鏡シリーズ② | cocktail-lover

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ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 ある晴れた日のパリの石畳を大小雑多な家具を積み込んだ荷馬車が大きな古道具屋を目指していた。荷物の中にはボロ布にくるまれた大きな鏡が一つ。決して華美な装飾はないけれど、堅牢で丁寧に磨き上げられた木枠の鏡はかつての持ち主が丁寧に使っていた事を思わせる。


 私は今まで、ジャルジェ家の屋敷でお勤めをしていた鏡だ。私がいたのは、ご主人様の部屋ではなく、ある青年の部屋だった。几帳面な彼・・・アンドレと言う男だ・・・はお別れする最後の日まで、私を綺麗に磨いてくれた。
 今日の朝、お屋敷は民衆たちの手によって襲われ、多くのものは略奪された。私はこうして、荷馬車に載せられ古道具屋へ運ばれていくところだ。今までの私の歴史は抹消されて、どこの誰ともわからぬものの家に売られていくのだろう。
 せめて、その前に自分の想い出話を聞いて欲しい。それは同時に、短い青春を駆け抜けた一人の男の物語になるのだけれども。


 私がいた部屋の主は、アンドレ・グランデイエという、青年だった。彼がこの部屋に初めてやってきたのは、彼が12歳の時。マロンばあさん・・・しっかりものの、侍女頭だ・・・のたった一人の孫だという彼は8歳の時にこのお屋敷に引き取られ、ずうっとマロンさんの部屋で暮らしていたようだな。生まれて初めてあてがわれた自分だけの部屋に、アンドレは不安と喜び、ワクワク感を隠せない、といった表情をしていた。その日から毎日、アンドレは丁寧に部屋を掃除して、私を綺麗に磨いてくれた。毎朝、私の前に立ち、身だしなみを整えてから、シャキッと姿勢を正し、部屋を出ていく。その様子がたいそう可愛くって、凛々しく映ったものだよ。

 アンドレがここに来た頃は、短髪でクリッとしたくせ毛の可愛い男の子だった。それから2,3年して、彼がオスカル様…このお屋敷のお嬢様で、何故か男として育てられているんだ。…の従者として宮廷に伺候するようになった頃には、長い黒髪を綺麗な緑のリボンで束ねた、長身の男へと変貌していった。しなやかな体躯を従僕服で包み、今までと変わりなく私の前で身だしなみを整えると、「行ってきます。」と微笑んで出かけていく。その瞬間は私にとって、心癒されるひと時だった。オスカル様との剣の稽古で、時にはシャツをボロボロにされて私の前でふくれっ面をしていた坊主がすっかりと凛々しい青年になったことが嬉しくてな。

 アンドレの髪が背中の半分くらいまで伸びた頃だ。時折、何人かの娘…皆、お屋敷のメイド服を着ていたな。…が、アンドレが不在の時間を狙っては花と手紙をそうっとテーブルに置いていく事があった。アンドレはそれを見つけるたびに、花はテーブルに飾り、手紙は丁寧に折り畳んで「ごめんよ。」とつぶやきながらゴミ箱にそうっと捨てていた。あの娘達の一人といい仲になっていれば、などとおせっかいな事を考えたものだよ。何故かって?アンドレは恋に苦しんでいたんだ。たとえ死んでも叶うことのない、自分の女主人への恋だ。報われない想いを胸に秘めたまま、毎日オスカル様と行動を共にするのはさぞかし辛かっただろうよ。時折、アンドレは私に向かって振り絞るような声で語りかけていた。「オスカル…何故、お前は貴族の娘なんだ…。」ってね。立場をわきまえているあいつが、ほとばしる想いを吐き出せる唯一の場所が私だったからね。


 そんなあいつが髪を切った。闇の様に黒い装束と覆面で私の前に立ち、夜遅く出て行っては夜遅く帰ってくる。そんな日が何日も続いた。私はあいつの身に何か不吉な事が起きるのではないか、と胸騒ぎがしていた。
 私の予感は的中した。ある日、ポタポタと瞳から血を流しながら、男達に抱えられてアンドレは戻ってきた。部屋の外では
オスカル様が部屋の中に入れてくれ、と泣き叫ぶ声と、マロンさんがそれを制する声が争うように聞こえていた・・・。
 それからのアンドレは、傷ついた左目を黒髪で隠し、昔の天真爛漫な雰囲気はなりをひそめ、影のある男へと変わっていった。

 彼の従僕服姿よりも、衛兵隊の軍服姿を見ることが多くなったのは、それからしばらくの事。昼間は兵隊として、夜は屋敷の召使として働く彼は夜遅くにこの部屋に戻ってくる。ときおり、私の方を見て、黒い瞳を辛そうに閉じて「オスカル…」と呟いていた。もしも、私に人間の様に口があれば、彼の肩を抱いてやる腕があれば、と何度思ったことだろう。

 ある日、アンドレは正装して私の前に立った。今まで見たことのない絹のシャツ。刺繍飾りを施したビロードの上着。でも、その表情は、固く、暗い。アンドレ、何を考えているんだ!おい!私は胸騒ぎがしてならなかった。何か、とてつもなく恐ろしい事が起きるのではないかという不安。
あいつは暗い顔をして部屋を出て行った。「戻ってこい…!」私の声は、聞こえるはずもなく…。
 数時間ほど経ってからかな、彼がよろよろとしてながら部屋へ戻ってきた。あいつらしくもない、上等の上着を乱暴に椅子に放り投げ、ベッドに突っ伏して号泣していた。何はともあれ、私は安心した。泣くことで元気を取り戻すってこともあるものさ。
 それからのあいつは、何だか吹っ切れたようだった。朝、衛兵隊に出仕する前、「行ってきます。」と私に挨拶してくれた。時には微笑みもな。ところが、だ。
 今度は体中に怪我を負い、ボロボロの軍服を纏ってアンドレは部屋に担ぎ込まれた。荒い息と、ロウソクの灯が私の不安を高まらせる。そんな日々が続いていたある晩、足音を忍ばせて誰かが部屋に入ってきた。
 なんてことだ。輝く金髪にはアンドレと同じように包帯を巻いたオスカル様が涙を浮かべながら、入ってきたんだよ。私は驚いた。だって次期当主で、しかも女性であるオスカル様が、アンドレを見舞いに来てくれたんだ。私は自分の事の様に嬉しくって、苦しそうに眠っているアンドレの脇に座ってヤツの額に手を当てているあの方に心からの感謝をしたもんだ。フフフ…おかしいかい?私はまるで、恋に苦しんでいる息子の父親になったような気持だったのだろうね。

 それから色々な事が起こった。だだっ広い屋敷の中の使用人部屋にいる私には外の事はわからなかったが、そう…周りの空気がざわざわと慌ただしくなってきていたな。アンドレも部屋に戻れない日が増えてきた。ただ、長年あいつを見守ってきた私にはわかるんだが…自慢しているわけじゃないよ…アンドレの顔に今まで見たことのない、何か艶やかな幸せそうな表情が見てとれるようになったんだな。なんだかこのご時世なのに、嬉しくなったんだよ。

 そして、あの夜。

 晩餐の片付けを終えたアンドレは、いつもの従僕服を脱ぎ、丁寧にクロゼットにかけると、リネンを水で濡らし、いつもよりも丁寧に体を拭いた。気に入りのコロンをつけ、清潔なシャツと、キュロットに履き替えた。どうした?こんな夜更けに遊びにいくのかい?私がそう突っ込んでやるとあいつはな、
「今からオスカルの部屋へ行ってくる。明日の朝、出動なんだ。」そう言うんだよ。そしてもう一度、身だしなみをチェックすると愛おしそうに私を手でなぞり、部屋を出て行った。

 私は…確信した。あいつは朝までオスカル様と過ごすのだ。そしてもう、この屋敷には戻らないつもりだ。

 あくる日、思った通り明け方に部屋に戻ってきたあいつは仕事を終えると、軍服に着替え、私に最後の挨拶をしていった。

 「今まで、ありがとう。」

 それからはもう、何が何だかわからない。アンドレはこの部屋に戻ることはなく、時折、侍女が窓を開けに来たり、私を拭いてくれたり、花を手向けに来てくれた。
 そして今朝。ドヤドヤと騒がしい音と共に私は薄汚い布に何重にもくるまれて、荷馬車にのっけられた。

 それが今の、私の姿さ。でも私にも意地がある。

 アンドレっていうひたむきな想いで人生を駆け抜けた男をずっと見守ってきた美しい想い出を胸に、自分の生を終えようと思う。さようなら。私の話を最後まで聞いてくれてありがとう。


 突然、強風が吹いた。

 しっかりと固定されていたはずの鏡はゆらりと揺れ、石畳の上に落ち、鏡は粉々に砕け散った。

 破片は宝石の様に、キラキラとパリの空を映し出していた。


 FIN.

 pixivに掲載していた鏡シリーズから引っ越してきました。