そういえば、アイシャドウを購入して使っていない色があるのを、よく見かけますが、何故?

トライしてみようとは思わないのだろうか?

便利なようにと、沢山の色が、コンビになっているモノが多い。

もちろん単色のモノだってあるが、便利と、使い回しがきけば、それにこしたことはないのだからと、コンビのモノを購入するのでしょうが、普通にメイクをする中年の方などは、それでも、随分ともってしまうかも知れませんネ。


もちろん好みの色味ということでもいいのでしょうが、折角入っているのなら、せめて応用してくれればなぁと思います。


ほんの少ししか使っていなくても、眼がキレイになっていたりすると、あぁキレイにしてるなって、側にいる人は感じるものなんですネ。

日焼けして色黒だからとか、歳だからとかの言い訳をしないで、臆することなく、自分をキレイに磨くことにトライして欲しいものですネ。

同じ色味を使うよりも、トライすることで、新発見もあるし、自分の気持ちを高揚させることだってありますからネ。

ダイエット。試しては裏切られる。人は、その様に言う。しかし、意思さえあれば、誰にだって出来る事なんですネ。


ですが、いろんな美容方で、やり過ぎたものを、元に戻すというのは難しいことなんですネ。

ですから、少しずつ確かめながらやるというのがベストなんですけれど、時間の掛かる話をすると、お客様から顰蹙を買うことになります。

が、出来る限り説明をして、時間というものを費やして欲しいと願っています。


しかし、理解出来ない。もしくは、したくない人は多い。

あっという間の早変わりは、舞台では見物ではありますが、美容という世界には、危険と隣り合わせのことも意外と多いですネ。

社会の情報は、時として一面だけしか伝えないので、その後ろにあるものを推察するのは、自分の防御本能でしか出来ないことですから、安直に手を出す前に、一考するということを心に留めておいて欲しいと思います。

美容は、自分で、自分の為にすることがほぼすべてですから、その気で、取り組まなければ、答えは出ませんネ。

通販雑誌や、折り込みチラシなどに、たくさんの美容のアイテムが掲載されていて。これみよがしに効能をしるしていますが、それ全部うのみにする人はいないと思います。

モノの本質を考えておけば、何が自分に必要にのかということは理解出来ますし、欲しいモノがあれば、手にしてみるといいと思います。


ただ、モノから得られる美というものは、無理矢理と形に表現するようなことが多いのではないかと思います。

自己の努力をしないで、安直にモノに頼っていては本当の意味の美は望めないのではないか。


世間には、いろんな人が混在してくれているので、自分は、どのようであるのかを、見比べてみるのもいいのかも知れない。

その様なことから、学べるとしたら安いものだし、かなりな確率で、いい意味の美学が完成するのではないでしょうか。

モノに目を奪われるより、人を見て良否を確認するのも、また、一考ではないでしょうか。

キレイという概念は、わけの判らないものではありますネ。

これでいいという答えがあるようで無いようでもありますからネ。

結果的に、あれもこれもと手を出してしまうということになるのではないかと思いますが、美に魔法はないのですから、悩んだり、迷ったりして、できうることは全部やってみて、それでも手に入らなければ、それ以上にガンバルしかありませんネ。


個々人の美などという、あやふやなものに方程式などというものはありませんからネ。


先人達から伝えられたものをトレースしながら感じることがありますが、かなりの信憑性と欺瞞がすると。

しかし、そこには追求しつづけた跡が感じられます。

自分でも追求したほうがいいのですけれど、そのようなトレースから学べることは多くありますから、迷ったら学ぶということも大切ですネ。

どんな世界も深い味わいがありますから、どこまで自分が求めているのか、何を自分は欲しているのかを確認することも大切ですネ。


自己満足の世界ではありますけれど、世界をひろげるためには、自分以外の世界も大切にすることで、自分の世界が理解できることにもつながりますネ。

先に求めるのではなく、自分でやってみる。

その結果に、自分というものが理解できる。

そのように、ひとつのできごとを自分で理解できるということが、キレイという概念を構築する基になるのだと思います。


毎日の中に、なにかを求めているのが大切だと。

爪を切ったり、ハンドマッサージをしたり、いろんなことを自分の為にはしますネ。

それを人の為にすることは、普通は少ないですネ。

でも、外の掃除などは、そのような意味があると思います。 

自然をキレイにすると、自分も幸せな気分になれます。 そして、その延長線上に、見知らぬ人が道を歩く時に、なにげにあぁキレイになってるなと感じるようであれば、そのことも、自分の幸せに繋がることでしょうネ。


簡単に公の場を汚す人はいますが、その人達は、自分の家も、きっと汚しているに違いない。と、ワタシは思う事にしています。 実際は、自分の場所だけは、キレイにしているのかもしれませんが、判らない事を考えても仕方が無いだけなので。


自分をキレイにするということの本質は、他の人から、どのように見えるかではなく、自分の心が感じ、心がキレイになればいいだけの事なのだと思いますが、結果的には、人は、社会に生活をしている以上は、周りにも、多少の配慮が必要ではありますネ。


美容という仕事は、その両方にタッチできるものではないので、せめて、外側の手助けが出来ればいいなぁと、日々邁進していこうと思います。

自分のイメージを総とっかえすることがイメチェンではないと思いますネ。

ほんの少しでも楽しいし、自己満足できれば、そこにハッピーがありますし。

お金も、ムリに使わなくても、考え方や、ちょっとした工夫で、自分を楽しませることはできますネ。


いつものものが、いつもの通りに、そこにあるのも大事なことのひとつではありますが、自分の気持ちを転換させる為に少しだけ変えてみると、また、一段と違った世界を感じることもできますネ。

ものごとには捕らわれずに、自由に振る舞えれば、それも幸せのかたちですよネ。


本当に手に負えないもの以外なら、少しずつの努力で、変化をさせられるのではないでしょうか。

結果はすぐには出ないかも知れませんが、早急なチェンジよりは、ゆっくりとしたことであれば、自分にもムリがいかないと思いますネ。

心にそのような余裕を持たせてのイメージチェンジなら、つづけてみるのも悪いことではないでしょうネ。

楽しくある事は、心に余裕を持たせ、そのことが、自分をキレイにしていると感じられれば、なをいいですネ。

毎日の暮らしの中に何も問題は無い。 意外にそれが難しいことだったりして・・。


でも、仮に難問が山積していても、いたずらに頭を痛めてもしかたがない。

ひとつずつ片づけていけば、その内なんとかなるでしょうからネ。 また、そのようにしなければ、前にすすめないですから。 どこに進むのかは、自分しだいですしネ。


割り切ったり、切り捨てたり、色んな方法がありますが、人生、片づけることをし続ければ、もとに戻ることは無いはずですからネ。

時間を要しても、逃げなければ結果は出ます。


ところが、同じ難問でも、美容は違う、結果の出ないことは多々あります。

それは、間違った方向に行っている場合。しかし、それに気づくのが難しい。誰も教えてはくれないし、答えというものが無いのだから。

フィーリングやセンスといった意味不明のものが主たる答えなのだから、手に負えようはずもない。 教科書や参考書のたぐいも、有りすぎて、何が有効なのか信じることが難しい。


自分で一歩一歩と確認をしながら、ゆっくりと進むしかないのが、美容なのではないかと思いますネ。

それでも、行き着く先には、何かが必ずある。

それが正しいものかどうかは判りませんが。

自分で自分を信じられるようになれれば、その人は、必ず、キレイを手にすることは出来るはずなのですけれどネ。

考えることは、楽しいことだけをするといいですネ。

何も、空想する時にまで、嫌なことを考える必要はないですもんネ。

もし根何もすることが無かったら、少々のうたた寝をする事だって楽しい。


目に入るものから、連想をしたり、しりとりのように、ランダムな世界を空想したりと、自由な空間を持てる人は、とりとめのないようなことを想うことで、自分の美意識を高める為にもなるのだと、ワタシは信じています。


なにかをキレイにする時に、キレイという言葉を連想しながらやると、それ自体が楽しくなるし、キレイになったものを見た瞬間に、あぁキレイになったと、心が穏やかになりますネ。

そして、それは、幸せ感のひとつでもありますネ。だから、ひとつひとつを、キレイに結びつけて、連想していくことで、毎日の仕事へのフィードバックにもなるし、その心を持続することで、どんなことも、確実にキレイになっていくと信じています。


自分次第というところなのでしょうけれど、心の内側は、人に解るわけではないので、自分が納得できるようにさえあれば、それは結果的には人の為にねなりうることでもありますネ。

自分の為の美意識は、人の心もキレイにする力になりえるということですネ。

ワタシは情熱大陸という番組が好きで、できるだけ見るようにしています。

昨日の放送では、三宅一生ブランドを託された若きディザイナー宮前氏の登場でした。


ワタシが自分の世界でもあるメイクのシーンで、その宮前氏の譲らないシーンを見せてもらった時に納得できたことです。


一流と言われる女性のメイクアップアーチストが施したメイクで、口紅が赤いのが目立っていたシーンで、宮前氏は、自分の発表する衣装のトータルイメージの一体感の為には、もっとヌーデイなものがいいと、譲らず、相手が、では、それをやってみましょうと、ヌーデイを施して見せ、それにオーケーを出した瞬間の表情。 


何事もそうであるが、妥協の産物は、ロクなものが無い。

ましてや、クリエイティブの世界には、そんなものは要らない。


ワタシ思うに、メイクアップアーチィストと呼ばれる人は、自分の世界観をゴリ押しするものでは無いのではないかと。一流と言われるのであれば、それくらいは考えるものだと思っていたが、そうでもないみたいでしたネ。


主役は、誰かと言えば、ディザイナーのはずである。 下地の生地づくりから関わり、イマジネーションを張り巡らし、表現のより完成度を高める。その為には、ダメ出しの連続でもある場合がある。 それらを乗り越えて、パリコレの15分間にかける想い。 最後に妥協はしない。 さすがに師匠の三宅氏に託されただけはある。

笑顔の悪魔と呼ばれるとのことであるが、意思表示の内なる想いは、かくあろう。


美の世界に妥協は要らない。しかし、一般の人を対象にした時は、その想いは、一人歩きをしてはならない。

この、師匠の一言も、納得のいく言葉です。


昔、その三宅氏とのコラボをエスティローダーがした時に、ワタシもそこの一員だったことがあります。そのような想い出をフト呼び起こされました。

外にあるだけが緑ではないですネ。部屋の中に緑を置くことで、心が安まることもあります。

それが、本物であれ、造花であってもですネ。


たまには、布を使って、手作りのハッパを作ることがありますが、根気の要る作業ですし、要は趣味なのだから、感性しなくてもいいのですが、感性したそれを飾ることが出来た時などは、ウレシイですネ。

だからといって、あれもこれもと、たくさん作っても飾りきれなくなるなるので、そこそこにです。

きょうび、百均などで、可愛いモノや、キレイに見えるモノが、それこそ山の様に売っているので、それだって使いたいので購入し、飾るのをよしとしています。


部屋の中に緑があることで、精神的にも、優しい気持ちになれるし、自分の心が穏やかであれば、人にも、その様に接することでって出来るでしょうから。


本物、ニセモノを問わず、部屋の模様替え楽しむのも、美意識の結果なのではないでしょうか。

日常の中には、楽しみながら、自分の美意識を向上させるものはたくさんあるのだと思います。