鏡シリーズ⑤ | cocktail-lover

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ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 革命後、ローランシ―一家は無事ベルギーにのがれ、オルタンスと夫、一人娘のル・ルー、ごくわずかの使用人と共に、慎ましく、静かな生活を営むことができた。
 17歳になったル・ルーは、同じくフランスから逃れ、家族ぐるみで親交を温めているボワイエ家の次男、シャルルと恋に堕ち、18歳の誕生日の数日前に、彼の妻となった。
 

 シャルルの穏やかな黒い瞳と、緩いウエーブのかかった黒髪は、彼女の初恋の人…アンドレ・グランデイエをほうふつとさせた。 そしてまもなく、フランシーヌが生まれた。シャルルの喜びようは大変なもので、暇さえあればベビーベッドの脇に跪き、スヤスヤと眠る天使の顔を眺めながら何回も同じ言葉を繰り返す。
 

「この子は修道院になど行かせない。僕達の手元で彼女が嫁ぐ日まで3人で仲良く暮らそう。あ、あ…嫁がせることなんてできるだろうか。フランシーヌに言い寄る男どもを僕は片っ端から追い返してしまいそうだよ。」

 まだ、おっぱいをのんでいるフランシーヌにそんな壮大な心配をしているシャルルを見て、ル・ルーは困った人ね、と笑いつつ、夫をたまらなく愛おしく思った。そして、シャルルが望むとおり、フランシーヌは両親の元ですくすくと成長した。

 そういえば、お母様や他の5人の叔母さまも、おばあさま、おじいさまのお屋敷でお嫁にいくまで楽しく暮らしていたのだったわね‥‥ル・ルーは母からの話を懐かしく想い出し、良く歌ってくれた歌を口ずさみながら、毎朝フランシーヌのフワフワした髪を鏡台の前で梳かしてあげていた。

 

そんなある日。
 

 もう、大分おしゃまになっていたフランシーヌは、かつてル・ルーがアンドレに買ってもらったイヤリングをつけたがっている。ああ、それはダメよ。母様の大事な宝物なの、そう言ってフランシーヌをなだめつつ、何気に手鏡を手に取った。
 

 「あら母様、可愛い鏡ね。」ル・ルーが手に取った手鏡を見て、フランシーヌははっと気が付いた。

 ああそうだわ、この手鏡は‥‥。ル・ルーはそれが自分の手元に来た時の事を思い出した。

 
 1789年の7月になったばかりの静かな晴天の朝。「少しだけ、時間が取れたんだ。顔を見たくてね。」と、ローランシ―のお屋敷を訪ねたオスカル。後ろにはアンドレが静かに控えていた。生意気を言いながらもずうっと憧れていた叔母のオスカルをル・ルーは「オスカルお姉さま」と呼び慕っていた。子供だったル・ルーから見ても、以前会った時よりも美しく、儚げな雰囲気を纏うようになっていたオスカルは、時折甘く切ない眼差しを自分の従者に向けていた。
 

 「ル・ルー、これをあげる。」オスカルがル・ルーに差し出したのは、お花の木彫りの部分が丁寧に磨き上げられた可愛い手鏡。
 「オスカルお姉さま、これはおばあさまの…。」
 「そう。母上、つまりル・ルーの大好きなおばあさまから私が頂いたものだ。」鏡の裏には、可愛らしい花の絵が描かれている。かつて宮廷画家だったという、ご先祖様が描かれたものだ、とル・ルーは聞いていた。
 「可愛い鏡。ル・ルーの手にぴったりおさまるわ。でも、どうして私に?」
 「うん‥‥ル・ルー。少しお外でお喋りしようよ。お母様に言っておいで。」
オルタンスに伝えた後、ル・ルーは喜んでオスカルと共に、庭の百日紅の木の下の椅子に腰かけた。
 「ル・ルーは幾つになったっけ。」
 「もう10歳よ、オスカルお姉さま。」
 「そうか…ル・ルーは賢いから、ついお友達のように思ってしまうが、まだ10歳なんだね。でも…。」
オスカルは少しかがんで、ル・ルーの方に向き合った。
 「これからね、お前に真実を話しておこうと思うんだ。」まるで、湖水の様な青さだった…大人になってからも、その時のオスカルの瞳の色をそう思った。

 「私はね、ル・ルー、アンドレを愛している。そしてアンドレもまた、私を愛してくれている。」
 ‥‥なあんだ、そんなこと?このル・ルー様は、とっくに見抜いていたわよ。
 「今のフランスではね、私達の恋は、許されない恋なんだ。身分が違うと言うだけで、寄り添う事も、一緒に肖像画を残すことも許されない。でもね、ル・ルー。人はどんなに抑圧されても、死んでしまうほどひどい傷をおわされても、心は自由なんだ。愛することも自由なんだ。それをル・ルーに伝えておきたくて来たんだよ。」

 ル・ルーは子供であったが、この美しい叔母と、根本の考え方において、大変似たところがあった。彼女は幼いながらに、オスカルとアンドレが共にいる姿がとてもお似合いで、これが「こいびと」というのだな、と思っていた。
 

オスカルが彼以外の男性と結婚する、という事自体、想像ができなかった。
 

「そしてね、ル・ルー。私はまもなく、アンドレと、衛兵隊の仲間と共に、パリへ行くんだ。全ての人が…自由な心を当たり前に持つことができるフランスにするために。」
「パリへ…行ってしまうの?危なくないの?」
「大丈夫だ、アンドレも、仲間もいる。ただ、当分会えなくなる。だからね、この鏡をお前に託したい。」
 

オスカルはル・ルーに手渡した鏡を今一度、愛おしそうになでた。そしてはにかむ様に言った。
「この…鏡にね。アンドレと私は共に顔をうつしたんだ。肖像画みたいで素敵だろ?いつかル・ルーが愛する人と巡り合ってから、この手鏡を手にするとき、どうか私達の事を想い出して。」
 

 その時のオスカルの顔は、数日後に戦地に赴く者とは思えないほどに、幸せに輝いていた。そして、彼女の表情を後ろから見守るアンドレもまた、穏やかに微笑んでいた。

 その日が、ル・ルーが見ることができた二人の生きている姿の最後だった。

 それから随分と後になって、オルタンスがル・ルーに話してくれたのだが、オスカルがアンドレを伴って旅行へ行く前日、ジャルジェ夫人は彼女にあの手鏡を譲ったという。
 「とっても可愛い手鏡でね。私も姉さまも妹たちも欲しがっていたのよ。でもお母様は、最初からオスカルに渡すつもりだったのね。生まれた時から過酷な人生を背負って、アンドレとの恋も茨の道だっただろうから。お母様はせめてものお守りに、とあの手鏡をオスカルに託したのね。」

 

その時、ル・ルーは母の瞳に涙を見た。

 でも、少なくともジャルジェ家のみんなからは二人は祝福されていたんだわ、とル・ルーは懐かしむ。
 オスカルとアンドレが、旅先で二人、頬を寄せ合い鏡に顔をうつして…子供の頃にはよくわからなかったけど、あの二人がどんなに甘く、切ないひとときを過ごすことができたのか、大人になった今は、手に取るようにわかる。

 オスカルお姉さま、アンドレ。お二人ほどではないけれど私も暖かな想いを通わせる人と巡り合い、その人の妻になったわ。あの頃はまだ子供だったけれど、二人の事、心から祝福しています。どうかいつまでも幸せに暮らしてね。

 ル・ルーはフランシーヌを抱き寄せた。
 「お母様?」
 「この鏡はね、私のおばあさま、おばさまが持ってらしたものをいただいたの。あなたが素敵な男性と巡り合えた時、あげますからね。」
 「本当?お母様ありがとう。」
その時、朝の支度があまりにも長い二人をシャルルが呼びに来た。
「どうしたんだい?今日はこれからピクニックに行くのだろう?」
「ねえあなた、こっちへ来て。」
ル・ルーはシャルルを鏡台の所まで呼び寄せた。
「一緒に、ほら。」ル・ルーはシャルルと頬を寄せ、その小さな手鏡に笑顔を映した。

ポカンとするシャルル。キャッキャと笑うフランシーヌ。

‥‥オスカルお姉ちゃま、アンドレ。どうぞ私達を見守っていてね。

空はピクニックにふさわしい抜けるような青空だった。

おしまい。