十字架と申しましても以前お話した「悪の十字架」では御座いません。
先日、落とし無事に戻ってきたやつです。
やっぱりというか安心感が違います。
で、よく(たまに)何故、死刑になったそんな縁起の悪いもの…、などというのを聞かれます。
と、いうことでちょっと説明を
Wikipediaを見ると「十字架はキリストの受難の象徴また死に対する勝利のしるし、さらには復活の象徴として捉えられた。このため「聖なる木」「死を滅ぼしし矛」などの美称がある」とあります。
そうです、復活の象徴なのです。
日本では復活祭よりクリスマスですが、キリスト教で一番は復活祭。
では何故か。
宗教っていうのは、まあぶっちゃけ「死」への挑戦です。
医学の発達していない古代において「死」は重大(いまもですが)な問題。
それに答を出す。
キリスト教は「復活」、仏教は「輪廻」、そして儒教のようにそれに触れないなどがあります。
しかし、「輪廻」というのはなかなか旨い手、またこれによって日本人の形成というか精神構造に大きく関わっています。
「輪廻」というものを少し考えみましょう。
あれっ、十字架からえらい離れてしまった(笑)。