近代住宅では、すっかり見なくなった広縁
幼い頃、いつも親戚の広縁でよく遊んだものだ。
広縁の自然な良さは、日本の四季に見事に
馴染み、適していると思われます。
将棋をしたり、楽器を弾いたり、勉強もできる
が・・・勉強はあまりしたことはない・・?
広縁は、掃出し窓を開けると、濡れ縁と
同じように外部空間の1部の働きになる。
開けると涼み台と同じで、そこに腰をかけて
庭で遊ぶ子供の相手もできるし、日曜大工を
やりながら、縁台に座っているおじいさんから
教えをいただくこともできた
田舎の縁でお茶を飲んだり、歓談したりする
する情景が、TVなどではよく見かけますが
実際には、造られなくなっていますね。
開けると、外部と一体になる。
締めると個室にもなる。個室にするには、幅も
欲しいが・・・狭いなりにも、端に机を置いて
勉強部屋にもなる。 風通しもいい。
内側のガラス戸を開けると、和室と一体になる。
冬は、縁側のはきだし窓も閉め、内側のガラス戸
も締めると、前室の役目をするので、この上ない
高断熱の役割もしてくれる。
夏は、逆に両方開け放って、外部と和室も一体化
させて広くもできる。 葬式もできるわけですね。
梅雨時期は、縁側が緩衝空間として、うっとおしさを
軽減してくれる。 戸というものは面白いと思う。
そもそも「戸」は、部屋 と 部屋の間にある。
文字で書いても ↑ と=戸 ですね
戸は、開くと2つの部屋がひとつになる。繋がるが、
「と」は、どちらの部屋のものでもない。
海と山 「と」の領域は広いところもあれば、断崖の
ように狭いところもあるが、縁(フチ)のような線はない
机と空気 一見机の縁かもしれないが、量子物理
学的な世界で見るとどこにあるのかもわからない
だろう
あの世とこの世 あの世の人は時空を越えて移動
できるという。 戸もないようだ。あっても量子物理
的な極精妙な粗粒子なので何なく通過するのだろう
岩戸は架空の扉だが、この世のモノにとっては、
広縁のようなものかもしれない。
外部空間でもなければ、部屋でもない。廊下でも
あるが廊下とは言わないし、海外の人から見ると
不可思議な空間ではないだろうか
だから、縁側というのだろうか?
縁とは?、見えないがなにか繋がっている。
宇宙のヒモ理論なるものが、見えるヒントが広縁や
縁側にあるような気がするのは私だけだろうか?