端午節 | 呉下の凡愚の住処

呉下の凡愚の住処

三国志(孫呉)・春秋戦国(楚)および古代中国史絡みの雑記、妄想、感想をおいてます。
文物や史跡など、誰もが実際に見に行けるものを布教していきたいな。
他、中国旅行記や中国語学習記も。

五月五日・端午節なので由来を置いておきます。
旧暦の五月五日の更新でもよかったんですが、
今年の旧暦五月五日は6月24日、中国語検定の日なのでやめました。

梁・宗懔『荊楚歳時記』より。
ほんとはもっと前から準備しておいて、ちゃんと出したかったのですが……
今日は仕事がとっても早いので原文だけ置いて失礼します。
カッコ(これ→)()内の単語は勝手に補いました。

■舟楫競渡 争採雑薬

是日(五月五日),競渡,採雑薬。

按,五月五日競渡,俗為屈原投汨羅日,傷其死所,故並命舟楫以拯之。
舸舟取其軽利。謂之飛鳧。一自以為水軍,一自以為水馬。
州将及士人悉臨水而観之。蓋越人,以舟為車,以楫為馬也。
邯鄲淳『曹娥碑』云五月五日,時迎伍君。逆濤而上,為水所淹。
斯又東呉之俗,事在子胥,不関屈平也。
『越地伝』云。起于越王勾践。不可詳矣。

是日,競採雑薬。『夏小正』云。此日蓄薬,以蠲除毒気。
何が言いたいかというと
「東呉では5月5日は伍子胥のための日です、屈原は関係ありません」
ってこの本に書いてあるということです。さすが我が国。

↓去年も同じこと書いてました。
『楚辞』を読んでみて思うには、屈原はボートレースとか見たら
むしろ嘆き悲しむタイプなんじゃないかと……
「こんな俗が流行るなど、楚はもう終わりだ」とか言うんじゃないでしょうか。
彼のことを想うなら本人のコスプレをしてあげたほうが喜ぶと思う。
(屈原の格好は『楚辞』に詳しい)
伍子胥ならボートレースも楽しんでくれるんじゃないかなあ。

(旧暦)明日は5月5日
http://ameblo.jp/ancyon/entry-10914537753.html

■新竹箬葉 節日裹糉

夏至節日,食糉。
按周処『風土記』。謂為角黍。人並以新竹為筒糉。
楝葉插(頭),五綵繫臂,謂為長命縷。

ちまきの由来です。あとで訳します。
荊楚地方でこの時期にちまきを食べていたのは事実ですが、
“夏至”とあり、端午の節句とは書いてません。
毎年、旧暦五月五日と夏至は日が近いのでいつしか一緒になったんでしょう。


以下、逸文。(らしい)
称屈原以夏至日赴湘流,百姓競以食祭之。常苦為蛟龍所窃。
以五色絲楝葉縛之。又以為獬廌食。(宋『爾雅翼』巻一八「釈獣廌」)

荊楚之俗,五月五日,民並断竹筍為筒糉,楝葉插頭。
纏五絲縷,江中以為辟水厄。士女或楝葉插頭,五絲纏臂謂長命縷。
俗言。屈原以此日投水。百姓競以食祭之。
漢建武中、長沙人有見人自称三閭大夫者。
謂之曰。所祭甚善。長苦為蛟龍所窃。蛟龍畏楝葉五色絲。
自今見祭、宜以五色絲合楝葉縛之。所以俗並事之。
宗懔引『風俗通』,以為獬豸食楝。原将以信其志也。
然則鳳凰獬豸,皆食楝,而蛟龍特畏之。是亦畏矣。(宋『爾雅翼』巻九「釈木楝」)
↑ここで初めて「荊楚では五月五日にちまきを作る」という話が出てきます。
端午以菰葉裹粘米。謂之角黍。蓋取陰陽包裹之義。
或曰。亦為屈原恐蛟龍奪之,以五采絲纏飯,投水中,遂相襲云。
(宋・潘自牧撰『記纂渊海』巻二「節序部端午」)

そう! いちばん大事なことは!
端午節(※付近)の諸々は荊楚地方から始まったんだよ!
ということです。
江南は時代の最先端を独走していたんですね。
あと、孫呉では毎年5月5日に伍子胥を祀っていたようなので、
呉が好きな人は安心して伍子胥を好きになればいいと思います。(布教)