鎌倉録・巻四(寿福時・宝戒寺) | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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次は寿福寺
鎌倉五山の第三位のお寺らしいです。
鎌倉時代(1185ごろ~1333)の正治2年(1200・源頼朝の没年の翌年)、
源頼朝の正室・北条政子(1157~1225)によって創建されたらしい。

ここに来るのは初めてではないのですが、
きっと記事を書いたのは初めてだと思います。
境内は一般公開されてません。

画像をクリックすると大きく表示されます。
 ぜひ拡大してあげてください!

呉下の凡愚の住処-寿福寺
▲封印されてます
後ろの建物がかなりでかい。

呉下の凡愚の住処-寿福寺
▲仏殿?
仏殿だとすると寛文4年(1664)の再建だそうです。

お花がとても綺麗でした。
お手入れが行き届いていますね!

呉下の凡愚の住処-寿福寺

呉下の凡愚の住処-寿福寺



その次は宝戒寺。写真が少ないので同じ記事に書きます。
「萩の寺」とも呼ばれてるらしいです。 <Wikipedia情報。今知った
南北朝時代*の建武2年(1335)に
南朝の初代天皇・後醍醐天皇(1288~1339)によって建立された……
と、伝えられているそうです。

南北朝時代は正確には1336年~1392年らしいですが、
 ここでは便宜上1335年も南北朝時代として表記してます

境内では梅が満開で、写真を撮る参拝者(自分も含)でいっぱいでした。
ここではお花の写真しかありません。
本堂の写真はおろか門の写真すらありません。残念すぎる……

せっかくなので放出します。

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

呉下の凡愚の住処-宝戒寺

こちらのお寺には毘沙門天様がいらっしゃいます。
この日は基本的にどの神様にも感謝の意を表して来ましたが、
毘沙門天様には今後の人生に勝てるようにお願いしてきました。
勝負事に利益のある神様ですからね! 詳しく知らないけど!
これで勝つる!!


次回につづく!