項羽最期の地と東城。 | 呉下の凡愚の住処

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あ、楚漢争覇のところを読んでいておもったことが。


垓下の戦いに敗れた項羽は、漢軍の包囲(四面楚歌のアレ)を突破して、
奔って奔って東城に至ったそうですね。
このとき項羽に従う者はわずか二十八騎になっていたという……


で、この「東城」って魯粛さんの出身地の徐州臨淮郡東城県
じゃないかなーとおもったのでした。


調べてみたら、いずれの東城も現在の安徽省定遠県らしい。
なので、魯粛さんが生まれたのは項羽の最期の地
(微妙に最期の地じゃないけど細かいこと言いっこナシということで;)
ってことなんですなー。
あの場面で東城という単語が出てくるとは、なんか感慨深かったです。



そして生まれた魯粛さんは金をばらまきすぎて
「気違い(原文:狂児)」って言われるわけですね。


噂を聞きつけた周瑜がホイホイやって来ちゃうくらいですからね、
相当な狂児だったのではないかと。狂児……(*ノωノ)ムフフ


(って本当は狂児だったのではなく、金で名声を買っていたのですよね。
当時は役人になるにも名声第一だったので、
いろんな人に金をばらまくことで名声を手に入れていたわけですね。
先のことを見通せる才児だとおもいますよ、普通に。

で周瑜が来たのも名声を聞きつけて、ですよ。狂児だからではない。


って一応フォローを入れておかないと気が済まない小心者の自分……

呉好きにとっては狂児=魯粛で通じるとおもうのですが

呉好きの絶対数が少なすぎて単語の浸透度も略)