昔の京劇での関羽 | 呉下の凡愚の住処

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三国志(孫呉)・春秋戦国(楚)および古代中国史絡みの雑記、妄想、感想をおいてます。
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他、中国旅行記や中国語学習記も。

北京・西安旅行の写真を何もアップしてないままの流れでアレなんですが……
(と言うか何の旅行の写真もアップしていない……)

京劇《走麦城》を見終わったので感想を書きます。
数ある中国の動画サイトで検索して見ました。
動画サイトで“京剧 走麦城”で検索すると出ます。
その他の劇も“京剧 ○○(題名)”で検索すれば見られると思います。

《走麦城》は三国志好きにはたぶんお馴染みだと思う、
関羽の最期の戦いを扱った劇です。

以前から聞いているところでは、
この劇は「関羽が死んでしまう内容」ということで不吉とされ、
ほとんど上演されることはないそうです。
どれぐらいの頻度をもって「ほとんど上演されない」のかは知りませんが……
また、関羽役の舞台化粧ではホクロや黒い線を足すなどして
「これは劇の役であって関帝本人ではありません」
というアピールをすることになっています。

もっと昔は関羽の演者にはいろいろなきまりがあったそうです。
役者は上演の7~10日前には斎戒沐浴して一人で眠り、
上演直前には関帝像にお焼香してお参りし、
楽屋では鶏を殺して祭っていたそうです。
役者は帽子の中か胸元に関帝像の描かれている紙を携帯し、
(↑関帝像を紙で包んで携帯するという意味かもしれない)
終了後にはその紙で顔を拭い、関帝像の前でお焚き上げし、
関帝の庇護に感謝を示していたと……

清の皇宮で関羽の出る劇が演じられたときには、
関羽の登壇時には皇帝、皇后、妃なども数歩下がらなくてはならず、
離れてから初めて座って観劇できたそうです。
件の《走麦城》を上演するときには舞台の上下で香木のお香を焚き、
蝋燭を灯さなければならなかったとか。
そしてこれらのきまりを破ると、ただちに関帝が霊験を顕し、
役者を事故に遭わせ、劇団にも災いを起こす……と言われていたらしい。

以上の昔のきまりは维基百科に載っていたことで情報源は不明です。
しかし関羽ってそんなに速攻で人に祟る神なんでしょうか……
もしそこまで容易に祟るのであれば、
関羽を信仰もせずに金儲けの道具にしている輩にこそ
最速で祟るべきだと思うんですが、
どうも誰も彼も祟られている気配がないので、
たぶん彼自身は道に背いている人間を相手にはしてないんだと思います。
まあ自分の神すら杜撰に扱う輩は死後ロクなことにはならないでしょう。

昔の人たちの信仰心はすばらしいし、
神に接するときは厳粛にすべしという姿勢は間違いない。
むやみやたらといろんなものを崇め奉る必要はないけど、
自分が信じる神ぐらいは敬って大事に接するべきだと私は思います。


感想を書くつもりが前フリだけでそれなりの長さになってしまった……
これ結局感想本文もものすごい長さになったので、さすがに分けました。
まあこっちは京劇の関羽についてのまじめな記事ということで……