母親がお墓に優しく話しかけていて、なかなか立ち去り難そうだったり、
祖母が仏壇にご飯をお供えしたあと、一心にお願い事を口にしている背中をみたりして、
子供の頃にはただの物に感じていた墓石や仏壇に、魂を感じて、大切にするようになる。
昔から続いていることなんだろうな。
そういう姿に、学んでいき、受け継がれていく。
いや、自分の周りの人に、もう会えなくなったら、自然とそういう風にするのかも。
しかし、集団心理やシステムも受け継がれていく。
今日は、朝からオリンピックのメダリストパレードをテレビで見たけど、パレードが終わったら、各局が一斉に尖閣諸島の領海問題のニュースに切り替わって、反日デモが流れた。
オスプレイの問題のこの時期で、ちょっと気持ち悪いと思った。
領土問題は難しい。
結局は戦争などの悲しい過去に、どこで区切りをつけたかってことになるし、それからその場所に誰がいるかってことになる。
いたら、なんだか仕方ない感じで、誰もいないとこういう争いになる。
それは過去の悲しい戦争に直結して、消えぬ怒りの熱を再燃させる。
私は学校では、原爆の話はよく聞いたけど、大陸に日本が行った戦争の話はあまり教えられなかった気がする。
先日は中国から私の兄が帰国していた。
兄は中国で暮らしている。
中国に祖母と遊びにいったときのこと。
船に乗ったとき、全席指定席なのに、私の席にはすでに中国の人が座っていたので、兄が船員に言うと、だったら別のこっちに座っていい、というので、私と88の祖母はそこに座っていた。
すると今度はその席のチケットを持った人が来て、ここは俺の席だといい、また船員にこっちに座れと言われた。
しかし、座ったらまたその席の人が来て、船員に別の場所に座れと言われた。
私は88のおばあちゃんが何度も立たされて、移動させるのが大変なので、頭に来て船員に「あなたがここに座れと言ったんでしょ?!」と日本語で怒った。
すると船員は「じゃあ、そこで座っていていい」と言われた。
中国はそういう国なんだな、とその時に思った。
指定席なんて関係ないし、自分が譲っていたら、いつまでもそう。
だけど、主張すれば、じゃあいいと認められる。
私は中国を好きです。
みんなが生きることに懸命で。
だけど、日本人なので、マナーを守らないことが嫌なのです。
だけど、強く言えば対応すると思う。
譲ればどんどん遠慮はしないと思う。
正直、今の日本政府の対応はイライラする。
基地の問題とかオスプレイの問題とかも含めて、このタイミングが気持ち悪く感じる。
この問題も、竹島も、北方領土も、基地問題も、もっと建設的な解決方法はないのだろうか?
対立や争いではなく、両国の経済発展とか研究などに有意義な方法の提案など、考えられないだろうか。
難しいと言うだけじゃ、かわらない。
どこの国も政権のことしか考えてないように感じる。
それに利用されている民衆のデモなど。
なんだか私のなかに怒りがあるけど、何をしたらいいのだろう?
そんな思いを、思いきって書いてみました。
Android携帯からの投稿
