奈良新聞(http://www.nara-np.co.jp/)の新春連載、「神話から歴史に~考古学からみた皇室の始まり」…
第3回目は「三輪山祭祀遺跡」
以下、転載
多くの初詣客でにぎわう桜井市三輪の大神神社。本殿を設けず、三輪山を「ご神体」とする日本最古の神社だ。三輪山は神が鎮座する「神奈備(かむなび)」として古事記、日本書紀(以下記紀)にも登場。西麓には「磐座(いわくら)」と呼ばれる巨石を用いた祭祀(さいし)遺跡が点在し、考古学的にも記紀の記述を裏付ける。
その一つ、大正7(1918)年に発見された山ノ神遺跡からは、表面に小さな勾玉(まがたま)が付く「子持ち勾玉」や管玉、銅鏡など、古墳時代中期(4世紀後半から6世紀)の祭祀遺物が多種多量に出土した。特に臼(うす)や杵(きね)などの土製模造品は、平安時代の法典「延喜式」に記された酒造用具と一致。万葉集で「三輪」の枕詞(まくらことば)に「うま酒」と歌われ、現在の大神神社にも続く酒造りの祭祀が行われたと考えられる。
古代祭祀を研究する奈良大学の小林青樹教授(考古学)は「ヤマト王権の中枢的な祭祀の遺跡。古墳時代に全国で行われた祭祀の源流と考えられる」と評価。昨年月から大神神社と東京国立博物館が所蔵する遺物について、これまでは断片的だった考古学的な整理、研究を進めている。
三輪山信仰はいつ始まったのか。北西に位置するヤマト王権の都、纒向遺跡の最盛期(3世紀~4世紀前半)には三輪山西麓に古墳が築かれず、すでに聖地だった可能性がある。纒向遺跡では、水が湧く場所で土器などを土孔に埋める祭祀が営まれていたとされる。
小林教授は「大王(天皇)の祭祀が纒向で誕生し、時を経て三輪山に移行した筋書きも考えられる。それを実証するためにも、どの時代の祭祀遺跡が、どこに分布するかなどの研究が必要だ」とする。
奈良文化財研究所との共同研究で遺物の3D計測なども実施。「今年は山ノ神遺跡の研究が始まって100年目。新しい手法も使って、これまでの祭祀研究を総括したい」と意気込んでいる。
以上、転載終わり
大神神社といえば山が御神体、巳(蛇)、三柱鳥居などいろいろありますが、お酒の神様でもあるんですね。
なんでも酒神様である、大物主大神と少彦名神を祀っているからと。
この神様に医薬、療病、禁厭(まじない)の術、製薬、酒造りの法などを教えてもらったそうです。
が…
京都・太秦に大酒神社というのがあります、そして兵庫県赤穂市には大避神社(おおさけじんじゃ)というのが…。
大酒、大避も元は「大闢」ではなかったかといわれています。
「大闢」は中国語版聖書では「ダビデ」の漢字版。
とんでも系に走ってしまった…
でも、合致するでしょ。