鏡シリーズ④ | cocktail-lover

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ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 春うららかな雲一つない日。暖かな風は蕾をふくらませ、風にのってその可愛らしく芳しい香りはジャルジェ夫人の部屋の開け放たれた窓から室内へ幸せを運んでいるようだ。

 朝の着替えを終えてから朝食終、夫人は昨夜からとりかかった孫娘ル・ルーのためのエプロンの刺繍の続きに取り掛かった。
今日はなんだか晴れがましく、自分が娘に帰ったような気持ちだわ‥‥そうよ、末娘のいつにない表情を見れたからだわ…
そう思いながら針を刺していると、窓の外から蜂が飛んできた。
「あら・・・・。」こちらが危害を加えなければ蜂は危害を加えない、という事は田舎育ちゆえ、彼女は知っていた。刺繍針を持ったままじっとしていると、夫人のテーブルにある牡丹がいけられた花瓶の周りを旋回していた蜂は、入ってきた窓から外へと出ていった。
ほうっと一安心して、夫人は儀式の様に、普段はテーブルの上に置いてある手鏡をとろうとした‥‥手鏡はなかった。
「ああ、そうだわ。今朝、あのこにあげたのだもの。」一抹の淋しさを感じつつも、娘の幸せを思う母の姿がそこにあった。

ジャルジェ夫人の曽祖父は、高名な宮廷画家ジョルジュ・ラ・トウール。彼の作品は今もベルサイユ宮殿にも架けられている。

父親が早世した彼女の家が、日々の生活の糧のためにと少しずつ家財道具を売り払わずにはいられなかったときにさえ、どうしても手放すことができなかった手鏡。鏡の裏には、曽祖父が描いたとされている、スズランの花が華麗に咲き誇っている。
決して華やかな代物ではないが、ジョルジェット…後のジャルジェ夫人は、それを片時も離すことがなかった。
 

 家族のため、望まぬ縁談を薦められた時、人知れず涙流した時も。
 一度だけ会った青年貴族に恋焦がれた時も。
ジョルジェットは自分の手鏡に向かって語りかけていた。

 
 愛するレニエ・ド・ジャルジェと結婚し、屋敷の彼女の部屋に誕生石が嵌め込まれた美しい姿見がしつらえられたにもかかわらず、ジャルジェ夫人となったジョルジェットは花嫁道具として持参してきた手鏡を愛用していた。

 仲睦まじい夫婦の間には、次々と娘が誕生した。6人目の娘オスカルは姉妹の中で一番の美貌を持っていたにも関わらず、夫レニエは娘を男として、後継ぎとして育てた。 上の姉達がアリアを歌い、お人形遊びに興じパリに買い物に行っている間にも、オスカルは剣の稽古と勉学に明け暮れていた。

 そんな末娘の姿が、ジャルジェ夫人にはたいそう健気で痛ましくうつった。

 私が男子を生まなかったばかりに・・・。こんなに美しく健やかな娘なのに毎日傷だらけになって。

 夫人は、オスカルが剣術の練習を終えて、クタクタになって屋敷へ戻ってきた頃を見計らって娘を自分の部屋へよんだ。暖かい湯で濡らした柔らかなリネンで、彼女の顔を拭いてやり、ささくれ立った金髪を櫛で丁寧に梳いてあげた。

 たったそれだけのことで、オスカルは美しい少女の顔を取り戻し、母に微笑んだ。

「母上。ありがとうございます。」
 

 ジャルジェ夫人は娘のきちんとした挨拶にすら不憫さを感じ、自分の元に抱き寄せ、愛用の手鏡に娘をうつし、こういうのだった。

「オスカル。とても綺麗よ。あなたが美しい女性であることをどうぞ忘れないで。」


 オスカルが士官学校へ入学する時、夫人はオスカルに自らの手鏡を譲ろうと思った。
 一つはオスカルの守り神として。これからどんな困難がまちうけているかもしれない、娘の行く末をあんじてのことだった
 

 もう一つは、軍人になっても女性であることを忘れないでほしい、という母としての思い。

 でも、オスカルはそれを退けた。

 「何をおっしゃいます母上。私は軍人になるために士官学校へ入るのです。舞踏会に行くために学ぶのではありません。それに母上の大事な手鏡を頂くなど‥‥やめてください、それでは形見分けではありませんか。」

 何となく察していた娘の答え。夫人は諦めて、それとは別に買い求めていたコンパクトで、軍服のポケットにも入る
貝細工の白い手鏡を、ひそかにアンドレに託しておいた。

 「あなたが一緒にいて、必要な時にあの子に渡してやってください。」と彼に伝えて。


 その後、すでに嫁いだ娘達や、孫娘から例の手鏡を欲しいと度々言われることはあったけれども、夫人は笑いながら、他の、もっと高価な鏡を彼らにあたえた。あの手鏡だけはどうしても手放そうとはしなかった。


 そして、数年がたった。


 昨夜、オスカルは夫人の部屋を訪れた。湯上りの彼女の体からは金木犀の甘い香りがした。


 うっすらと頬をあからめ、娘は母に言った。
 「母上。もしもまだ間に合うならば、母上のあの手鏡をお譲りいただけるでしょうか。」

 まあ‥‥嬉しさと驚きで、言葉を探そうとしている母を見て、どうだろうか、と不安げなオスカル。

 「あの‥‥明日仕事でⅯ村へ視察にまいります。何日かかかりますゆえ、お守りとして持っていきたいのです。」

 「ああ…もちろんですとも、オスカル。これはあなたに差し上げようと取ってあるのですよ。さあ、持ってお行きなさい。」


 ああオスカル。貴女は最近、何て美しくなったのかしら。以前、レニエとは思想の食い違いで成敗されそうになった時、
アンドレに助けられたわね。

 それからだったかしら、あなたが金木犀の香りを身にまとうようになったのは。きっとアンドレからの贈り物なのね。


 あくる朝。ジャルジェ夫人はⅯ村へ視察の旅にでる娘を玄関口まで見送った。いつもの彼女の旅支度はまるで軍人のように必要最低限のものだった。今日はいつもよりも、着替えや化粧品やらの細々したものが多いことに夫人はとうに気づいていた。オスカルの侍女からは、彼女が新しいコルセットを注文したことも聞いていた。

 「よかったわね、オスカル。私の手鏡が、どうか貴女の幸せな顔をうつしてくれますように。」

夫人は神と、今は亡き曽祖父に祈った。


 そして、馬車の脇でオスカルを待つアンドレに優しく微笑んだ。


 おしまい
 

・・・・この当時は色鉛筆画にも、はまっていたようです。