本日の朝日新聞に「白村江の戦い(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 )」と集団的自衛権を引っ掛けた記事が載っていました。
「白村江」といえば…、私の卒論のテーマ。
「白村江」に敗れた日本は百済からの渡来人を受け入れ、そして防衛面では各地に朝鮮式山城を築き…、ですが…
書いているときに指導の先生(助教授)がぽつりと…
「百済から渡来人がやって来たというのに、(白村江)以後の仏像って『新羅仏』ばっかりや」
調べてみると古代日本(ヤマト)ってたしかに百済より新羅っぽいんですよ。
「白村江」の前後、日本はなんかあったはずです。