シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて~その47~ |  アンドロゴス生涯学習研究所

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しばらくやらなかったけど、サイバネティクス応用の話をします。

でも、その前に、ちょっとした雑音が聞こえてきます。
私がネット上でつかっている「One」というハンドルが、最近増えてきたのかもしれないのです。

なんか、最近ワンネスとかいうカルトがあるようなんです。
http://oneness555.com/

掲示板「阿修羅」にもあるしぃ
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/457.html

曰く、松果体をクリーニングする、とか。
そりゃ、私もデカルトと松果体の話は書きましたよ。
でも、石灰化した松果体をデトックスして松果体をクリーンにして鍛える!これであなたも第三の目を!!、みたいなのはどーでしょうかねぇ。
食口(しっく)にされちゃうよ、逃げて~!

私には私のカルトがあり、彼等にはその変なカルトがあるわけです。

簡単に私のカルト(信条)と彼等のカルト(信仰)の違いを示しておきましょう。
実に簡単なことです。

動物には捕食動物と腐食動物がありますが、食べられる側にも、その徳によって区別があります。
ふつうの生物は自ら食べられたいとは思っていないのですが、果物と乳だけが自ら食べられたいと思っている食品なのです。
果物は動物に食べられることによってその種子を遠方に運んでもらっているのです。
他方、種子はこの仲間ではなく、アーモンド(杏仁)、ゴマ、胡桃などは種子なので食べてもらっては困るわけです。

また、乳は自分の子を育てるために血液を変化させた食品です。
つまり、乳はそれ自体、食べて欲しがっている食品ということになります。
鶏は無精卵であっても毎日卵を生むので、食べられても良い食品だぁ、などと叫ぶのはちょっと無理があります。
有精卵は生きているので、食べて欲しがってはいないのです。
無精卵は生きていないので、ニュートラルかもしれませんが、見分けがつかないので、やはり食べて欲しがっていないのではないでしょうか。
乳、特に牛乳は、母牛の乳房を清潔に管理し、仔牛に飲ませた後も搾乳しきってしまわないと乳が滞留することになり、乳腺炎のおそれがあり(実は人間の勝手な言い訳ですが)あふれるほどの乳量があるため、持続可能な酪農を行うことは、何の問題もないのです。

さて、彼等のカルトは、牛乳は有害食品である!と断罪しているのですから、もはやこれだけで充分でしょう。
私は牛乳を愛しており、乳製品の信奉者でさえあるのです。
それゆえ、ワンネスとやらが私と同一視されるのはメーワクです。
彼等を見かけたら軽蔑してやってもかまいませんよ。プンプン(怒)

では、本題に入りましょう、今日は「意識」とは、という高度なテーマです。
はじめてこられた方は、以前の記事を参照していただけたら、と思います。

1回 サイバネティクス応用の話 ~「族」の根源を解き明かす、はじめの一歩
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/34931191.html

2回 21世紀の高校生、天馬君のロボット工学
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/34943021.html

3回 フェロモンと言語、対立とグループ化そして「個」と向き合う
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/34963001.html

4回 言語とデータベース、タグと記憶の関連
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/34995613.html

5回 LSIのマナーと大脳生理の比較検討
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/35005265.html

6回 I/Oプロセッサと局所脳
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/35022065.html

7回 ハードウェア脳とソフトウェア脳・パラパラアニメとエピソード記憶
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/35036883.html

8回 I/Oプロセッサと遺伝情報・悪口ではない族意識
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/35048875.html

9回 ソフトウェア型とハードウェア型思考、そして誤謬・族意識と東京電力の闇
https://blogs.yahoo.co.jp/andro_gosse/35056089.html

そして、今回は10回目になります。

これまでに話したことだけでは肝心の「意識」というものがなんであるか、説明されていませんでした。
意識は大脳新皮質が多層になっていることから生ずる記憶クラスの順序再生により得られる自己認識のことです。
その始まりは17世紀のデカルトに依拠することになります。
コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我有り)で有名なデカルトですが、彼のDiscours de la méthode(方法序説)にフランス語で書かれているものは Je pense, donc je suis.(私は考え続けている、すなわち、これにより私の認識が存在することが判った)なのです。
この解釈は等位接続詞donc(「ゆえに」を順接)に使用しているので含みがあるのは間違いありません。
動詞penserを日本語訳するのに「我思う」としてしまうのは僅かに言葉がたりていないのではないでしょうか。
ここでは時間的広がりを加えて「我思索せり」として、次の句は、「すなわち、我存在すればなり」とするのが妥当と思われます。
日本語の文語では「私の認識」という言葉は省略(sousentendu)されてしまって出てこなくなります(含蓄)
この言葉は、後にデカルト自身もふくめ複数の人によりラテン語に翻訳されたおりに哲学的表現に昇華されたと考えられます。
さて、フランス語文法にしたがって図解してみましょう。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/62/34755662/img_212?1496582637

これはデカルトの思索が自然科学から発せられたものであり、スピノザなどのような純粋に哲学的なものと一線を画するものとなっています。

現代に戻って、大脳生理学はその成果として、大脳新皮質が層を構成していることを識っています。
ただし、ディープラーニングなどの低次元な脳機能で引き合いにだされるほど、乏しい知見しかないのも事実です。
ここにサイバネティクスの光をあててみましょう。

コンピュータの用語に「環境をフォークする」という難解なものがあります。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/62/34755662/img_213?1496582637

システムの状態に変化があったかどうか知るために、予約されている割り込みなどをすべて掃きだしてその要素を確認したら状態確定フラグを立てて復帰します。
プロシージャがシステムの状態に無関係に機能するためには大域変数をもちいるか再帰可能なプロシージャを組むか・・・

あ、ごめんなさい、脱線しました、忘れてください。
フォークするときは恋人たちの語らいを妨げないように、慎重にやらねばならないと、MITの偉い先生も・・・

ヱ 言わない、言わない、ぜってー言わねーっての!

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/62/34755662/img_214?1496582637

この図の下の部分からニューロンが伸びていって節ごとにグループを作っており、そのグループのエージングに従って段階的につみかさねられているのです。

この構造は発生段階(胎児の時)に決まってしまうので、あとは老化するばかりだとか。

一番上にある意識が下に自分の前身が重なっているのを見て、自己の永続性と存在感を得ているのです。

これはコンピュータ上のデータベース構造で簡単にシミュレートできるのですが、ヒトの脳内ではそれぞれのエピソード記憶の「インデックス」だけが置かれているようです。(コルーチン構造)
ノイマン型のコンピュータ(つまり、現在ある普通のPCなど)ではCPUがすべてのセルをスキャンしなくては結果が確認できませんが、脳内ではすべてが独立した配線により並列動作をしていますので、1段遅延(つまり、ひとつのエピソード分の遅延)のみで自分の経験をすべて把握することができてしまうのです。

これまでお話したのは1つのエピソード経験を記述した部分だけで、実際には上の図を真上から見たように(つまり、大脳表面を見下ろしたように)脳機能ごとの意識脳の集合が同一のタイミングで動作していると考えてください。
これは、恐るべき規模ですが、これが同時に行われて初めて、「意識」のコレクションがが「自我」になるのです。

これを応用して、意味論的リレーションに基づいてコンテンツを表現することができるでしょうか?

例えば、弥生時代を考察する講座を行うシラバスに応用することを例にとってみましょう。

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-23-6b/andro_gosse/folder/1128972/62/34755662/img_215?1496582637

大脳表面に配置された各意識がこの図のように描かれていれば簡単なのですが、生憎と、隣り合った意識を構成するニューロン群は互いに対話することができません。
以前お話した漏洩ケーブルではないので、隣り合っていても極端に絶縁がすぐれており、対話することができないのです。
つまり、大脳表面に並んでいる物理的順序はデタラメなのです。
もちろん、各意識は有機的に接続されておりますが、その配線遅延はほんの数段にすぎず、論理単位でのタイミングはピッタリ整合しているのです。
この現象が起こるのは、発生段階において、大脳皮質で新しく伸びてきたニューロンは、先に確定しているニューロンの配線にさわって(舐めてみるのでしょうか?)、自分のエージングと比較して自分のほうが新しければ先に進む、という単純な機能のしわざだそうです。

大脳皮質の層構造の形成におけるニューロンの移動およびその意義というレビューがありました。
http://leading.lifesciencedb.jp/6-e004/

この大脳表面上での配置という点ではLSIの内部とは極端に異なります。
LSIの内部配線はモジュール間の距離がすべてであり、その遅延タイミングは電子の移動速度で決まってしまうので、勝手な配置設計はできないのです。(最適化されない配置は不均一な発熱により破綻するおそれがあります)

ですから、この図も観念的な図であり、中心から時代単位のエージングを表現しているのですが、充分に考慮された経験に基づいて作図されているので、奇妙な説得力を持っています。

この図を信じるかぎり、青銅器がつくられる以前から鉄器へのアプローチがあったことを否定できないでしょう。
テクノロジによる解析は、史学にとっても、大きな脅威になると思われます。
ただし、批判者にも便を開いてあり、彼等が証拠を提示して「この部分は間違いだ」と指摘すれば良いのです。
これまで、なんの物証もなしに「大御所的定説」しか提示していないのですから、無理だとは思いますが。

こうした専門知識に基づいた構造的な作図は、学習者にとって、シラバスを理解するのに大きな助けになるのです。
この記事を読まれた教育関係者は、入門者に対して、ご自分の講座を紹介するのに便利なツールになると思われます。
関連する講義を並べる、対極に配置する、これだけで類似していると思われるテーマも正しく把握することができるようになるでしょう。(教授の専門外では説得力はありませんが)

これは学生自身にシラバスを選択させるときにも取捨選択を容易にし、学習効果を高めることができるのです。

以前、私の住む都心の千代田区立の、とある中高一貫校でシラバスの提示を要求したときに、なかなか出すことが出来ず、半年もしてから立派に製本したシラバスを出してきたことがありました。
私はそんなものを要求してはおらず、純粋に無駄な行為だとおもいました。
シラバスを出せ、というのは端的な教育方針を聴いているのであり、コースの組み立てなど、何も考えていなかった、というのが真実なわけです。
くだらぬことはやめ、学年ごとに、図を一枚だけ出せば良いのです。(教育計画があれば、ですが、ね)

ヱ ォィ、オヤジ、千代田区立の一貫校って1つしかないじゃん、なにが「とある」だよ☆

しょーがねーだろ、財務省の手先、千代田区だしな。
まぁ、悪いのは、都教委で、経営支援センターの指導主事が悪の限りを尽くしているのだから、生徒が救われるわけがないだろ。
児相もグルだしな。
国と地方で行政が一体だというのが諸悪の根源と言っても過言ではないでしょう。

まあ、とりあえず、現場の教員には責任は無いとだけ言っておきましょう。
これは、うっかりでもないし、失政でもない、霞が関(だけじゃないけど)による攻撃なのです。

今は、あまり元気が出ないので、手ぬるいけど、これ以上はやめておきましょう。