何気に思うのか、メイクの一つと考えるのか。

メイクっぽいことなどをしないから、眉もそれほど考えない。

それはそれでいいのでは。

何故なら、そんなの自由なんだから。

私もそうだと思いますが、そこに、お洒落心というものがあるかないか。

そうなんですね、お洒落心というものが有る無しの違いは、自分を楽しむかどうかだと思いますネ。

特別にまゆ!!と、考えることが必要なことではなく、それこそ何気に手を入れるという習慣があればこそ、自然というように身に付くことではありますネ。

ただし、必要以上にはダメ。

お洒落心の有りや無しは、自分次第なんですから。


美眉は、必ずしもキレイに作ることではなく、トータルバランスであり、のように見えることが大切なので、そこだけが目立てばいいということではないのです。


キレイというテーマは、キレイに作ることではなく、キレイに見えるということなんですネ。 部分をキレイにつくってしまっている場合は、その部分だけが目立つだけで、他との協調した調子が見られないことなんですネ。

本来有る自分の眉を大切にしながら、多少の手を入れながらくらいで、メイクの完成度を高めて表現するのなら、トータルの協調性というものが得られるということですね。

眉ばかりに気を取られていては、ホントの意味のキレイに見えるということにはならないということなんです。

つくりものの眉の欠点は、どうしても、一場面でしか活躍しない。

それは、表情がきちんと伝わらないということなんですね。

笑っても、眼がそのように感じられないとか、なにを考えているのか判らない。などなんですね。

メイクは、自分の為にだけしているだけではなく、結局は、他人への情報発信のアイテムでもあるのですから。

自分をキレイに見せようとだけ考えるのではなく、自分の本質を表現出来る方が、結果的には相手には伝わるということではないかと。


自分の自然の眉を大切にするということの答えは、そのあたりに隠れているのではないでしょうか。

自分の本質を知ることによって、演出出来るので、普段から、そういったことの努力をしているのが問われますね。

何が本質なのかなどと、考える人がいると思っている私も面白いと、自分で思います。

そうなんですね、わざわざそんなことまで考えて自分を突き詰めるなどと、そういったことの努力をすることに時間を取るということなどの準備をするようであれば、自然と、キレイというものが身に付くはずですからね。


美眉というもののテーマを持つこと自体があるやなしやなのですが。


メイクなどは、その前にある程度の素材が用意されていて、と、考える人が多いかも知れないのですが、作るメイクなどは、特徴があるよりも、そこそこの素材の方がいいのですね。

そういったことの中での問題に、眉の存在というものがあるんですね。 作るメイクの場合は、かえって効果の邪魔をする存在なのだという場合すらあるのですから。

そういったことの結果では、その存在を考えなくてはならないということもあるのが不思議なことではありますね。


つくってしまっている場合は、それを伸ばすというのは難しいことかも。

できれば、それでも、自然の眉の為にと、伸ばしながらということが出来るといいですね。

自分の自然の眉を使えると何がいいのかは、これ!!というほどの違いはないのですが、表情の表現が自然なんですね。

ただ、それって、その人の真実をだすということでもありますからね。

たかが眉で。

そうなんですね。 表情の素でもあるということなのですが、一歩間違えれば、野暮ったくなってしまいますから。

その一歩を、どのように受け止めるかがセンスなのですから。

メイクは、楽しむものであって、仕方なく毎日するようでは、考えものですね。

楽しむとは、自分というものをよおく知ってると思いますね。

どうすればいい。ということを承知してのメイクは、自分という演出が自然に出来るということなので、それは、殊更のもではなくなり、自然なというように演出出来るので楽しい。と、なりますね。

折角、メイクをするのであれば、その一回、一回のありかたは、少しずつ、変えることもありなのではないでしょうか。

楽しむとは、そのようなアレンジの連続であるのではないかと。



眉ひとつで表現ができると思ったら、それは、大きな間違いですね。

確かに、眼の大きさを錯覚を利用して、表現ができるのはありますが、そこには、間違いも潜んでいるのですね。 感情を表現出来ないということが。

要は、つくりものの眉には、そうした適応力がないのですね。


ですから、眉をつくるのではなく、自然の眉の求め方を知るべきなのですが、それが難しいことかも。

必ずしも、なにもしないでということではないのですね。

自然に見えるということが大切な要素となりますね。

それは、なにもしないから、自然なという勘違いとは一線を画すものなのですね。


メイクをしかけても、その結果が自然に感じるメイクであれば、それも、ナチュラルメイクというのではないでしょうか。

ナチュラルメイクということには、一歩間違えれば、手抜き。ということには、なってはいけないものが隠れていますね。

自然なということは、その人らしいということがあってこそであって、なにもしなくてもいいということではないのですね。


個人の、素材と素質を生かしてこそが、ナチュラルメイクということになりますから。

皆さんの思う美眉って、ホントはどんななんでしょう。

それほどでもないのでしょうか。

見ている限りでは、キレイに描いている人が多いのですけれどね。

それはそれでいいのだと思いますが、なにかしらの違和感を感じてはうますけれどね。

いわゆる、メイクをしてます。的なことなのですが、それ自体が違和感の元になってることなんです。

どうだ!! と、言わんばかりのメイクっぽいものは、安っぽいだけで、キレイにはほど遠いものだとおもえます。

つけたり、描いたり、つぎはぎが、メイクなのだと思っているのでしょうか。

そんなものは、所詮、お面に過ぎないものなんです。

自分の素を生かすということが出来ないということは、作りものに過ぎないものなんです。

持っている素の、特性を生かしてこそが、メイクの醍醐味なのにです。