京都の『漢字学研究会』にて、落合先生と知り合うまえ、

 

落合先生の御著書を読んでいると、

 

この人は、甲骨文に対していかにも慎重なものの書き方をする人だなという印象であった。

 

今でこそ、研究者としては、分からないものは分からないと記すことが当たり前と思うが、

 

一般ピープルのただの古代文字好きの、ど素人のわたしや、白川静氏の字説が大好きな方達にとっては、

 

不明である、分かりようがないという言葉を読むと、

 

なんだ結局分からないのかと、どうにも期待した答えが帰ってこないと、ふがいなさを覚え、落合先生には字説がないねと偉そうに話していた。おそらく15年以上前になるだろうか。

 

偉そうに話すのは、素人さんの特権である。

 

それが、2007年『甲骨文字の読み方』で、誰もが読みやすく、分かりやすい甲骨文の提示を行なった。その後、2015年『殷ー中国史最古の王朝』で、新書版でありながらも、本格的に甲骨文を見せた。

 

さて、安東はこれまで、西周金文にのめり込んでいたので、東京雑学大学の9月の授業を念頭にいれて、

 

甲骨文にのめり込む暑き夏にしようと決めた。

 

甲骨文に関する本は、ただ読んでいるだけではダメである。例えば、『殷』の本であれば、

 

132頁~133頁に甲骨文が四例挙げられている。

解釈を読んで見た気になってはいけない。

 

すかさず、最後の254頁の出典一覧に飛んで、『甲骨文合集』の番号をみながら、

 

すぐさまネットの『国学大師』を開いて、、『甲骨文合集』のところをクリックして、番号を打ち込み、拓本を見る。

 

合集掲載の拓本を見ずして、死ねるか。

 

いつコロナでコロッといくかもしれない昨今、このリビングの定位置の、わたしの椅子に座ったまま、拓本を見られる、この幸せを味わうことなく、死んでなるものか。

 

古代人が刻んだ文字も一緒に味わえる、この『殷』の本は、一回で二度美味しい、最高な書物である。

 

最後に、現在の落合先生は、若手研究者の真っ直ぐさが前面に出ていて、もはや甲骨文に対しての重厚な知識と自負心がオーラになっており、大変好感がもてる方であることを付け加えておく。