心のバブル、これが「心の飢餓」をつくる。Ⅴ
殴られたからといって、殴り返してはいけない。
殴り返せば、相手も殴り返してくるだろう。
憎い相手を憎しみで返してはいけない。
なぜなら、
邪気が共振して憎しみが倍増するからです。
憎しみは心の苦しみをつくる。
慢性的な、心の苦しみ、
これが《心の飢餓》だ。
殴られて体は傷くが、命は亡くならない。
命あることに感謝し、体を治療して養えば体は回復できる。
しかし、憎しみを憎しみで相手に返しても、
憎んでいる念は自分の中からは消えない。
これが、心の飢餓をつくる。
「飢饉」と「飢餓」は、似ているようでその現象は違う。
「飢饉」は、一時的な、地域的現象。
食べ物が欠乏して餓えるが、命は亡くならない。
人と人の心をつなぎ、食べ物を分け合えば、体は養われて回復できる。
「飢餓」は、慢性的な、食糧不足や酷く栄養の状態が悪い現象。
この状態が長く続けば、命を落としかねない。
「心の飢餓」は、特に、心の問題、心の病を指す。
心の状態が、慢性的な、愛情不足や心が必要とする栄養の状態が酷く悪い現象。
この状態が長く続けば、生き地獄に陥る。命さえ落としかねない。
地獄とは、果てることなく、苦しみの連続の空間。
生き地獄とは、生きながらにして、果てしない心の苦しみを味わう。
体は、美味しい食べ物や栄養のある物を摂取すれば、体は満足するだろう。
しかし、心の飢餓は、
いくら美味しい物を食べても食べても、心は喜べない。
いくら栄養のある物を摂取しても、心の苦しみは癒せない。
心の飢餓の特効薬となるもの、
心がほしい物、心が必要とする栄養、
それは「愛」だ。
他を可愛いと思う気持、他を可愛がる愛。他を大切に思う気持、他を慈しむ愛。
他の喜びを喜ぶ心、他への奉仕の愛。
日本語で表現するならば、他への「思いやり」「思いやる心」だと思う。
つまり、「人と人との心のつながり」を大切に、だということですね。
心のバブルは、心に気泡ができて、魚のガス病みたいに、心の障害を起こす。
ゆえに、心が機能性不全を起こし、人間の思考回路が狂う。
人間の思考回路が狂えば、、
善悪の、正しい判断ができなくなる。
真実が見えなくなるから、よく騙される。
ちょっとしたことでパニックを起こす。
問題の解決を自分で考えられない。
あるべき人間として行動ができなくなる。
心のバブルは、生き人間をゾンビ化していく。
人類はかつてない、「心の飢餓」という危機に面している。
私たちはこのことを自覚しなければならない。
あんどうよしみ