黒海艦隊誕生から1231年 | andrewさんのブログ

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ドネツクなどウクライナ東部をロシアに併合する気はいまのところプーチンさんにはなさそうですが、いち早く併合したクリミア。

そのクリミアのセヴァストーポリ(Севастополь)に本拠地を置く「黒海艦隊(Черноморский флот )」。

その艦隊が昨日、誕生231年を向かえました。

以下、The Voice of Russia より転載

黒海艦隊誕生から13日で231年

5月13日、ロシア黒海艦隊は創立231周年を迎えた。1783年のこの日、クリミア半島の南西部に位置するアフティアルスカヤ湾に、5隻のロシアのフリゲート艦と20隻の補助艇からなるロシアの分艦隊が錨をおろした。これらの船こそが、後のロシア黒海艦隊の核になったものである。

その時までに、クリミアはもうロシア帝国の一部になっていた。あの当時戦争の嵐があちらこちらで吹きまくっていたが、クリミアの編入は平和裏に行われた。ロシアにとってクリミア編入は、帝国の南部国境の安全を保障するために是非とも必要だった。なぜならあの頃、クリミア半島は、タタール人などの諸侯が乱立し、絶えず互いに争いを繰り返し、権力の空白地でカオスが支配していたからだ。そうした無秩序状態は、ロシア帝国の辺境に住む人々を脅かしていた。それゆえロシア皇帝エカテリーナⅡ世は、クリミアのロシア併合に関するマニフェストを発表したのだった。半島の住民の大部分は、そうした事態の転換を熱く支持して受け入れた。

1784年、ロシア皇帝令により、アフティアルの町は、セヴァストーポリと名前を変えた。そして1年後には、黒海艦隊はすでに、60隻以上の軍艦、輸送艦を有するに至っていた。まもなく町は、黒海におけるロシア艦隊の主要な基地となった。

18世紀から19世紀にかけて、黒海艦隊は、トルコやフランス、その他の国々との戦いにおいて大活躍した。ロシア人船員らの海戦における輝かしい戦いぶりは、帆船の歴史の中に刻まれており、黒海におけるロシア帝国の優位性を確立させた。

黒海艦隊とクリミアには、さらにもう一つ英雄的な歴史のページがある。それは、1853年から1856年に起きたクリミア戦争の際の、セヴァストーポリ攻防戦だ。当時町は、英国・フランスそしてトルコの6万2千の軍部隊に包囲されていた。その時ロシア軍司令部は、セヴァストーポリ湾に敵が入るのを妨害するために、自国の艦船を沈める決定を下した。この防衛戦は349日間続いた。スヴァスト―ポリに立てこもったロシア軍は、それまで例を見ないような勇気を示した。英仏土の連合軍は、6回もの大規模攻撃、2回の急襲を試みたが、難攻不落の砦と化したスヴァスト―ポリをついに落とす事は出来なかった。

さらに1941年、ファシスト・ドイツが攻撃して来た時も、黒海艦隊は全力で彼らを向かい撃った。セヴァストーポリ防衛のため、そして黒海沿岸の他の町を守るために、再び命をかけて戦わなくてはならなかった。

現在ロシア南部の安全は、ミサイル巡洋艦や潜水艦から救助艇、補助艇などを含め約3000隻の艦船により守られている。そのほか黒海艦隊は、ミサイル搭載機や対潜哨戒機、爆撃機を保有し、さらには有名な海兵隊を持っている。

今年2014年3月、ロシア黒海艦隊の揺籃の地であるクリミアでは、住民投票が実施され、圧倒的に多くの人々が、ロシアへの再統合に賛成する意思表示をした。

以上、転載終わり

詳しくはこちら、РИА Новости(http://ria.ru/defense_safety/20140513/1007621190.html

黒海艦隊といえば、事実上の「地中海艦隊」。

仏、伊、墺、そして土なんかと一戦交えるためのもの。

いまから231年前、1783年。

そのころ日本では…

田沼意次の頃です。