戦いの振り返り5
ゆうすけくんが中々ブログ更新しないので、私が先にしちゃいます!
一回目の手術が終わって、日本に帰ってきてからのお話。
帰国した次の日から、すぐあわただしい日が始まった。
打ち合わせも商談もいっぱい。
会社の人はゆうすけくんの病気のことをまだ知らなかったから、皆にうきうき顔で「あんどれ、アメリカ楽しかった~?」って聞かれた。
皆にこの時はまだ話す気持ちになれなくて、「ずっと一緒にいられて幸せでした~」って言ったりしてたなぁ。それは本当だったから。
ゆうすけくんの治療方法をお医者さんと話す日がたしか1月の6か7くらいで、午前中の外回り中にゆうすけくんに電話して、どうだったか聞いてみた。
抗ガン剤の治療を受ける、というのがお医者さんから言われた結論だった。
「俺の髪は全部抜けるらしいよ。」そう話してたゆうすけくんの声は意外と落ち着いてた。
「腎臓の近くに転移した癌が、大きくて手術じゃ取り除けないんだって。」って。
そんなこと、手術の時担当医の人は言ってなかったのに。
急に、ゆうすけくんの癌がすごいスピードで成長してる気がして、怖くなって、思わず「もう日本に帰ってきなよ。」って言ってしまった。
「俺さ、ドクターに"am I gonna die?"って聞いたんだよ。」
一瞬、ひやっとして、でも落ち着こうとして、
「皆いつかは死ぬじゃん。」って言ったら、
「そう。eventuallyって言われた。」って。
ほっとした。
そのあとゆうすけくんは、担当医がどうやら同性愛者っぽいっていう話や、彼と個室で2人きりになった時はもうダメだと思った、とかいう話を冗談っぽく話してくれた。
アメリカで治療するなら、入院は1月末からっていうことだったけど、ゆうすけくんの親戚が知り合いのつてで京大病院を紹介してくれて、数日で帰国が決まった。
2009年1月16日。ゆうすけくんが治療のために帰国した。
その日は私も多治見の実家にお邪魔した。
何度も電話で連絡をとったゆうすけくんのお父さん、お母さん、お姉さんに、ここで始めて実際会うことになった。
ゆうすけくんは髭がもじゃもじゃで、旅の疲れか精神的な疲れか、顔色が悪かった。
背中の真ん中に強い痛みがあったみたいで、帰ってからも眠れない時が多かったみたい。本当にくるしそうで、痛み止めも聞かなくて、見てるのが辛かった。
幼稚園の姪っ子のあっくんはそれでもゆうすけくんが帰ってきたことが嬉しかったみたいで、「にんにー!」ってはしゃいでまとわりついて可愛かったな。ゆうすけくんのご家族とみんなで中華を食べにいったりして、ゆうすけくんはしんどそうだったけど、みんなゆうすけくんのことが大切なんだなぁっていうムードが伝わって、あったかい気持ちになったのでした。
一回目の手術が終わって、日本に帰ってきてからのお話。
帰国した次の日から、すぐあわただしい日が始まった。
打ち合わせも商談もいっぱい。
会社の人はゆうすけくんの病気のことをまだ知らなかったから、皆にうきうき顔で「あんどれ、アメリカ楽しかった~?」って聞かれた。
皆にこの時はまだ話す気持ちになれなくて、「ずっと一緒にいられて幸せでした~」って言ったりしてたなぁ。それは本当だったから。
ゆうすけくんの治療方法をお医者さんと話す日がたしか1月の6か7くらいで、午前中の外回り中にゆうすけくんに電話して、どうだったか聞いてみた。
抗ガン剤の治療を受ける、というのがお医者さんから言われた結論だった。
「俺の髪は全部抜けるらしいよ。」そう話してたゆうすけくんの声は意外と落ち着いてた。
「腎臓の近くに転移した癌が、大きくて手術じゃ取り除けないんだって。」って。
そんなこと、手術の時担当医の人は言ってなかったのに。
急に、ゆうすけくんの癌がすごいスピードで成長してる気がして、怖くなって、思わず「もう日本に帰ってきなよ。」って言ってしまった。
「俺さ、ドクターに"am I gonna die?"って聞いたんだよ。」
一瞬、ひやっとして、でも落ち着こうとして、
「皆いつかは死ぬじゃん。」って言ったら、
「そう。eventuallyって言われた。」って。
ほっとした。
そのあとゆうすけくんは、担当医がどうやら同性愛者っぽいっていう話や、彼と個室で2人きりになった時はもうダメだと思った、とかいう話を冗談っぽく話してくれた。
アメリカで治療するなら、入院は1月末からっていうことだったけど、ゆうすけくんの親戚が知り合いのつてで京大病院を紹介してくれて、数日で帰国が決まった。
2009年1月16日。ゆうすけくんが治療のために帰国した。
その日は私も多治見の実家にお邪魔した。
何度も電話で連絡をとったゆうすけくんのお父さん、お母さん、お姉さんに、ここで始めて実際会うことになった。
ゆうすけくんは髭がもじゃもじゃで、旅の疲れか精神的な疲れか、顔色が悪かった。
背中の真ん中に強い痛みがあったみたいで、帰ってからも眠れない時が多かったみたい。本当にくるしそうで、痛み止めも聞かなくて、見てるのが辛かった。
幼稚園の姪っ子のあっくんはそれでもゆうすけくんが帰ってきたことが嬉しかったみたいで、「にんにー!」ってはしゃいでまとわりついて可愛かったな。ゆうすけくんのご家族とみんなで中華を食べにいったりして、ゆうすけくんはしんどそうだったけど、みんなゆうすけくんのことが大切なんだなぁっていうムードが伝わって、あったかい気持ちになったのでした。
戦いの振り返り4
今日はお休みだったのに商談。。
今帰り道です。良いお返事が聞けますように!
さて、一回目の手術の後のお話。
次の検査は年明けってことで、私のお正月休みが終わるギリギリの日程まで滞在を伸ばして、ゆうすけくんと過ごしました。
手術はシンプルだったけど、やっぱり体を切られて縫われるんだから痛い。
痛み止めが切れかけるたびにやっぱり痛がって、昼も夜も眠れる時に眠る、という感じの生活でした。
ゆうすけくんは手術の後しばらく怖くて傷を直視できなかったみたいで、どこが切られたのか最初はわからなかったみたい。
下腹部に7センチくらい?の傷があるのを確認してびびってたなぁ。
都市が明けるまでは基本的にベッドの上で過ごしてたと思う。
氷嚢の氷を取り替えて、足りなくなったら近くのスーパーまで雪道を歩いておつかいに行ったりしたなぁ。
ゆうすけくんはときどき起き上がって、付き合い始めてからやめてたタバコを、少し吸うようになった。
最初は「なにやってるの!」って怒ったんだけど、「不安でどうしようもないから」っていうゆうすけくんの言葉には勝てなかった。今思えば止めてあげた方が良かったんだろうな。
マルボロのultra lightっていうのをおつかいで頼まれたりもした。
大晦日は、2人で一緒に年越し煮込みうどんを食べた。
具沢山のスペシャルバージョン。
2人とも、すごく不安な年越しだった。
ゆうすけくんの体にはまだ癌が残っていて、どう治療するのかもまだわからない。
どれくらい時間がかかるのかもわからない。
なるべく楽しく、明るい話題で過ごそうとお互い頑張ってたと思う。
日本のお笑い番組みて一緒に爆笑したりもしたよね。
寝返りうった私がゆうすけくんの傷口をうっかり叩いて怒られたりもしたなぁ(笑)
でも、ベッドで背をむけて、1人でゆうすけくんが泣いている時もあった。
「れいちゃん、ごめんね」って言われることもあった。
痛み止めが聞いてゆうすけくんがぐっすり眠ってるのを見るとほっとした。
「絶対支えるんだ」って、かなり気合入れてました。
帰る日が近づいて、ゆうすけくんが1人でも生活しやすいように何をしてあげればいいか色々考えた。
ハンバーグのタネを冷凍して、冷凍野菜を買って。
洗濯もギリギリまでやらなきゃって思った。
私が日本に帰る前の日だったかな。
傷の痛みも大分落ち着いて、ゆうすけくんが車でMall of Americaに連れて行ってくれた。
2人でMonkey Majik歌いながら久々のドライブ♪
モール自体に特に用事はなかったんだけど、私にお礼がしたいっていって、お財布を買ってくれた。
帰る前に、ゆうすけくんのお気に入りのクレープ屋さんで一緒にクレープを食べた。
帰る前の日の夜はなぜか「放送禁止」を2人でくっついてびびりながら見たんだよね。
寝るのがもったいなくて、かなり真夜中まで夜更かしして。
帰る日の朝は、ご飯を多めに炊いてからゆうすけくんを起こした。
空港に向かう間は、無言の時間が多かったかも。
本当にゆうすけくんを1人にしたくなくて、でも仕事を投げ出せない自分が嫌だった。
胸が詰まる感じだった。私が泣いちゃダメだと思ったから、手荷物検査の奥に進んで、見送ってくれたゆうすけくんが見えなくなるまで、必死でこらえてたつもり。
見えなくなって、歩き出すのと同時に涙がだばだば出てきた。
とにかく、ゆうすけくんがいなくなってしまったらと思うと本当に怖かった。
人目につかなそうな所を選びながらこそこそ歩いた。
乗り継ぎのシアトルでも公衆電話からゆうすけくんに電話して、成田行きの便に乗った。
今帰り道です。良いお返事が聞けますように!
さて、一回目の手術の後のお話。
次の検査は年明けってことで、私のお正月休みが終わるギリギリの日程まで滞在を伸ばして、ゆうすけくんと過ごしました。
手術はシンプルだったけど、やっぱり体を切られて縫われるんだから痛い。
痛み止めが切れかけるたびにやっぱり痛がって、昼も夜も眠れる時に眠る、という感じの生活でした。
ゆうすけくんは手術の後しばらく怖くて傷を直視できなかったみたいで、どこが切られたのか最初はわからなかったみたい。
下腹部に7センチくらい?の傷があるのを確認してびびってたなぁ。
都市が明けるまでは基本的にベッドの上で過ごしてたと思う。
氷嚢の氷を取り替えて、足りなくなったら近くのスーパーまで雪道を歩いておつかいに行ったりしたなぁ。
ゆうすけくんはときどき起き上がって、付き合い始めてからやめてたタバコを、少し吸うようになった。
最初は「なにやってるの!」って怒ったんだけど、「不安でどうしようもないから」っていうゆうすけくんの言葉には勝てなかった。今思えば止めてあげた方が良かったんだろうな。
マルボロのultra lightっていうのをおつかいで頼まれたりもした。
大晦日は、2人で一緒に年越し煮込みうどんを食べた。
具沢山のスペシャルバージョン。
2人とも、すごく不安な年越しだった。
ゆうすけくんの体にはまだ癌が残っていて、どう治療するのかもまだわからない。
どれくらい時間がかかるのかもわからない。
なるべく楽しく、明るい話題で過ごそうとお互い頑張ってたと思う。
日本のお笑い番組みて一緒に爆笑したりもしたよね。
寝返りうった私がゆうすけくんの傷口をうっかり叩いて怒られたりもしたなぁ(笑)
でも、ベッドで背をむけて、1人でゆうすけくんが泣いている時もあった。
「れいちゃん、ごめんね」って言われることもあった。
痛み止めが聞いてゆうすけくんがぐっすり眠ってるのを見るとほっとした。
「絶対支えるんだ」って、かなり気合入れてました。
帰る日が近づいて、ゆうすけくんが1人でも生活しやすいように何をしてあげればいいか色々考えた。
ハンバーグのタネを冷凍して、冷凍野菜を買って。
洗濯もギリギリまでやらなきゃって思った。
私が日本に帰る前の日だったかな。
傷の痛みも大分落ち着いて、ゆうすけくんが車でMall of Americaに連れて行ってくれた。
2人でMonkey Majik歌いながら久々のドライブ♪
モール自体に特に用事はなかったんだけど、私にお礼がしたいっていって、お財布を買ってくれた。
帰る前に、ゆうすけくんのお気に入りのクレープ屋さんで一緒にクレープを食べた。
帰る前の日の夜はなぜか「放送禁止」を2人でくっついてびびりながら見たんだよね。
寝るのがもったいなくて、かなり真夜中まで夜更かしして。
帰る日の朝は、ご飯を多めに炊いてからゆうすけくんを起こした。
空港に向かう間は、無言の時間が多かったかも。
本当にゆうすけくんを1人にしたくなくて、でも仕事を投げ出せない自分が嫌だった。
胸が詰まる感じだった。私が泣いちゃダメだと思ったから、手荷物検査の奥に進んで、見送ってくれたゆうすけくんが見えなくなるまで、必死でこらえてたつもり。
見えなくなって、歩き出すのと同時に涙がだばだば出てきた。
とにかく、ゆうすけくんがいなくなってしまったらと思うと本当に怖かった。
人目につかなそうな所を選びながらこそこそ歩いた。
乗り継ぎのシアトルでも公衆電話からゆうすけくんに電話して、成田行きの便に乗った。
戦いの振り返り3
もうすぐゆうすけくんが一時帰国なのでうきうきわくわくの今日この頃です。
一昨年の年末の記憶をたどって、また少し更新します★
2008年12月29日。
夜明け前の4時くらいに、ゆうすけくんと一緒に車で病院へ。
その日のうちに帰れる手術って聞いていたらしくて、普通にゆうすけくんが運転する車で行きました。
病院で手術の手続きをすませて、ゆうすけくんは準備で先に中にはいって、しばらくして私も呼ばれて手術前の処置室みたいな所に案内された。
手術着姿で保温用の特殊なブランケットをかぶったベッドの上のゆうすけくんは、なんだかおびえた子犬みたいな顔になってた。
注射も嫌いだったのに、きっと相当怖かったよね。
お医者さんと看護士さんにいくつか質問されて、いよいよ手術室の中に入る時間に。
私はその先は入れないから、「ハグしていいのよ」って看護士さんに言われて、「がんばってね」ってハグして、待合室へ戻った。
待ち時間、少しずつ外が明るくなるのを見ながら、ぼーっとしていた。
待合室にはTVくらいの電光掲示板があって、今手術室にいる患者さん達がそれぞれどのプロセスにいるのかわかるようになっていた。飛行機の発着情報みたいだなと思った。
ゆうすけくんの手術終了情報が掲示板に出た少しあとに、担当医に呼ばれて、ホワイトボードのある小さな部屋で電子辞書を片手に説明を聞いた。
手術は成功で、ゆうすけくんの癌の大元は取り除かれたけど、リンパ腺を通って癌が転移しているから、その残りの治療は放射線か化学療法になる。
今後の検査結果次第で、その治療法を決めて行く。っていうのがおおまかな内容だった。
「大元が取り除かれたってことは、これ以上の転移はしないってことですか」と聞いたけど、「調べて見ないとわからない」といわれた。
ただ癌の種類は四つあるうちの二番目に良いやつだから、good newsだよとも付け足してくれて、すこしほっとした。
他に聞きたいことは?と最後に聞かれて、わからないことは山ほどあったけど、どこから聞いたらいいのかわからなかったから、大丈夫ですといって待合室にもどった。
待合室へもどってすぐ、ゆうすけくんの携帯から、言われていた通りゆうすけくんの実家に電話をかけた。日本は夜中の11時くらいだったかな。まだ顔も見たことがないゆうすけくんのお父さんに、お医者さんから聞いたことを一つ一つ伝えた。お父さんは一つ一つ私が言ったことを繰り返して、メモを取るような口調で真剣に聞いていた。声だけでも、どれだけゆうすけくんのことを心配しているかわかった。
少しして、ゆうすけくんが麻酔から覚めてきた頃、また処置室の中に呼ばれて、手術が終わったあとのゆうすけくんに会いに行った。
最初ちょっととろとろしてたけど、目をさましたゆうすけくんはもう子犬みたいな表情が消えて、むしろピースで写真にうつるくらいの余裕っぷりだった。
この時のビフォーアフターみたいな写真の差を他の人にも見せたい(笑)
お腹がすごくすいていたみたいで、看護士さんが持ってきてくれたトーストをすぐにぺろっと食べて、しかもおかわりしていた。一緒にでてきたピーナツバターはかなり美味しくなかったって言ってたよね。
全身麻酔の手術でお腹を切られたあとに車を運転できるわけがなくて、結局お昼近くにタクシーを呼んでもらって帰ることに。病院の入り口まで車椅子を借りて、ゆうすけくんを乗せて押して行った。
その日の夜は特に食事制限もなかったので、ロールキャベツを作った。
ゆうすけくんの食欲にびびったけど、すごいもりもり食べてくれて嬉しかったな★
一段落ついた気持ちだった。
何となくだけど、アメリカで治療しながら学校も続けられるかもなんてことすら、この時は思ってたな。
一昨年の年末の記憶をたどって、また少し更新します★
2008年12月29日。
夜明け前の4時くらいに、ゆうすけくんと一緒に車で病院へ。
その日のうちに帰れる手術って聞いていたらしくて、普通にゆうすけくんが運転する車で行きました。
病院で手術の手続きをすませて、ゆうすけくんは準備で先に中にはいって、しばらくして私も呼ばれて手術前の処置室みたいな所に案内された。
手術着姿で保温用の特殊なブランケットをかぶったベッドの上のゆうすけくんは、なんだかおびえた子犬みたいな顔になってた。
注射も嫌いだったのに、きっと相当怖かったよね。
お医者さんと看護士さんにいくつか質問されて、いよいよ手術室の中に入る時間に。
私はその先は入れないから、「ハグしていいのよ」って看護士さんに言われて、「がんばってね」ってハグして、待合室へ戻った。
待ち時間、少しずつ外が明るくなるのを見ながら、ぼーっとしていた。
待合室にはTVくらいの電光掲示板があって、今手術室にいる患者さん達がそれぞれどのプロセスにいるのかわかるようになっていた。飛行機の発着情報みたいだなと思った。
ゆうすけくんの手術終了情報が掲示板に出た少しあとに、担当医に呼ばれて、ホワイトボードのある小さな部屋で電子辞書を片手に説明を聞いた。
手術は成功で、ゆうすけくんの癌の大元は取り除かれたけど、リンパ腺を通って癌が転移しているから、その残りの治療は放射線か化学療法になる。
今後の検査結果次第で、その治療法を決めて行く。っていうのがおおまかな内容だった。
「大元が取り除かれたってことは、これ以上の転移はしないってことですか」と聞いたけど、「調べて見ないとわからない」といわれた。
ただ癌の種類は四つあるうちの二番目に良いやつだから、good newsだよとも付け足してくれて、すこしほっとした。
他に聞きたいことは?と最後に聞かれて、わからないことは山ほどあったけど、どこから聞いたらいいのかわからなかったから、大丈夫ですといって待合室にもどった。
待合室へもどってすぐ、ゆうすけくんの携帯から、言われていた通りゆうすけくんの実家に電話をかけた。日本は夜中の11時くらいだったかな。まだ顔も見たことがないゆうすけくんのお父さんに、お医者さんから聞いたことを一つ一つ伝えた。お父さんは一つ一つ私が言ったことを繰り返して、メモを取るような口調で真剣に聞いていた。声だけでも、どれだけゆうすけくんのことを心配しているかわかった。
少しして、ゆうすけくんが麻酔から覚めてきた頃、また処置室の中に呼ばれて、手術が終わったあとのゆうすけくんに会いに行った。
最初ちょっととろとろしてたけど、目をさましたゆうすけくんはもう子犬みたいな表情が消えて、むしろピースで写真にうつるくらいの余裕っぷりだった。
この時のビフォーアフターみたいな写真の差を他の人にも見せたい(笑)
お腹がすごくすいていたみたいで、看護士さんが持ってきてくれたトーストをすぐにぺろっと食べて、しかもおかわりしていた。一緒にでてきたピーナツバターはかなり美味しくなかったって言ってたよね。
全身麻酔の手術でお腹を切られたあとに車を運転できるわけがなくて、結局お昼近くにタクシーを呼んでもらって帰ることに。病院の入り口まで車椅子を借りて、ゆうすけくんを乗せて押して行った。
その日の夜は特に食事制限もなかったので、ロールキャベツを作った。
ゆうすけくんの食欲にびびったけど、すごいもりもり食べてくれて嬉しかったな★
一段落ついた気持ちだった。
何となくだけど、アメリカで治療しながら学校も続けられるかもなんてことすら、この時は思ってたな。