誰もが手にしたいものですね。
ところが、簡単に手に入ると思っているはずのものが、中々、手に入らないので、あーでもない、こーでもないとこねくりまわしているうちに、自分で、自分を壊していくんですね。
欲張らずに、少しずつ、手に入れていければいいんですネ。
毎日の生活を楽しむかどうかをきめるのも、自分ですよね。
誰もが手にしたいものですね。
ところが、簡単に手に入ると思っているはずのものが、中々、手に入らないので、あーでもない、こーでもないとこねくりまわしているうちに、自分で、自分を壊していくんですね。
欲張らずに、少しずつ、手に入れていければいいんですネ。
毎日の生活を楽しむかどうかをきめるのも、自分ですよね。
緑色のキレイなこと。
自然の有難さは、心の豊かさを得られることがいっぱいですね。
そのような心を、応用できるようになれればいいですネ。
ハッとした瞬間というものは、自分でも考えられないくらいキレイの瞬間なんですよ。 ただ、自分で観る事ができないのですから。
そういった感覚を磨くのも、キレイに手をかけるようなものですから。
自然から得られる心の瞬間は大切にしたいものですね。
自分のキレイは、自分の心の赴くがままといたいものですしね。
ものは考えようというものの、ねばならないなどということで、自分次第なのに、縛りつけてしまったりするのは、どうなのか。
自由に生きられる世の中なのに、自分で自分を拘束するようでは、どうなのか。
なんのことかって? 全てです。
メイクなども、身に付けるものとか。
年齢などの、約束ごとがあるかのような選択は、いかがなものか。
そんなことまでも、自分で自分を縛る必要はないのではないかと思いますネ。
もっと、お洒落心を大切にしたいものですね。
やっぱり、毎日という時間を純粋に楽しむための心は、洒落っ気でしょ。
常識は大事なこと。 でもね、自分の心くらいは自由でありたい。
自分への自己満足は、自分の評価が客観的なものとして自分で納得できればいいだけのはなしですよね。
具体的には、鏡を通してのことなのですが、直接見たり触ったりできないことは、鏡を使うしかないので、それはそれで慣れればいいだけのはなしですよね。
お出かけ前には、必ず等身大の鏡と、手鏡を使って、全体のチェックをする。
などの、習慣があるようになれるといいですネ。
やはり、人間見た目。 そういった感じはありますから。
自分で自分を信じることは大切なんです。 その上で、人前に自分を立たせられれば、自信というものになっていくのではないでしょうか。
最近の傾向は、まだまだ逆さ上がりの眉が多いのですけれどね。
あとは、形に拘りが目立ちますね。 形は、、個性というものなので、人それぞれなのですから、あまり、人は参考にはならないと思いますね。
骨格というものは、それ自体が、個性なんですね。
当然、お顔の骨格はそれぞれなのですから、個性もそれぞれが持つということになりますから、無理して真似ると、失敗をしてしまいます。
メイクなども、その一つで、結果は、同じようであっても、その違いというものがありますね。
そのことの意味は大きな違いを生むということなりますね。
自分の世界は、自分でしか作れないのですが、環境が影響することは、当然あるのですから、そういった環境に身を投じることも大切な行為ですね。
投じるは大袈裟かもですが、環境の選択は大切な行為ですね。
そして、結果、間違っているということであれば、元にもどせばいいだけなのですから。
選択権は、常に、自分にありますからね。
美などということは摩訶不思議なものでしかないのですが、誰もが手に入れたがっていながら、中々、手に入れられないものなんですね。
それ自体が、時間と同じようなことなのかもしれませんネ。
ありのままにといっても、まさに、ではないのですが。
やはり、お洒落心を持たなければね。
自己演出は、きりを持つことで、キリッとすっるわけですから。
このようにといった具体的なイメージを持つことで、キリというものが存在してくるのでは。
特に、メイクでは、そういったことの心構えが有り無しで、全く異次元のものになってしまいますよね。
意図的に演出するのであればこそ、自然というものができるのであって、考え無しでは、そのような心の演出は、難しいのだと。
朝の陽の光が見せてくれる色のキレイサは、素晴らしい。
このような自然の有難さは、心に響くものではないでしょうか。
こういった感覚は、心のどこかにしまっておきたいものですね。
そして、自らのキレイの価値観に添えたいものですね。
そんな自分の為に、メイクをするときなどには、指先にその心があることで、より自然に感じるようにできるのではないでしょうか。
私は、そういった意味の心のありかたがあることによって、キレイの価値観が表現できるのだと考えています。
そういったことの考え方が、自分というものの存在を確立できるのだと思います。
ある意味、世界は自分がいて初めてあるのだと。
そのように感じられれば、自分を演出することに躊躇しなくなれるのではないかと思いますネ。
自己演出とは、先ず、心があって、それに沿っての行動がある。と、考えられればいいと思いますね。
毎日というものが、必ずしも訪れるということではないのかも知れないのですが、漫然と朝起きて、一日が始まると思うより、ああ、今日も始まると、始まりに心を感じられれば、自分への慈しみや、その存在を意識して構築できるのだと思いますネ。 そこに、お洒落心を潜ませられればいいのではないかなと思っています。
そのものが、あればこそ、メイクなどは、するかであって、なければ、考えることもないのでは。
その上で、せめて楽しむようであって欲しいものですよネ。
そういった中での問題に眉があって欲しいのです。
私だけの拘りなのだとは思いますが、眉のありかたで、表情がきちんと表現出来るということは、大げさに考えれば、その人の人生をまで関わることかもしれませんね。
何故なら、出会った人の印象が変わることが、当然あるのですから、そのことの意味は大きな違いが有るということなんです。
何気に思うのではなく、意識的なものとして欲しいなと思います。