歴史にまったく興味がなくても黄鶴楼のことが分かるような記事を書いて、
と言われたので急いで書いてみました。
そもそも歴史にまったく興味がない人の思考回路が分からないので
これで黄鶴楼のことが説明できるのかはなはだ疑問である。
↓参考までに去年の記録です
武漢旅行記・4日目「黄鶴楼」(1/2)
http://ameblo.jp/ancyon/entry-11330472089.html
◆黄鶴楼
湖北省武漢市、長江南岸の蛇山・黄鶴磯の頂上にあります。
蛇山は別名を黄鵠山と呼ばれており、“鵠”と“鶴”が通音であったことから
「黄鶴楼」の名が付いた、というのが歴史的見解のようです。
(仙人にまつわる由来のほうが有名なのですが、有名ゆえに割愛します)
初めて建てられたのは孫呉の黄武二年(223)。
その後しばしば建て直されましたが、
今では江南三大楼閣の代表となっています。
※明清時代だけで10回も建て直されているらしい
※三大楼閣:他の二つは岳陽楼と滕王閣です
歴代の詩人たちが黄鶴楼に登って詩を読みました。
中でも唐代の詩人・崔顥の『黄鶴楼』が特に有名です。
黄鶴楼公園でも見られるのでご安心ください。
清の光緒十年(1884)に火事に遭って取り壊されており、
現在の楼が完成したのはつい最近・1985年。
ちなみにかつては約1km離れた場所にあったそうです。
現在は高さ51.4m、5階建ての雄壮な建物になっています。
楼に登れば、武漢三鎮(武昌・漢陽・漢口)の
壮麗な景色を一望できることでしょう!
↓おまけ↓
◆魯粛衣冠塚
武漢・亀山のふもとには魯粛の墓がある。
土地の人が魯粛の功績をたたえて建てたものだ。
墓には衣冠がおさめられていたとされるが、定説はない。
『元和郡県志』や『漢陽県志』の記載によると、
亀山はまたの名を魯粛山、魯公山、魯山といったようだ。
かつて山頂には魯粛山寺があり、廟内には魯粛像が奉られていたが、
現在、廟は荒れ果ててなくなってしまった。
魯粛衣冠墓は魯山(現在の名を亀山)のふもとにあるが、
かつては何度も繰り返し修繕されていた。
墓の周りは草が青々と茂り、木は鬱蒼とし、
この世のものとは思えない静けさである。
◆鉄門関
武漢の亀山のふもとには有名な三国遺跡――鉄門関――があります。
亀山を背に長江に向かい、堅固で守りやすく攻めにくい。
かつては「兵家必争の地」とされた場所です。
『漢陽県志』に「呉魏相持,用兵沔口,設点于此」
という記載があるそうです(未確認)。
後漢末・劉表が荊州を治めていたとき、鉄門関は石陽県に属していました。
今から1700年以上も昔のことです。
孫権が荊州を治めるようになってからは
陸遜、諸葛瑾が相次いで駐屯しました。
唐代以降、鉄門関は多くの戦禍を被り、何度か修復されました。
現存する鉄門関は1990年に再建されたもので、
山を背に長江を臨み、巍巍として屹立しています。
大きさは800平方メートル以上あり、
全長26.5m、横44m、幅18mあります。
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すいません時間切れのため寝ます。(……)
魯粛衣冠塚に至っては自分の過去記事のコピペです。
写真も全部自分の過去記事からの流用です。
手持ちの『図説三国・孫呉』と百度を参考にして書いたのですが
鉄門関の項目に
「城内には三国武将のジオラマ館があるぞ! 登ると長江を一望できるぞ!」
とか書いてあるんです。どこから入場すればいいのかな……
ていうか陸遜、諸葛瑾が相次いで駐屯ってYABEEEEEE!!!!
もうそれガチのパワースポットじゃないですか……
子敬様の衣冠塚もあるし、武漢半端ないな。知ってたけど半端ない。
犬も歩けば孫呉に当たるっていうか
ここら一帯孫呉スポットじゃないですか!?
改めて現実を突きつけられると嬉しくて床を転がりたくなりますね。
こんなゴキ什么什么だらけの部屋の床でも転がりたくなりますね!!
今日はこれらの場所に行く予定でいます。(ご近所です)
亀山はカットされる予感がしますががんばります。


