読売新聞電子版の
「天武天皇の新都心計画?藤原宮跡から出土」
との見出しで藤原宮造営前の{新城」とみられる遺構が発見されました。
以下、読売新聞電子版より
奈良県橿原市、国特別史跡・藤原宮(694~710年)跡の中心部の下層から、宮殿造営前にあった建物跡5棟や運河、道路跡などが出土し、奈良文化財研究所が2日、発表した。
藤原宮ができる前は、飛鳥(明日香村)に都を置いていた天武天皇(在位673~686年)がこの場所に「新城」という“新都心”整備を進めたとされており、専門家はその一部の可能性があるとみている。
同研究所によると、宮殿中心部の下層を初めて大規模に調査。儀式などをした大極殿南側の広場「朝庭」を約700平方メートル発掘したところ、建物跡(最大で東西12・6メートル、南北4・5メートル)や資材運搬用とみられる運河(幅6メートル、深さ2メートル)を13メートル分確認。西側で道路(幅16メートル)の側溝も出土した。建物は2回建て替えられ、盛り土をして砂利敷きの朝庭に整備されていた。
さて、藤原京ですが、「ふじはらきょう」と読みます。
平城京は「へいじょうきょう」
平安京は「へいあんきょう」
と読むのに何故か藤原京だけは音読み。
藤原京を訓読みすると「とうげんきょう」。
「桃源郷」…?
桃源郷は道教の影響を受けています。
一様、藤原京との藤原と藤原氏は関係ないことになっていますが、藤原氏と桃源郷をかけたのではないかと私は思っています。