Kindle Unlimitedに釣られて後ハッピーマニアを読んでからまんまとハッピーマニアにまで手を出して夢中になった、そんな日に15年前の同僚と偶然会う。


出来過ぎで笑ったww


ハッピーマニアのラストで結婚してから15年後の話だよ、後ハッピーマニアって!

対馬で見たもの考えたことを覚えているうちに書いておく。

この空間を自分達だけで独占できた時間は贅沢極まりなかった。

もうちょっとお寺の人にお話を聞けば良かったなと今更思う。

ご本尊も奥まっていて、ご尊顔拝見叶わなかったものな。

ただ気になったのは、色々な家のご位牌がずらりと並んでいたこと。やはり檀家さんのおうちのお仏壇があるのだろうか。

家にあるよりお寺さんにある方が仏様も近いし、田舎だから檀家さんも頻繁にお参りに来られるとか??

お値段も余り高いという感じではないようで、これは人気出るだろうな…と思ったわ。

久しぶりに般若心経を詠んだけど、まーぁ忘れてたね。仏教校で働いてた時期は諳んじていたもんだけど。

 

豊玉姫を祀っている神社。

山幸彦との出会いの場であった玉の井もしっかりありましたわね。

ともあれ、去年に宮崎でウガヤフキアエズノミコトが生まれたという由緒の鵜戸神宮に行ったということもあり、

やはり日本列島から距離のある対馬でも同じ由緒を語り、同じ神を祀っていることに興奮しちゃいますね。

本当、いつから同じになったんでしょ。

まさかここに神様が祀られたころから豊玉姫がどうとか言っていたわけではなかろう。

もともとのご神体(豊玉姫のお墓?)がここは石だったようだけど鵜戸神宮は何だったんだろう。ちゃんと見とけばよかったわ

はたして古事記の成立より前なのか後なのか…

古事記以前から豊玉姫信仰があったにしても中央政権によって広まったのはやっぱり古事記頃からだろうしな…

やっぱり大学生の頃ちゃんと勉強しておけばよかったよー!!

とかそんなことを考えながら歩き回っていた。

ちなみに最近話題になった神社でSNSが荒れ気味だったのもあり微妙に構えていたのだけど、

現地はいたって普通でした。

 

そんな信仰についてお考えモードで残りの対馬も回っていたので、バスで山道を走っていたときにちょいちょい見えたこれも

地元の人にとって大事な祭祀的アレかと思い、後で調べようと思って写真を撮りまくっていた。

なんか人の気配がある山の道路沿いにやたら同じ形で並んでいるから間違いなく意図があるものだろうし、

それにしてもたまにビールケースが土台になっていたりするから、祀ってるわりにはカジュアルだな?と思っていたら

何のことはない対馬独特の養蜂のための道具だったw

 

しかしさすがにこんなマニアックなもの、いくら主催の先生でも分からないだろうなと思ったから

黙って写真だけ撮って質問もしないでいたのだけど、

まさかのあっさり答えを教えられるというw

あらためてこの先生ハマるとすげえなと思わされ、自分の仕事のスタンスもしっかり反省させられましたわ…

 

この引率では韓国の釜山にも足を伸ばしたのだけど、そこではそこでまた色々と考えることもあったが

いかんせん「暑い」が一番の感想ではあったのでw、何かもったいないなという気がしないでもない。

ただ、何となく近すぎる外国ってことでわざわざ行く気にもなっていなかったところだったので

食わず嫌いが過ぎたな…というのは強く思ったことでしたわ。

韓国の人、日本で見る印象とは全然違うし、久しぶりに海外に出たことで全然コミュニケーション取れない自分が

もどかしかったわ。ていうか、海外に行く機会ってせいぜいスケジュール管理された旅行か、仕事の引率くらいしかなくて

なんの縛りもなく自分の意志で街を歩くタイプのやつって、小中学生の時にシンガポールに住んでいた時か、

その時を懐かしんで今の夫氏を連れてシンガポールに行った時くらいしかなかったように思う。

今回のも仕事の引率ではあったけれど、自分の意志で動ける場面が多くて

中学生だったときの感覚を思い出せるようでものすっごく切なかった!!!

やっぱり思春期に触れたものやことって、その後の人生に大きすぎるくらい大きな影響を与えるなと感じさせられた。

だって釜山港に着いて一瞬で、シンガポールを思い出したんだよ!!

全然違う場所だし、あれから海外には何度か足を伸ばしているというのに!!

子供たちも中学受験の足音が聞こえるお年頃になってきたけど、これは学校選びの大きな基準に自分の中でなりそうな予感…

 

色々興味深いものは多かったが、一番は昔ながらの元気なアジアを体現したような商店街と、派手なお寺かな。

派手なお寺って別に見るの初めてじゃないけど、改めて、なんで日本のお寺だって創建当初はこんな派手な姿をしていただろうに

今お寺の管理は丸出しの木にとどまっているのだろうと考えたりした…

逆にお寺とか仏像があんな感じになってしまったのはいつからなのでしょうね。

鎌倉時代とかだとギリ仏像も色を塗られていたような印象だけどね。

なんか博物館とかで仏像に残る塗料とか見るとそのへんの時代なイメージ。

 

帰りの成田の夕焼けが美しかったわね
 
ともあれ今まで経験した引率の中ではたぶん1番濃厚だったのではないかな。
引率生徒数の規模感からしても旅程の長さからしても。
とにかく主催の先生が、コロナ期間を挟んでも成し遂げたかったことがよく伝わった。
これくらいアツい意味を私も色々な活動に持たせたいなと思わされた旅だった。
さー、引き締まっていきましょ

勤務先の行事で、対馬に来ています。

仕事やマイクラなどでw忙しくしており、なかなかブログを書けるような状態になれていなかったのだけど

こればかりはしっかり記録しておきたいな、記録しておかなければと思わされたもので。

 

というのも何より、古代史を勉強していた身からすればぼんやりと憧れていた地でもあったからね!!!

あんなにさりげない島なのにしっかり魏志倭人伝で言及されている程度にはしっかり社会があった場所、くらいの認識だけど。

そこにたいして何もなくても古代の人の足跡とか息づかいを感じるだけでも幸せなことよな、と思っていたから。

今年対馬に行くって研修担当の先生から聞いたときから盛大にうらやましがってみせた甲斐ありw、担当外だけどヘルプ要因として声をかけてもらうことが出来た!!!

 

あとは一時期方言と他の国の言語の相関について調べるのにはまっていたので、当地の話し言葉を耳にしてみたいと思っていたのもある!本当にコレはテレビだのSNSだとかあと人口流出の影響なんかでそのうち日常語でなく守るべき文化的なやつになってしまうのではないかと思うから、本当に今回の機会は貴重だと思っていたの!!

…しかし、これについては早くも手遅れ感あったかもしれない。。

お店の人とか観光会社の人とか位しか話していないけど、なんかみんな標準語だったような…?

と思って今調べたら、対馬方言と朝鮮語との共通点ってたいして無いのね。。(Wikipedia調べ)

縄文土器なんかは朝鮮式の色が濃かったみたいなんだけど(日本の縄文土器は縄を押しつけた跡があるのに対し朝鮮式のやつは立体的な縄をかたどったやつが土器に貼りついている感じ)、言語は影響受けてないってどういうこっちゃ?

んー普通にヤマト王権の傘下に入った時点で九州とかからの人口移動のほうがあったのかな。江戸時代は普通に格の高い藩だったっぽいし。

 

ともあれ色々と楽しみに行ってみたわけだが、まあ、なんか、古代に思いをはせるとかなんとか以前に、暑いw

何を考えるにも先に「暑い」が来るのでそれで終了―――って感じになってしまう。。

まあ何となくそんな予感はしていたが。。それにしてももうちょっとこう。。自分もうちょっと妄想を働かす根性あると思っていたのだがw

でも、とにかくあこがれの地に降り立った時に見たもの、思ったことはちゃんと思い返して記録していこう!

 

まず朝鮮通信使。日本の歴史上大きな意味を持ったものとして地元にとって守っていきたいのだという気概が、わざわざ専用の施設を作っているあたりから伝わった!

事前に学習していた段階だと、これは島全体の雰囲気なのかと思っていたのだが、もしかしてこれ違うかも…?

通信使行列を見学させてもらったのだけど、地元の参加者からそこまで気合いを感じないというか、何ならめんどくさそう…?

役所の人とか観光協会とかその辺の人びとの気合いなんじゃないかって思ってしまったね。

 

でも思い返してみれば、地域振興ってどこも最近そんなもんかもしれないね。

地元に守るべき文化があって、それを周知させるためになんかイベントやりますって時に一番張り切るのはどこかっていうと役所?お祭りなんかだと商店街があるか、でも商店街もだんだん大型ショッピングモールに駆逐されつつあるよね。

となると土着の文化の担い手は地元住民というより役所…?

食文化みたく経済効果のある文化だと商業的に手を出されたりするから保ちやすいけど、それこそ方言とかは?

遠野物語のある岩手なんかで昔、語り部のおばあちゃんのお話を聞く機会あったけど、あれも観光資源化していたからなあ。

これってありなのかね、かつて土地の人びとの生活を支えたものが古くなって文化になって、地元の人の手から離れていくの。

人びとの生活から離れた物は離れた物として、かつてあった何かとして記録してあげるのでは駄目なのかね。

 

いや、通信使行列自体意外とあんな感じでだらだら歩いていたものなのかもしれんな、結局はパレードだからな。。

なんか珍しい文化を持ってる人がその辺を歩いているからそれだけで珍しくて見物人としてはオッケー、みたいな。

なんかそんな気もしてきたな。

 

 

ということで、今のところ厳原の地を出ていないので、あまり思いをはせることができないのかもしれない。

厳原はおそらく歴代藩主がずっと居たところだから、ずっと同じ一族が色々と懊悩しながら守り続けたと思いをはせながら眺めることができなかった。暑くて

明日は少々うろうろするから、古代の人の歩いた道なんかも感じ取れるといいな。

とりあえず厳原八幡宮は行けた。なんで代々朝鮮と日本の仲立ちをしてきた大名のお膝元にある神社の祭神が神功皇后なのかね。三韓征伐しちゃってるじゃないねえ。

宗家の人びとも中継の役回りは辛くて、とりあえず神社を使って憂さを晴らしていたのかしらね。

御朱印ももらってご満悦です。対馬の神社なんてこれからの人生でまた行くかわからんからね!

明日はもうひとつ御朱印をもらう予定。古代を感じてきたいな!

これは5年間気づかなかった!!!

森見登美彦版の表紙の下には、なんと佐山尚一版の表紙が!

祖父母の家とかで見つけた昭和の古い文庫本みたいなので見る字体だこれ、

確かにyoutubeで熱帯を検索したときにこんな表紙の本が出てきてたなー!

 

いやー、凝ってます。

 
ものずごく乱暴な理解の仕方をするならば、パラレルワールドで書かれたふたつの『熱帯』なのかな。
だから前半と後半でこんなにテイストが違うのかしら。
後半では佐山版『熱帯』は出版されることなく手記としてもうひとつの世界に置いていかれて、
その代わり最後に森見版『熱帯』が出てくる。
そのもう一つの世界に置いて行かれた佐山版『熱帯』が色々な人の手に渡ってその行方を捜しているのが、
前半にある森見版『熱帯』?
 
なーんか前半と後半がリンクしているんだろうけど、
いかんせん要素が多すぎて、まとまりきらん。
前半のカードのボックスに入ってた予言みたいなのが後半の内容と関連してるのかとも
思ったけどそういうのでもなさそうだし、
前半と比べて後半の登場人物が明らかに多いし。
でもそれぞれの登場人物の意味もなんかありそうな気もするし、、
それこそ池内氏みたいにメモを取りながら読むとつながるものがあるのかもしれんね。
 
いや書きたいことを自由に書いたので特に深い意味はありませんって可能性もあるんだろうけどw
 
いずれにしても夏休みが終わりを迎えてしまったので、
どっしりとした読書はまた来月のまとまった休みに時間を取ることにしましょう!
 
けっきょく2週間という久しぶりにビッグな休み、この本を読破したこと以外は、
なんだかんだゼルダったり親戚実家に顔を出したり、子供の課題を見たり
惰眠をむさぼったりとしょうもない時間の使い方をしてしまった感もあるが、
すべては暑さのせいということで、
ここから年末に書けての素敵シーズン、仕事もそうだけど、少しは子供をアクティブに動かすようにしようと
そんなことをここにも留めておこうと思う・・・。

 

 

社会人初期の頃、狂ったように読みふけった森見登美彦。

まだ大学生の頃の名残があって、

大学生が出てきがちな氏の作品にシンパシー感じていたんだろうっていうのと、

あの独特な言い回しに惹かれていたという部分が大きい。

 

時とともに寡作気味になってしまったことと、

題材がファンタジーやミステリー寄りになったことや、

子供たちが生まれたことで

なかなか視覚的イメージを働かせるゆとりが無くなってしまった影響で、

あんなに好きだった氏の本を初めて未了のまま放置してしまったのが

ちょうど10年前。

あのときほっぽってしまった『聖なる怠け者の冒険』は後年読み返したのだけど、

もう1冊未了で終わってしまった本があって、それが表題の通り『熱帯』。

 

 

とにかく長いんだ!!!

『千一夜物語』なんかがモチーフになっているようで、

登場人物が次々とひとつのテーマについて語るっていう作りが

前半には多くあって、その辺はミステリーっぽく面白く読んでいたんだけど、

後半が、

 

これ作者、文学しようとしてる・・・?

 

って思う程度にはストーリーが平坦・・・だった記憶。

ストーリーそのものに起伏が見られず、

他の要素にメッセージ性が含まれているのであれば

今の私には、それを読み取る精神的ゆとりが無いわ・・・と

次第に手に取らなくなってしまった記憶。

なんせ当時夫氏が単身赴任中だったしね、

今思うと人生でも屈指の精神的不安定時期。

 

 

あれから5年ほどたった夏、とても予定の無い夏休みを過ごしているのですよ。

親戚訪問の予定が複数あったので旅行の余地もないわねと思っていたら、

そのうち一つが台風で流れてね。

あと子供の夏期講習の日数が地味に多い!

図らずも家で過ごす時間が増えた。

何かとやることはあるんだけど、

片付けとか片付けとか夏休みの宿題の丸付けとか手直しとか監修とか。

でも何かひとつ自分を取り戻す時間も欲しいじゃない?

 

ここ最近はゼルダにはまって時間さえあればゼルダに興じていたのだけど、

あれって変な話、1日30分くらいあればそれなりに出来るじゃない。

世の中にはゼルダ休暇って言葉もあるくらいだし?

この夏休み嫌ってほどゼルダってもいいじゃない?と

息子と共に夏休み前半ゼルダってたのだけど、

なんか、こう、自分に残らないというか・・・刹那的というか

 

そんな平日にも出来るようなことで時間を費やすより、

時間的余裕のある今だからできることない?って

そんなことを思っていた矢先にtwitter(意地でもこの呼称貫く)で見つけた、

 

「18きっぷ×積ん読のコラボ」というパワーワード!!!

 

何それ最高の時間の使い方!!!

 

分かってる、18きっぷはさすがにできない、夏期講習始まっちゃうし

それ放置して旅立つほどのアウトローさは持ち合わせていない。

 

でも、「積ん読」だけならできる!!!

 

仕事で小説の問題を作る経験を重ねる中で、

ここ数年自分の小説の読み方がちょっとだけレベルアップした気がしていて、

それが気のせいでは無いことを実証するチャンスでは!?

 

と思ったときに、

まずは敬愛してきた森見登美彦の小説(放置してた奴)を読みとげてみせよう!!

そんなことを思いついたのです。

 

ちなみに思い立ったのが午後なので、読み始めは夜の11時とかそんなんw

でも、ちょうどたぶん前回ここまでは面白く読んだなっていう前半が終わる所まで

読み進めたところ。

 

実際、この後の展開を楽しめるかどうかが

自分の読みが進化したかどうかの指標になるはず!

明日以降も色々と味わいながら読み進められたら、今度は同じく

10年前に放置した村上春樹(『多崎つくる』)にも挑戦するんだ!