張滾を知っているか | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
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台北の史跡を調べていました。史跡(寺・宮・廟)中心に回りたいので。
女子力高い言い方(笑)をするとパワースポットですね。

すると『青山宮』という宮を発見しまして……
こちらに祀られている青山王というお方は三国時代の将軍・張滾らしいんです。
聞いたことがないのでとりあえず検索してみる。

そしたらなんと!
張滾は三国時代の孫権の将軍らしいんです。
えっ!? 誰!? <正直な感想
神になってるってものすごい出世じゃないか!?
名将と紹介しているサイトもあるのですが、
少なくとも呉書に伝は立っていない……日本のファンにも知られていないと思う。

百度で調べてきました。さすが百度、何でもあるな。
青山王はもとの名を張滾といい、後漢・三国時代の孫呉の将軍であった。
人はみな彼を張将軍と呼んだ。212年、張滾は泉州恵安の守備を任命された。
すぐれた治績をあげたため人々から慕われ、
死後には「青山王」という神として祀られることになった。

明の何喬遠が著した『閩書』の恵安県の項目*には
以上のようなことが書かれており、“青山王”は孫呉の将軍“張悃”だと思われる。
元の文「恵安県観応篇」だが、
 『閩書』の目次にその篇名が確認できない(中身にはあるのかもしれない)。

うーーーん。
五代十国の閩張悃という人がいたらしく、
この人も青山王のモデルだと言われています。
調べてみると他にもモデルがいるようです。伝説が多い神様なんですね。
福建地方でかなり古くから信仰されていたことは間違いなさそうです。

『閩書』は実在するし、恐らく孫権の将という記述もあるんじゃないかと思う。
が、この本の成立時代、ですからね……
第一、212年には権様はまだ今の泉州恵安のあたりを
どうこうしようと思ってなかったのでは……
百度の「泉州」頁にも変化があったのは永安三年(260)って書いてあるし……
正史を確認してもいいんだけど、面倒なので今回は百度で済ませた。

中国や台湾の青山王紹介サイトを見ると、当たり前のように
「青山王とは孫権の将・張悃である」って書いてあるのですが、
張悃って誰なんですか……聞いたことないアルよ……
私は民間伝承はどんなに怪しいものでもだいたい信じますが、
孫権の時代に泉州方面を守備というのはちょっと信じられないな。
さらに212年なんて書かれてしまってはどうしても信じられない……
董奉とか蒋侯とかは近い時代の書に記述があるので信用に足るんですが。

追記:
董奉に至っては裴松之の引いた注(士燮伝中『神仙伝』)に
名前と字と出身が出ておりますしね……


とは言えここまで調べてしまったのでやはり気になります。
『龍山寺』から近いみたいなので、
時間があれば『青山宮』にも行ってみようかな~と思っております。
最近ずっと休憩してましたがそろそろ勉強します……

一応「三国時代の孫権の将として有名」、ということなので
三国志カテゴリに入れてみました。