「名声や利害にとらわれない堂々たる人間」というお話です。
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『論語』に「王が善なることをしたいと思えば、人民は善い心がけをする。君子の徳というのは風のようなものである」と書かれている。
このように人が見ているところで徳を積むことを「陽徳(ようとく)」という。
すなわち、上司が天地自然の理に適った正しい行動をしていれば、その指示で動く部下も天に従っていることになるということである。
正しいおこないをオープンにして、より多くの人を巻き込むことで、温かい善行の輪が全国に広がっていくということでもある。
これに対して、「陰徳(いんとく)」は、人が見ていない所でどこまで徳を積むかということが大切であり、そのことが天地自然の理に適った生き方ということである。
『論語』に「仁者は自己が立ちたいと思えば、他人を立たせ、自分が達成したいと思えば他人に達成させるのである。仁者は身近な例えを用いて実践する。これが、仁徳の道というものである」と書かれている。
このことはことわざ「情けは人の為にならず」に通じ、情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良いという意味である。
しかし、他人に恩をきせる奉仕は後で嫌な思いをすることも多々ある。
別のことわざに「他人に為したる善行は忘れるべし」とあり、これが本来の「陰徳」であろう。
また、『論語』にも「自分の善行はひけらかさず、人に面倒はかけない。そういう人間になりたいものです」と書かれている。
言い換えると、「名声や利害にとらわれない、堂々たる人間になり、無名のまま立派な業績を後世に残す」ということであり、商人の立派な業績とは、商売により得た利益を万民の救済に活用することであるといえる。
吉田 善一 著
冨山房インターナショナル
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このお話を読んで真っ先に思い浮かんだのが、幕末から明治を駆け抜けた「剣」「禅」「書」の達人、山岡鉄舟さんでした。
こんなエピソードがあります。
鉄舟さんの義弟に、石坂周造さんという方がいました。
その石坂さんの借金二十六万円を背負わされることになります。
ちなみに当時の鉄舟さんの月給が三百五十円だったことを考えると、かなりの額です。
しかし、このような大迷惑をかけておきながら、石坂さんは平然と鉄舟さんの家に出入りし、鉄舟さん一家の質素な暮らしぶりを目にしながら素知らぬふり・・・。
家の者はこの様子を見ると、どうにも不満でたまらず、石坂さんとの絶縁を鉄舟さんに求めます。
それに対して鉄舟さんが言った言葉が以下です。
「石坂がもし俺に金のことで迷惑をかけなかったら、代わって必ずほかの誰かが被害を被ったはずだ。
が、それが俺なので誰かが助かっているのだ。
そのうえ俺が石坂を手放したら、それこそ何をしでかすかわかったものではない。
まあ、わが一家のことは互いに我慢すれば済むことだ。
困難も人のせいだと思うとたまらないが、自分の修養だと思えば自然と楽土にいるように思えるものだ」
と言い、石坂さんとはこれまで通り、少しも変わることなく付き合ったそうです。
また、鉄舟さんを訪ねてきた人には、相手がどういう人だろうと、どのような用件だろうと、必ず会ったそうです。
そしてあいさつは、額を畳につけて丁寧にしたといいます。
自分に忠告してくれる人に対しては、「あなたはわたしのためには神様か仏様なのでしょう」と言って、有り難く聞き入れたり、三度の食事は腹が膨れれば何でもよいと言って、一度も不平を言ったことがなかったり。
あの西郷隆盛さんは山岡鉄舟さんを、こう評しました。
「徳川公は偉いお宝をお持ちだ。
山岡さんという人はどうのこうのと言葉では言い尽くせぬが、何分にも腑(ふ)の抜けた人でござる。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る、
しかし、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。
本当に無我無私、大我大欲の人物とは山岡さんの如き人でしょう」
【名声や利害にとらわれない、堂々たる人間になり、無名のまま立派な業績を後世に残す】という生き方がカッコいいですね♪