70年前、終戦の1日前、大阪・京橋の大空襲がありました…
毎日新聞より引用
京橋大空襲70年:遺族ら250人が追悼 大阪・城東(http://mainichi.jp/select/news/20150814k0000e040197000c.html
)
終戦前日の1945年8月14日、大阪市の国鉄(当時)京橋駅付近などが米軍に爆撃され、多数の犠牲者が出た「京橋大空襲」から14日で70年を迎えた。大阪市城東区のJR京橋駅前にある慰霊碑前では被災者慰霊祭が営まれ、遺族や住民ら約250人が参列し、犠牲者を追悼した。
京橋大空襲は、45年3月に始まった大阪大空襲の8回目で、大阪市内への最後の空襲となった。米軍のB29爆撃機の編隊が大阪城東側の大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)(大阪砲兵工廠)に集中爆撃を加え、近くの京橋駅や周辺にも1トン爆弾が落とされた。死者は500~600人に上ったとされる。
以上、引用終わり
当時、私の母はその城東区の住人。
昼間なのに空が真っ暗になった…、と言っていました。
終戦前日、そしてこれあまり知られていませんが、共産党が大好きな「ポツダム宣言」を受諾した日です。
で、ここから噂。
記事中では「死者は500~600人」となっていますが、実はもっと多く…
その犠牲になられた遺体が川べりに並べられていた…、とか。
そしてその遺体が一夜にして消えていた…、とか。
で、運ばれた先が大阪・鶴見区の某所…
そのあたり…、大阪市内でも開発が遅れていたそうで、○博をきっかけに開発された…、とか。
母に言わすと、「花がいっぱいで良いだろう」、なんて…
あくまでも…、噂です。