『甜蘆粟の由来』 | 呉下の凡愚の住処

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三国志(孫呉)・春秋戦国(楚)および古代中国史絡みの雑記、妄想、感想をおいてます。
文物や史跡など、誰もが実際に見に行けるものを布教していきたいな。
他、中国旅行記や中国語学習記も。

原題:甜芦粟的由来
(博主注:蘆粟はlúsù、鲁肃はlǔsùで音が同じです、声調がちょっと違うだけです)

これは湖北省群衆芸術館・編の『三国外伝』に載っている話です。

もとは中国語だったのを私が訳し、
それをたぬきママさんに清書していただきました。
たぶん今後も一生このSTYLEでお願いすると思います。(土下寝)

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***


聞くところによると、
太湖に訪れた者はみな、湖畔で甜蘆粟を食べ歩くのが好きだ。
どうやらこの甜蘆粟、元の名を“甜魯粛”と呼んだらしい。


昔の太湖の湖畔一帯は標高が低い田んぼが多く、
“水汪田(水たまりの田んぼ)”とさえ呼ばれており、
十年のうち九年は収穫がままならないような土地だった。

しかし県の官吏は百姓の生死など気にかけずに、
規定どおりの年貢を要求したので、百姓はとても生きていけない。
彼の地の百姓の窮状は、目を覆うばかりであった。

当時、東呉に仕えていた魯粛はこのことを知るといても立ってもたまらず、
主君孫権のもとに走り、
自分を3年間太湖近くの県令とするように頼んだのである。

さて、その地に祀られる、とある廟の中には大きな菩薩が安置され
人々の信仰を集めていたのであるが、いささか古臭く見栄えが悪い。
それなのに街道に面していて、目立つ場所に立っていたのだ。

新しい県令は、主君の寵臣である。
こんな見苦しい物が居座っていて、魯粛が不快になってはたまらない。
県の文官武官は廟をただちに壊し、辺りを片付け見栄えを良くしようと企んだ。

そして自分たちは城から十里先の官塘大通りに立ち並んで、
魯粛を丁重に迎えようとした。

しかし朝から暗くなるまで待っても、川辺には官吏の輿など見えないし、
水面にも官船は見当たらない。次の日もむだ足に終わり、
その次の日もまた待ちぼうけを食らった。

文官は怠けるわけにはいかぬ、
武官も失礼をするわけにはいかぬと毎日待ち続けたが、
むなしく三ヵ月が過ぎてしまった。

実は魯粛は冠から服まで普段着姿でとっくに太湖に訪れていたのであり、
壊された例の廟に寝泊まりしていたのである。

魯粛は有言実行の人物で、太湖の支流の分岐点をよく観察し、
まわりの家々を訪ねてはあれこれと聞き回った。

ある時、何をしているのかと聞かれると、魯粛は穏やかに笑いながらこう答えた。
「私は水の勢いを削いで、言うことをきかせたいのですよ」

農民は、みなその言葉を喜んで魯粛の周りに集まり、昼も夜も語らい、
ついに治水についてふさわしい考えがまとまったのだった。

それから農民たちは魯粛の指揮の下、
彼が連れて来た技術者達も加わってしっかりと堤を修理し、
大小の人工水路を着実に掘り進めたのである。

こうして苦労を重ね“水汪田”の水は引き、農作物が無事に育つようになった。

話を聞いた県の者たちがことの次第に驚き、急いで治水の完成した地を訪れ、
魯粛が百姓を導いて湖畔を救ってくれていたことに
ようやく気付いたという間抜け振りは――
後々までも語り草になったと伝えられている。

これよりのち、太湖のまわりの田んぼはよく肥えた田地となり、
毎年の収穫も多く、農民たちもよい暮らしを送れるようになった。


後に大恩ある魯粛が病気で世を去ると、
太湖の百姓たちは彼が築いた堤の上で魯粛を弔った。

悲しみのあまり一同の涙が堤を濡らし、
てっぺんの土はみな湿ってしまった程であったと言う。

そして一晩が経つと、
湿った土からは不思議なことにサトウキビに似た植物が一株生えていた。
食べてみれば、味はとても甘い。

みなこれは魯粛が変じたものだと噂しあった。
彼の素晴らしい県令は離任する時、太湖を離れがたそうにしていたから、
こうやってこの地に留まることにしたのだろう、と。

こうしてこの植物は“甜魯粛”と呼ばれることになり、
のちに転じて“甜蘆粟”になったのである。


***


甜蘆粟とはモロコシのことらしいです。
手元の辞書だと「蘆粟は甘蔗(サトウキビ)ともいう」と書いてあるのですが、
この話の中では甘蔗と甜蘆粟は区別されており……
学名で調べたところ、蘆粟は甜蘆粟とも言い、日本語だとモロコシだそうです。

ちなみに太湖というのは

太湖

この地図の丸(震沢)の部分。
この地図ほんと役に立つな!!(手前味噌)

すごいなあ……
遠く離れた洞庭湖でも英雄なのに、太湖にもこんな民間伝承が残ってて……

自分の大好きな人にこんな話が残ってるなんて本当に誇らしいです。
去年5回、今年既に2回お墓参りに行ったくらい、
好きです( ˘ω˘)

去年の12月から放置してあったのをやっと投稿できました。