荊州奪還と無限ループ | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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孫呉崇拝系やらかし記事です。
本気でやらかしていますので閲覧の際はご注意ください。
特に蜀漢ファンの方は自己防衛のためにウィンドウを閉じることをおすすめします。
何があっても「自己責任」でお願いします。苦情には対応できません。
※荊州北部は魏の領地です
※妄想がお嫌いな方は「読まない」のが最も有効かつ平和のためかと思います



呂蒙殿が荊州を力ずくで取り返したこと、
魯子敬様が生前すべてをかけた方針を破ってまで
荊州を手に入れたことは本当に正しかったのか?
あの行動により孫呉は結果として悪い方向に傾いたのではないか?
——というのは私にとって非常に重い問題のひとつです。
(自分で自分に重い問いをするという修行)

……でもあれがなければ呂蒙殿って目立たなかったよねーとか、
でもでも関羽を倒すとか命をかけてまですること!? 死んだら意味ねーじゃん!
ていうか子敬様の守ってきた7年間は何だったんだよ! とか、
っでも権様は超喜んだよね……
でも死んだら意味ないって、そこがまたカッコよいんですけどね……

っていう無限ループを一人でいつもやっているわけですが、
本日進展があったのでお知らせします。

もしもあそこで呂蒙殿がやってくれなかったら、
荊州は蜀の滅亡までずっと湘水を境に半分こだったのではないか!?
と、今日初めて思いました。
そんなの嫌や! 半分なんて嫌!
魯横江様には申し訳ないけど、
荊州における孫呉の覇権が滅亡までずっと半分だけとか本気で無理です!!
歴史にifはありませんが、この無限ループ自体ifで成り立っていますので……

いま「荊州は我々孫呉の領地です」とか言えるのも(←誰に?)
ぜんぶ呂蒙殿のおかげなのですね!
呂蒙殿ありがとう! 本当にありがとう!
私たちの荊州を取り返してくれてありがとう!
呂蒙殿は荊州のために命をかけてくれたのね……
権様だって本当はずっと荊州が欲しかったんだと思うんです。
でも誰かが「やります!」って言ってくれなかったらきっと、
権様はずっと魯横江様の方針で行ってたんじゃないかと……
やってくれてありがとう! 権様も喜んでるよ!!

そう、荊州なんですよね。
これまでは、“荊州”と言うよりも“関羽を処刑して~”
ってことばかり気にしてしまって、なかなか手放しで称揚できなかったんです。
「関羽のために命かけるなよ!」ってずっと思ってて……。
そもそも呂蒙伝の記述ってやたら
「“あの”関羽を……」みたいな書き方が多くないですか?
魯横江様と呂蒙殿が会話してる場面なんてその最たるものだと思うんですが。
呉鼓吹曲の「関背徳」もそうですよね。荊州よりも関羽の扱いのほうが大きい。
それだけ関羽が強大な相手だったってことなんでしょうけど。

でも関羽の後ろにあるのは荊州ですよね?
関羽を処刑したのは“手段”であって“目的”ではないですよね?
(↑呂蒙伝のノリは「必殺関羽」こそが目的に見えるのだが……)
これまでそのことが見えなくなっていたのですが、
今日ついに、最終目的は荊州奪還だったんだということを思い出しました。
呂蒙殿は「関羽を処刑した」のではなく「荊州を奪還した」んですね。
長い長い呪縛から解かれた気持ちです。

荊州のためなら(命をかけても)仕方ないですよね。
「孫呉の領地:揚州、荊州(東半分)」
なんて記述があったら耐えられないですよね……
今日の「三国志地図」にて荊州のほぼすべてが孫呉の支配権に入っているのは
呂蒙殿のおかげなんですね!
本当にありがとう! 孫呉に荊州を取り戻してくれて、ありがとう!!

今日のことで、よりいっそう呂蒙殿が好きになりました。
本当にありがとうございました。(?)