うしろ姿で導く | 「魂が震える話」ブログ

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おはようございます。

けいです。

最近、「ペイ」が多くて混乱しません?

ペイペイ、ペイパル、クイックペイ、ラインペイ、三平、寛平と・・・(笑)

コンビニで払うとき、クイックペイで払いたいのに口では「ペイパルでお願いします」って言ってしまい、「あっ、すいませんペイペイ・・・じゃなくてクイックペイで」ってなります(笑)

今後、ついて行けるか心配です(+_+)

さて、今日は「うしろ姿で導く」というお話です。

子供や部下など、教える立場にある人には必見のお話です。

以下をどうぞ♪

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子弟の教育には、父兄たる人が、読書・手習い、および学業や運動など、怠ることなく自ら執り行うようにすべきである。

すべて幼少の者は、どんなことでも人真似をする。

その中にも、天然の血筋にて、父兄は特別でほかに並ぶ者がないとまで思うため、何事も父兄の所業を手本にするものだ。

すると、子弟は自然に八徳および学業や運動をも身につけ覚える。

叩いたり叱ったりすることなく、身を以て子弟を導くことになるわけで、これを徳行というのだ。

このようにすれば、わざわざ厳しく戒めたりせずとも子供は素直に従うものだ。
 
特に教えたわけではないのに、気づいたら子供が親とそっくりな仕草をするようになっていたというのは、実によく聞く話です。

子平は「子供にとって父親はほかに並ぶ者がないほど特別な存在だ」としていますが、家庭の中にある幼い子にとっては、親が世界そのものといっても過言ではありません。

自分が子供にとって世界そのものだということは、その責任の重さもさることながら、一方で親としての喜びこれに勝るものはないでしょう。

ある人から、「最も尊いのは後ろ姿で導く人だ」ということを、一篇の詩を通じて教えていただいたことがありました。

それは安積得也の「うしろ姿」という詩です。

「語る人貴し/語るとも知らで/からだで語る人/さらに貴し/導く人貴し/導くとも知らで/うしろ姿で導く人/さらに貴し」(詩集『一人のために』収録 善本社)

言葉で教え諭すことは親と子のコミュニケーションにもなり、説得力は増すでしょう。

しかし、特に子供の教育ということを意識することなく、親自身が喜びを感じながら体を鍛えたり、様々なことを学んでいたとすれば、子供は学んだり鍛えたりすることは、とても楽しいことなのだという感覚を、自然と抱くことになるでしょう。

まさに「導くとも知らず、うしろ姿で導いている」ことになります。
 

(「武士の子育て」石川真理子 著 / 致知出版社より)


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もしかしたら、人を教育しようと思うこと自体が間違っているのかもしれません。

それは「相手ごと」だからです。

人を変えよう教育しようと思えば思うほど、否、正確には思う人ほど教育できないものです。

しかし、自分のうしろ姿で語り、生き様を魅せられたら、自ずと人は導かれ教育されていくのではないでしょうか。

尊敬や憧れによって人は「こんな風になりたい」と行動を真似、言葉を真似、少しでも近づこうと努力します。

僕の子供は6歳(年長)と4歳(年少)ですが、毎朝6時半頃に自分たちで起きて、言われなくても公文やら進研ゼミやらで勉強しています。

その近くで毎朝本を読むのが僕の日課でもあります。

「勉強しなさい」と言わなくても、不思議とやるものです。

あっ、妻はよくキレてます(笑)

親が楽しんで学んでいる姿を見せ、親が楽しんで運動している姿を見せ、親が明るく挨拶している姿を見せる。

子供や部下は、「自分が言ったとおりに育つのではなく、自分がしてきたとおりに育つ」のでしょうね♪

うしろ姿、生き様、磨いていこうと思いました(^^)v