大人になると、卒業はない。
定年はあるけど、それはすごい長いスパンの話だし。
大人は、自分で卒業を決める。
もちろん、
環境や周囲の理由で去ってくこともあるけど。
私はものすごくたくさんの職業履歴のある人間で、
その都度、自分で決めて、そこを去って行ったんだけど、
卒業みたいな別れとはまた違っていた。
自分が自分の意思で出ていくから、
さみしいけど、
新しいステージに向かう気持ちも強かったし。
でも、自分が残って、
誰かが去っていくときは、
すごくさみしかったかも。
人生で、誰かと一緒に過ごす。
それは、別に「この人と過ごそう」
って選んだわけじゃなく、
その場所でしたいことがあって、
そこへ行って、
そこにその人がいたから出会って、
仲良くなるんだけど、
でも、別れが来る。
別れはさみしい。
どうして、ずっとそこで楽しくやっていけないんだろう。
どうして、わざわざ悲しい別れを選ぶんだろう。
子供の頃の私は、
別れがものすごく苦手な子供だったので、
子供の自分なら、
きっとそう思うかもしれない。
子供の頃は、
たとえばいとこの家に遊びに行って、
帰りの車から泣き出して、
2時間も泣き続けて、
家に帰っても、1週間は復活できなかった。
どうして人はさよならしなければならないのか、
いつも心臓が切れそうなほど、
悲しかった。
でも、生活を変えてまで、
新しい場所へ向かうのは、
目的があるからなのだろう。
私自身、何度職場を去ったかしれない。
でも、今はもう、私は別れを欲していない。
なぜなら、ここが、
今思う自分の執着地点な気がする。
それは「完成した」ってことじゃなくて、
ここが「頑張りぬく場所だ」と感じているから。
でも、
人の気持ちは変わる。
生涯愛すると誓ったひとや、
こんなにかわいい存在はないと思っていた子供と
別れ行く人もいる。
人は変わる。
「仕方のないこと」だと、言う人もあるだろう。
そして、きっとそうなのだろう。
進化するため?
飽きてしまうから?
理由はいろいろ。
でも、これだけは言える。
さみしいよ。
ずっといたものが、
ずっと一緒と思っていたものが、
ずっとつながったいたものがなくなるのは、
さみしい。
今月は、3つの別れがあった。
どれも、すごく大好きで、大切な存在。
これからもきっとそれはかわらないんだろうけど、
どんな理由をもってしても、
どんな未来を願っていても、
さみしいって、私は言いたい。
さみしいよ。
みんな。
いつか再会できる人。
もう二度と会えないかもしれない人。
いろいろだけど。
この別れが、
その後の未来をよくしてくれることを、
願わずにはいられない。
希望的な別れも、
負からのスタートも、
非情な別れも、
みんな、いつか、笑える日が来るといい。
雨に濡れたアジサイは、
悲しい美しさだった。
