かれています。
これが北側、佐陀川(図中では佐田川と)からは外れてまっすぐ北に境界線が。
そんなわけで、私の予想はもろくも崩れ去り(そうになっています)
でも、まだわかりません、現在、この片句浦と書いてあるすぐ東側に島根原発があります。
つまり、昭和の時代になっても、利用価値の無い地域と認識されていたのです。
利根川付近の鹿島でさえ、昭和の時代には「陸の孤島鹿島」を開発しよう!なんていうキャンペーンが繰り返されていたのですから。
こんなところに日本の礎が築かれているのは許せない、と考える人の、なんと多いことでしょう。
まあ、それはさておき、この図の左下のあたりには「志谷奥遺跡(しだにおくいせき)」なんていうのもあって、銅剣と銅鐸が出土しているのです。
ごていねいに、南西1.2kmには朝日山(つまり浅い日の山)なんかがあったりもします。
そもそも、この村が古浦だもんね。
志谷奥遺跡(しだにおくいせき)
35.517015,132.990779
ト さて、だいぶゴリ押ししたので気が済んだようで、本文にもどりましょう、どーせ、イズモは謎だらけなんだし。
えー、タケミカツチは自分が頭を取ることで、「命令されてラジカルな行動を取らされる」のを避けたかったのですね。
じつに上手い戦術です。
10-26 みかつちや ふつぬしそえて ミカツチや(切れ字)。フツヌシソエテ【フツヌシを副えとして】
10-26 かしまたち いつもきつきに カシマタチ【(船で)鹿島を出立した】イツモ・キツキ・ニ【出雲の杵築(浜に上陸して)】
ルートはもう、迷うことなく全行程船で行きましょう。
東国の鹿島→九十九里→伊豆岬→熊野沖→潮岬→日ノ御埼→和歌浦→
ここまで書いて、不安になりました。
あれ?ホントに東国から出発したのかな???
まだカの島を取る前じゃん、鹿島が佐太神社のあたりなら銚子のミヤは鹿島神宮じゃないじゃん。
やはり原典に忠実に読まないとな。
出発地は琵琶湖、彦根付近の港ですね。
無論、大船団でなければ、犬上川の奥、大日のヤマトから移ったばかりの多賀大社から出発したことになるでしょう。
タカミムスビにすれば混乱して開戦!ってのは避けたいだろうから少数精鋭、多くても3隻ってとこかしら。
なんか、3日くらい得した気が。
ヱ オヤジが軽率なだけじゃん。
ト そーだそーだ。
し、失礼しました・・・
で、安曇川から遠敷に抜けて日本海沿岸をサダノミヤは通り過ぎて都築浜、わーすごい簡単☆
以前、悩んだのが嘘みたいですね。
10-26 かふつちの つるぎおうえて (ハタレ討ちで賜った)カフツチの剣を(砂浜に)刺して
10-26 うつくまり なちりとふなり うずくまり、ナチリ・トフ・ナリ【問い糾した】
10-27 みほこりて アさむくみちお ミホコリテ【我が身を誇って】アサムクミチオ【欺く政道を】
10-27 ならさんと われらつかふぞ ナラサ・ン・ト【平らげようと】ワレ・ラ・ツカフ・ゾ【我等は遣わされた】
10-27 そのこゝろ まゝやいなやゝ ソノココロ【(これまでの不正の)真意は】ママ・ヤ・イナヤ・ヤ【どうだ!?】
まあ、脅しを演出しているだけでしょう。
■コトシロヌシの判断
私は負けておいて良いのですがー、納得しないのが居るとおもうんでー、そのぉ・・・
10-27 おほなむち こたゑとわんと オホナムチは、コタエ・トワ・ン・ト【(私には決められないので)答えを問うのに】
10-28 みほさきの つりえきゝすの ミホサキノ【美保崎の】ツリ・エ・キキス・ノ【釣り・へ・使者・の】
10-28 いなせはぎ アめのこたえお イナセハギ(を遣わし)アメ・ノ・コタエ・オ【アメに対する答えを】
もしかすると、コトシロを出すのもアマテルとの取り決めがあったのかもしれません。
28アヤにはそれっぽい設定が用意されていますから。
28-45 たけこがこ くしヒこうまれ タケコの子であるクシヒコが生まれて
28-45 すぐなれバ さつくみほこに すぐなのだが、ミホヒメをめあわせることを
28-45 かんがみて みもろにいりて 考えている。私がいなくなって
28-46 ときまつも みちおとろハゝ 時がたつと、(アメが)弱体化したと、
28-46 またいでゝ ヲこさんためや 機に乗じるものが出るだろう。
いかがでしょうか、アマテルが世を辞すときの遺言になっているようです。
正確に読むには28アヤを先に読んで流れを把握する必要がありそうです。
10-28 とふときに ことしろぬしが トフ・トキ・ニ【問う時に】コトシロヌシガ【事代主が】
10-28 ゑみすかほ われすずかにて エミスカオ【微笑んで(言った)】ワレスズカニテ【私はスズカの教えで】
10-29 たらちねに ほろゝなけとも タラチネニ【両親に】ホロロ・ナケ・トモ【(再三)そのように言ったが】
10-29 ちのたゐぞ さかなときるも チノタヰゾ【鈎の鯛、釣られた魚で無力】サカ・ナ・ト・キル・モ【逆な(酒菜)・と切るも、逆らって撥ね付けるのも】
10-29 おろかなり たかまハたみの オロカ・ナリ【愚か、知恵が無い】。タカマはタミを
10-29 ゑみすたゐ いとかけまくぞ ヱミスタヰ【喜ばせるところです】。イト・カケ・マク・ゾ【はっきりと権威をもって】
10-30 みことのり わがちゝさらバ 宣言された。ワガ・チチ・サラ・バ【我が父が去るのなら】
10-30 もろともの かえことなせハ モロトモノ【諸共に(去ります)】カエ・コト・ナ・セバ【(戻って)報告すると】
私の一行訳はもはや、多少の掛詞は内包しているので、ことさら解説する必要は感じなくなっておます。
これとは逆に、「かけまく」などというのは神道の祝詞にも出て来る定型化した表現なので、深く考えずにそのまま使わないとダメですね。
■タケミナカタの立場
今回の、タカミムスビの仕掛けで、もっとも重要なのが、このタケミナカタの部分です。
10-30 またひとり アりといふまに マタヒトリ【まだ一人】アリ・ト・イフ・マ・ニ【いるぞ!と言うまに】
10-30 アらハるゝ たけみなかたぞ アラハルル【現れたのは】タケミナカタだった。
10-31 チびきいわ さゝけてたれか チビキイワ【導き祝う(酒に掛かる枕)】ササケ・テ・タレ・カ【弄言をもって誰か】
10-31 わがくにお しのびしのびに ワガ・クニ・オ【我が国を】シノビ・シノビ・ニ【知らぬ間に】
10-31 おとさんや いてわがちから オトサンヤ【陥れようとするのか】イテ・ワガ・チカラ【それなら・私の・力と】
10-31 くらへんと とるてもいわの クラヘント【(悪知恵と正義の力を)比べよう!】トル・テ・モ・イワ・ノ【取る手も岩のような】
10-32 みかつちが とらえてなぐる ミカツチが、掴まえて投げ業をうった。
10-32 アしがひの おそれてにくる アシガヒノ(オソレに掛かる枕)【(タケミナカタは)アシガヒのようにへたり】、恐れて逃げ出した。
10-32 しなのうみ すわといふとき シナノ・ウミ【シナノ海、現宍道湖西端部】スワ・ト・イフ・トキ【スワ!というとき(諏訪、現島根県出雲市斐川町庄原のミヤに逃げ込んだ時)】
ここは最近、解説していますが、自分のミヤまで逃げて、威厳を正して他意の無いことを宣言していますが、これこそが問題の部分なのです。
「〜その139〜」でタケミナカタの領地について言及していますが、その前フリでコロナの話をしているので、意識がそれている人も多いと思います。
実はこのコロナと肺のガス交換の話を書いた直後から、民放ですが、表のテレビでも「血栓」の話をやりはじめたのです。
サイトカイン毒性は溶血するものと血栓を起こすものがあるようで、溶連菌による溶血障害と言うと不正確ですが、関節リウマチのような症状とコロナのように肺胞内で血栓を形成するもので、症状の発露が異なるのです。
私は専門でないので想像になりますが、コロナ感染下の、とある環境で微細な凝血反応が起こり、肺胞だけでなく全身の毛細血管内で血栓を生じるのです。
一般に血栓と言うと、大きな塊ができるのを想像しますが、コロナによるサイトカイン毒性に類したものは微細構造で起きるようです。
それで血栓を生じた部位により症状が異なるようで、その部位で血行が阻止され、線維化等の壊死が起こるのです。
肺で発生すればガス交換ができなくなり窒息が起こり、心臓で発生すれば心筋が壊死することになり心筋梗塞が、腎臓で発生すれば腎機能の低下で尿毒が発生し、脳内で起これば脳死が発生します。
他にコロナでは皮膚炎が報告されているのですがマスコミは知らぬ顔をしていたのではないですか?
毛細血管で血栓が起こると通常、その血管が破れることが知られています。
これもサイトカイン毒性の特徴ですがアレルギーがアレルギーを呼びこむようなものです。
破砕した組織が組織内に溢れるとマクロファージが破砕したのと同様に溶血したように見えますね。
皮膚の下層で発生した毛細血管の破砕はヒスタミン等を生じていわゆるアレルギー症状を呈するわけです。
この一連の騒ぎで、私も気づかなかったことに気づいたため、随分と認識を新たにしました。
かつてスペイン風邪というのが流行したことがあり、アメリカから世界大戦に参加するために船でヨーロッパに渡った兵士が大量に発病して死に至った事件が世界中に波及したのですが、その時の論文を読むと、1000体の死体を解剖した結果その100%で上気道に肺炎菌が存在していた、つまりありふれた肺炎菌の日和見感染により、万人単位の人が死亡していたのです。
私はその翻訳と原文を千代田保健所のセイコ課長に届けたのですが、当時流行し始めた新型fluの対策が変わることは無く、所内で会議が行われたこともなかったのです。
その、医師を名乗っていた課長は、その後、千代田保健所の所長になりました。
子宮頸がんワクチンの事件の時も、サーバリックスの治験の最中に死者が出たという報告書を届けたのですがその文書も握りつぶされたようです。
今回私が気づいたのはウイルスが免疫系を毀損したとき、とある環境下では、強力な溶血反応または凝血反応が起こり、二義的三義的にサイトカイン暴走(に見える)現象が起こっているのではないか、ということです。
最初の毀損はウイルスでなくても良く、なんらかの原因で自己免疫により重篤な症状を引き起こすということなのです。
たとえば、原虫によるマラリアなどは一度感染した人は回帰的に発症しますがその場ではキニーネの服用で簡単に抑えることができるのです。
手塚治虫のブラックジャックの話で、そいうウイルスが出てきましたが、普段は現れず、発症するときだけ姿を表わす「要素」がある、というものです。
「〜その133〜」で草津温泉の話を書いたのですが、そこに出てきた湯長が草津温泉の「時間湯」でアトピーの呪縛から開放された件に関連しているのです。
疥癬という疾病がありますが真菌等により自己免疫を発症する例ですが、湯の花で入浴をすると改善がみられるので昭和の時代までは感染が原因とされていたようです。(今でも?)
昔、昭和の時代にはサルファ剤(硫黄製剤)が多用されていましたし、売薬で買うこともできたので、しばしば発熱した私など、母が買ってきた「持続性サルファ剤」というのを何度と無く飲まされたことを記憶しています。
マラリアの話に戻りますが、マラリア症状がでているときは血中に原虫が大量にいるとか。
それで血中から消えれば完治と考えたのでしょうが、何度も症状が回帰するのです。
こういった原虫、あるいはリケッチア、それらは環境の一部と考えると辻褄が合います。
たとえば、ネズミとペスト、エヒノコックスとキタキツネ、こういった目に見える動物は分けて中間宿主などと呼んでいますが、目にみえるかどうかの違いでしかないのです。
とある環境が形成されたときに発症するのです。
疥癬の話をしたのは今回のコロナと関係があるからなのです。
イヌのフィラリアだかに卓効のあるイベルメクチンとかいう薬があるようですが、人の疥癬にもよく効くというのです。
ここまで言えば、そうとうニブい人でも気がつくでしょう。
そう、コロナでもはっきりした効果があるのです。
なかなか、死亡率が1/10になる薬って少ないですよ。
まあ、気がつくきっかけになったのは人獣共通医療データベースの話を聞いたせいなんですけどね。
なにしろ、現代は人工細胞全盛で、動物実験など出来ない!という時代になってしまっているのです。
すべては分子生物学・分子栄養学のシワザなんです。
こんなの科学じゃない!現代医学を冒涜している!などといわれても、わたしはシロート☆
ではさいごだけ話をホツマにもどしましょう。
10-32 かしこみて われおたすけよ カシコミ・テ【畏まって】ワレ・オ・タスケ・ヨ【私を助けてください】
10-33 このところ ほかえハゆかじ コノ・トコロ【此の場所から】ホカエハユカジ【どこへも行きません】
10-33 そむかしと いえハたすけて ソムカ・ジ・ト【(朝廷には)逆らいませんと】イエ・ハタスケ・テ【言うので助けることにしまして】
タカミムスビがタケミナカタを押さえ込みたかったのは、本家、諏訪の諏訪族が台頭してきたのを抑えるためだったのではないでしょうか。
毎年、何人も人死にがでる儀式や人身御供すら要求する族が実力をつけてきたら、為政者は恐れるのではないですか?
最初から悪意の無いタケミナカタは逃げた後で、その機微を理解したので、朝廷に対して恭順の意をあらわしたのでしょう。
さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/