今日は、私のビジョンを
ここに残しておこうと思います。
私の人生目標は
「笑って死にたい」です。
そして、
人生が終わるときに
「幸せな人生だった」と
言える人を増やしたい
これが私の
いままで全ての活動のビジョンです。
そしてきっとこれからも。
ちょっと長いのですが
私の価値観の話
よろしかったら読んでいってください。
幼少期からの疑問
なんで人間は生きてるんだろう
なんで人間は考えるんだろう
私はだれなんだろう
どうして私は私の形をしているんだろう
その虫はなんのために生きてるんだろう
何が生かしているんだろう
そんなことばっかり考えていた
いじめも多少はあったし
あんまりお友達と楽しく、仲良く、
放課後遊ぶとかではなかった
特に死にたかったとかでもなく
本当に疑問だった
大人に聞いても
納得できる回答じゃなかった
そして高校時代
理系なのに哲学にはまった
私が考えていた疑問を
学問として深めてきた人たちがいた
大学受験そっちのけでのめり込んだ
薬学部で解決した気がした
体が弱めだったので
医療への感謝があった
そして薬学を選んだ
病気を治すのは薬だと考えたから
薬学部では
体のなかのミクロの世界を学んだ
人間の全ての活動を
化学物質が支配していること
そして
人間を人間たらしめるもの
思考や感情も全て
化学物質なんだと習った
そうなると小さな頃からの疑問が
なんとなく解決した気がした
習っていることが自分の体の中で
起こっていることに激アツになった
そして現場で働かず
企業の学術の道に進んだ
医療情報を提供する仕事
それから結婚し
それぞれが自分のやりたい趣味をする
平和なDINKS生活を送っていた
そして夫と旅行しているときに電話が鳴った
・・・家族が末期ガン宣告されたと
刺さり続ける源泉
医療情報を扱っている私
もちろん情報収集はした
でも太刀打ちできる種類のガンじゃなかった
いちばん致命率が高いと言われている種類のガン。
あと数日ですといわれたとき
医療って残酷だと思った
余命は言われていた通り
ぴったり6ヶ月だった
もう本当に辛くて苦しかったのだろう
その家族はある一言を言った
衝撃的すぎて
ここでは書けない
そして私たちは
これ以上家族が苦しまなくてすむよう
鎮静剤をいれることを
提案された
鎮静剤を入れるということは
もう話ができなくなることを意味していた
それを私たちが決めなければいけない
葛藤したけど
葛藤よりも早く楽にしてあげたくて
私たちは同意した
そして数日後
家族は亡くなった
家族が亡くなったことは
数週間、数ヶ月して乗り越えた
人間はいつかだれもが死ぬ
それはわかっているつもり
でもこの時言われた一言は
ずっとずっと胸に刺さり続けていた
医療は進んでいるし
緩和ケアも進んでいるはずなのに
なんでそんなに苦しまきゃいけないのか
なんで
なんで
ねえ
なんで
人生なんて儚いかもしれない
でも、その人の生きた軌跡だ
終わる時ってこんなにつらいのか
だれもがこんなに苦しむのか
楽しかった思い出を
穏やかに思い浮かべながら
人生に幕を引くなんて無理なのか
それだけはずっとずっと
私の心に棘として刺さり続けていた
ちっとも解決していなかった
小さい頃から
人間ってなんだろう
なんで生きてるんだろう
ってずっと考えてたのに
家族が亡くなって
より一層わからなくなったし
化学物質の結合と解離だからだ
とかそういうことじゃない
もっと生身の
哲学とも違う
実践的で納得できる答えが欲しかった
だから
緩和ケアに興味を持った
調べていたら
加齢で亡くなる場合は
飲食を計画的に経つと
苦しまずに死ねるとか
西行法師は
計画的自死だった説があるとか
在宅医療では
暖かい看取りができるとか
色々な情報があった
緩和ケアの道に進むことも考えた
でも、家族以外であっても
人の死に対峙できるとは思えなかった
俯瞰してみると
ずっとそんなことを考えていた
そしてひとまず
医療の観点をはずれてみると
じゃあ穏やかな死ってなんだろうと考えた
穏やかな死を迎えるには
いい人生だったと言えるベースが必要だ
よく考えたら
衝撃的な一言に私が翻弄されてるだけで
家族は、
いい人生だったと思ってるかもしれない
最後が辛そうだったのは間違いないけど
それよりも、
「いい人生だった」って思ってたかどうかが
重要かもしれない。
いい人生ってなんだろう。
それは、後悔なく
人生をやりきった!
と思えることじゃないか?
この時、私は
自分のビジョンが定まった。
わたしは亡くなるときに
「いい人生だった」と思いたい。
できれば痛くも辛くもない方がいいけど
それよりも
いい人生だったと自分で思えるように
生きていきたい。
そして、できるならば
そう思える人を
私の手で増やせたらいい。
まずは近いところから、
そして広げていけたらもっといい。
そういう経緯で
私の全ての活動のビジョンは
「亡くなるときに
いい人生だった…と
笑って旅立てるお手伝いがしたい」
になった。
昭和と令和
家族の半生を書き出してみると
幸せなエピソードの隙間に
やりたかったけどできなかったことが
たくさんあることに気づいた
昔は価値観や環境的な制限で
できなかったことがたくさんあった
でもこれって今の時代だったら
できただろうなと思うことばかりだった
そしてわかってきた
現代、やりたいことは
困難があっても
何か解決策がある
少なくとも昭和と比べたら
打つ手は無限にある
ただ、それを知らないだけ。
だから、有益な情報を得られれば、
「いい人生だった」と思える人が
増えるんじゃないか。
自分を振り返ってみると
私自身は
ずっと同じ企業
同じ文化、同じ人間関係の中に
15年もいた。
子供がいるから…と昇進も望まなかったし
地方出張もなるべく行かない
配慮をしてもらってた
育児中の社員は小さくなってなきゃいけない
という人もいた
そんな中、
twitterやブログで
自分を輝かせているママたちが
いることを知った
会社の課題図書のビジネス本は全部
「行動しろ」に集約されると理解した
西野亮廣さんの
革命のファンファーレで
私は世の中を知らなすぎると
突きつけられた
つまり、「情報」を得たことで
考えが変わった
やがて、退職して
ビジョンのために活動することにした
具体的にはなんでもよかった
ビジョンに沿っていて
経歴や強みが生かせれば
なんでもいいと思った
そして今
私のように情報を得ることで
人生が変わる人がいるかもしれないと思って
活動しているのが
図解や
グラフィックレコーディング。
私が描くことで、
そして描ける人を増やすことで
「いい人生」をおくれる人を
増やせると信じている。
今後、活動の内容が
変わることはあるかもしれない。
ただ、きっとこのビジョンは
変わらないと思う
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