例によってなにかを書くモティベーションが復活する長期休み。

今年は子供たちが中学生と小学生という久しぶりの別属性で、それぞれのスケジュール把握が大変かなと思っていたのだけど意外とそんなことなかった。

 

新生活をほんのり心配していた娘に関しては、夏休み序盤体調を崩したり暇すぎてスマホのスクリーンタイムがえらいことになったりしていたけれど、ようやく部活が始まってくれたのでそこそこグラデーションがついてきたかなという感じ。

息子は言うに及ばずというか、夏期講習だの集中特訓だの去年の娘がやっていたことなので親としてはそんなにあたふたせずに過ごせている。本人は大変だろうけどね。

去年のダブル塾+なんか学年ごとに合宿いったり集中特訓あったりとバラバラだった時のほうがスケジュール管理大変だったかも。

 

ともあれそこそこ難関校を受験したいって言ってる息子の勉強時間より、明らかに去年の娘の勉強時間が長かったなあというのが気になるポイントかな。それでも去年娘は夏休み明けの合不合でしくじったんだけど大丈夫なのかこれ。

もはや彼に関しては何ができてできないかがよく分からんし親の言うことなんぞ素直に聞きゃしないので、メンタルケアに徹することしかできない。まあ明日はNN集中特訓の最終日で重めのテストがあるはずだからそこで周りとの立ち位置がどう変わるかが答え合わせになるんでしょう。

 

 

そして私は例によって長期休みなので意識高く絶賛背伸び読書中なのでございます。

 

年明けに「今年はこのシリーズを毎月少しずつ読んでいこう」と決心し、ちゃんと続けているのですよ。これで4冊目。テーマが興味持てないものもあったりするのとなんだかんだ読めないwので、毎月は買えなんだ。

 

ただ今読んでいる号は割と現状の野党に対する見解とか提言が多いからか読みやすい。難しいは難しいけどな!なんだかんだ現代文を教えることから離れてしまっているので、こういう文を読んでおくことは大切だなともしみじみ。

 

そして中身を読んでいてこれまたしみじみ思ったのは、自分が思うよりもはるかに多くの専門性を持った人たちが国を支えてそうだなということ。

SNSばっかり見ていると選挙に出る人や政党に対して「この人らはAHOなのではないか?」と安易に思ってしまうこともあるのだけれど、それぞれの党や政治家が主張する内容、それに対する有権者の判断についてものすごく丁寧な分析がなされていて、「こうした方が良い」という提言もしっかりされていたりするものなんだよね。当たり前のことなんだけど。それを改めて感じさせられる文章たちだった。

そこで考えたのが、こういう分析とかに関わる人たちって学者さんだけじゃなくって大多数が国家公務員として働いている人たちなんだろうけど、あの人たちどの段階からこんな政治についての研究とかそのための技術知識をつけてきたんだろうか。いや普通に考えて大学で学部が分かれるあたりからなんだろうけど、その段階から福祉国家のビジョンのあり方とか再生産領域の経済化とかについての知見を学んで研究なりしていたってこと?そんでそれを国家を支えるために使おうって学生時代のうちに考えて公務員試験受けてるの?

 

自分が大学でサークルやったり飛鳥時代とか夏目漱石のことばっか考えて、三島も漱石も天才じゃーんとか他人事みたいに言ってたのと同じ時期にそんなことを考えて動いていた人が居たってこと?レベチじゃん、ていうか本当私なにしてたの。何も考えないで学生生活送りすぎじゃんて今更ながらに思ってしまったんだよね。

おかしいなー国家公務員とか弁護士とか会計士になってる人がうじゃうじゃいる大学に通ってたんですよわたくし。同級生と視野違くない?

まあそこでアイデンティティクライシス起こしてしまうほど若くはないので、だからこそ今こうして改めて、日本人捨てたもんじゃないじゃんて思えてしまうのだけど。

 

でもやっぱり現代社会についての知見を得て、社会を巨視的に見るって楽しいな。

思い立ったことをすぐ行動してしまう未熟さとか人間関係に気を使うが故の語彙のダサさについて振り返る契機になると同時に、こういう幅広い専門性に触れることが顧客(生徒)に良い方向での影響を与える場面があるっている魅力的な仕事をしているのだから、自分にできる範囲で研鑽を積んでいこうと、もはや人生で何度目か分からない決意を改めて固めている夏休みです。

持っている知識を生かすやり方ってのは無限にある時代だものね。

 

かたや政治知識をこんな形でアウトプットできる時代だものw

(本当AIとか政策の特徴とか熟知している人の仕業じゃんね絶対)

 

もうちょい仕事の効率を上げて、普段からインプットアウトプットの時間を取りたいのだけど。どうも仕事にメンタル削られるとスマホで時間を溶かしてしまうねー。

いやスマホタイムも大事よ。Twitterぼーっと眺めてなかったら上の山本太郎ラップと出会うこともなかったしね。いや情報過多の時代で難しい。いくらあっても時間が足りないね!あと体力欲しい!睡眠時間ほんともったいないよねー。でも寝るのも好きなんだけどね。

2013年に産まれた元無表情ベビー、赤ちゃんべたべた期を経て年子で弟を迎え、やがて保育園に入りさほど経たないうちに悟った、この子は端的に不器用系女子なのではないかという直感。


コロナと共に迎えた就学以降もその直感の通りすくすくとのんきに育つ我が娘。

なんか好きなものに囲まれて楽しそうに過ごしていて、まあそれは何より大切なことなので微笑ましく思いながらも気になる成績表、実技科目の観点評価から滲み出る相変わらずの不器用ぶり。


ものづくりは好きなようで日々色々と小物を学校に持ち込み嬉々として謎の物体を作ってはいるけれど、気になるのは近くない将来の進路のこと。

これはもしかして、公立中学からの進路を考えた時に本人のポテンシャルを発揮できない結果になる恐れがあるな?ということ。


まあ私自身私立中高で勤務していたので理由はそれだけではないのだけど、小学校3年生から中学受験塾に通塾を始めた大きな理由です。

たぶん苦手ではないであろう勉強分野で武器を磨いておくことは彼女にとっても良い環境を得るために有意に働いてくれるのではないかと。

私自身は小学生の頃転勤族だったため中学受験はしなかったのだけど、小学校で学習する内容に物足りなさをずっと感じていながら知識欲を発散させられなかった経験も大きかったかな。



まあ4年間、いろいろありましたよ。小学生がする受験勉強というものへの解像度が高くはなかったから、自分の高校受験の時と比べてもどかしく思ったこともあったし、順調に下降線を辿る偏差値に焦燥感を抱いたこともあった。

自分の心配とか焦りを娘にぶつけてしまったこともあったし、ひたすら急かし続けてしまったこともあった。


が、まあ親も成長するものなのか、時を経るにつれて少しずつ自分の肝がすわってきて、ネガティブな結果を見ることがあっても次に向けてどう働きかけるか、と冷静に考えられるように、少ーしずつ、なってきた気がする。

秋頃までケアレスミスの癖が抜けずに、難プロ(早稲アカの日曜特訓的なやつ)の受験を禁じようとしたあたりが一番重いやり取りだったかな。


結果色々な先生方が娘にしてくださった働きかけや、通学方法やら学力帯、部活など色々な条件面で良さそうな学校の見学に行ったらものすごく在校生の先輩方の感じがよかった学校と過去問の相性が良かったことなど幸運をいくつか引き寄せて、最終的に第一志望となったその中学校にご縁をいただいて受験を終了しました。


娘がそこを第一志望と最終的に決めたのはまさかの埼玉入試が終わってからだったのだけど、私としては最初に見学に行った段階で惚れ込んでいた学校だったので、非常にステキな結末である。


なんせ彼女が生まれてはじめて、自分でコツコツ積み重ねてきた力で戦って得た勝利!!

こんな戦いができるまでに育ってくれていたのね、と中学受験生の親御さんが皆きっと抱くであろう感慨と共に春を迎えました。



もちろんこれがゴールではないことは分かってる。

ただ本人はゴールを終えた顔で日々だらだらと過ごしているw

親は先のこと見据えてもうちょっと冷静でいないといけないんだろうけど、ひとまず友達と思いっきり青春を味わうって感覚を知ってもらいたいな。

本人の元来の出不精もあったけど、塾通いでそれに拍車をかけてしまった感があって、人間関係も自分から広げにいこうとしないんだよね。

とにかく「つかれた」」「めんどくさい」が口癖で…赤ちゃん泣き

塾をやめた今、クラスメイトが公園で遊んでるって聞いても頑なに家から出ようとしないのよね。そのくせ口を開けば暇だ暇だ宣っておる。

いやまあ、自分も比較的そんなタイプではあったから分かるんだけどさ…やっぱり親になると心配だよね。


疲れただとか面倒だとか、そんなニヒルな感情を抱く暇も与えないくらい色々な経験をさせてくれる(無理のない範囲で、ここ大事)学校だと信じて受験生活伴走してきたので、この選択がどうか正解だったと6年後に思えますようにびっくりマーク



そして!



次は息子氏の出番です!!



娘の受験本番を迎えるまでは、年子で迎える中学受験を大変だと感じたことってそんなになかったのだけど(経済面以外でな!)、一月二月のメンタル乱高下がやばくて、来年また同じ思いをするのかと思うとまぁー、めげちゃいますね。

とはいえ息子にとっては一回きりの中学受験、そして我々両親にとっても最後の中学受験伴走だから前向きに後悔のないよう伴走していくぞ!!

娘のときとはまた違ったタイプの戦い方をすることになると思うので、色々と気を持ち直さなければね。とりま明日出るNNオープンの結果が怖いです。

紅白を見ながら寝落ちして、目覚めたら年が明けていたので(夫氏はこういう時放置してくれる系男子)

せっかくだからCDTVでMAZZELが出るのを待っていようと待機中。

こんなに年が明けた感のしない年明けも初めてかもw

 

しかし下半期にかけての寝落ち率が半端ない2025年だったなー。

これは本当にひどい。自分時間が無に等しくなるし、何より睡眠の質激悪で健康にもよろしくない。

だから起きているうちにお手軽なストレス解消手段としていつまでもしょうもないゲームとかSNSに時間を費やしまくっている。

すると変な時間に寝落ち→変な時間に目覚める(ここでしょうもないタイム)→また変な時間に寝落ち→数時間後、起床…

 

という最悪ループの完成☆

 

ほんとうにこういう時の夫氏の自己管理能力の高さに感心してしまう。

明日起きられなくなるから、という理由でちゃんと0時前には就寝できるんですもの!!!

え、あなたもそこそこ自分時間なかったよね!?もったいなくない!?って日もちゃんと就寝するの。

どうしたらあんなちゃんと自己管理できるんだろ。。

自分の人間としてのレベルの低さにげんなりしてしまうが、何なら大学生くらいの頃から夜な夜なチャットしながら寝落ちしたり、お風呂で寝落ちしたりしてきた人生なのでもうこれ治る気はしないというか…。

逆にこんな生活してた自分が何とか人の親やれてるだけ立派なものなのかもしれん。夫氏に甘えすぎない程度の質は保っていきたいですね。

しかし、そろそろ健康面をしっかり考えてもゆかなければいけない、あと数日で不惑を迎える身。

 

今日はまあ新年だし、毎年この日は大してちゃんと過ごしていないのでノーカンとして、今年はなるべくソファで過ごす時間を少なくしてゆきたいわ。

 

そのためにもおしゃれなダイニングテーブルを手に入れて、ダイニングテーブルをお気に入りの場所とする!!

後悔のないチョイスをするためにも情報収集にいそしんで購入へつなげるぞ~

 

結局なにも意識高くない抱負になってしまったなw

まぁもう仕事が意識低い系でいられなくなってしまっているので私生活くらい多少は意識低くても許されるでしょ、とりあえず頭痛起こすと一気にQOL下がるので頭を大切に生活できればヨシ!!!

 

なんか一気に悟った感が出てしまったな。不惑ですわね

秋のお休み期間に入ってのんびり過ごしています。

とはいえ、何だかんだ子供達の付き添い予定があったりして全く家から出ないということはなかったのと、毎日ご飯何作ろうって考える作業はあって全くのフリー時間というのは限られてはいたのね。

 

 

それが今日はですね、午前中だけ野暮用で出勤して、あとは帰ってのんびりの午後。

子供たちが学校から帰ってきたけど、また2人して塾に行くのが月曜の習慣。家族がそろって夕食になるのが遅めの時間になるぶん、手の込んだ夜ご飯を作ろうと思ってはいましたよ。

 

だがしかしその間の私。

 

 

写真整理→マイクラ→お昼寝→スマホゲーム(超絶しょうもないやつ)

 

 

最後のスマホゲームタイムでこのレベルが終わったら、を繰り返して、気づいたら18時半!!!

 

それから夕ごはんのお買い物へ。

 

 

やべー今日の私、惚れ惚れするほど怠惰だわー。最高だけどこれが毎日だと飽きちゃうのかなぁ。こんなプレイしたのはもしかしたら結婚して仕事を辞めてから娘を産むまでのあの専業主婦期間以来かもしれん。

 

あの頃は、それ以前のどブラック職場での生活との落差にめまいがするような生活を送っていたなぁ。今日の過ごし方がかわいく思えるほど、お昼まで寝てごはん食べたらスマホいじってまた寝て、そのまま夜になるみたいな日がめずらしくなかったような。妊娠中だったのもあるんだろうけど、そのまま夫氏に夜ご飯を買って帰ってきてもらった時もあったっけ。なんか活字にすると終わってるなw でも今でも忘れられない平和な日々だったんだよなー。

 

あの頃からすると、仕事もしてあの頃よりは家のこともして、なかなかたくましくなったのではないかしら、私。

 

 

と、そこまでつらつら考えていてふと思った。

午後の私のマイペース主婦っぷりって、たまに小説で見る登場人物のやつだな?

(マイペース主婦が出る小説の一例:ナイルパーチの女子会 バリキャリさんと主婦さんの生活の書かれ方と狂っていく登場人物、ラストの救い要素などのバランスがとても良い感じのお話だと思う。ほっこりすぎずホラーすぎずご都合主義感もない、程よいヒューマン小説)

だいたい子供のいない専業主婦か、子供がある程度大きくなったおうちの奥さん、たまに早期退職した独身女性で、

 

①刺激のない生活の中にも楽しみを再発見する系(体感3割)

②なんかきっかけがあって新しい世界に足を踏み入れる系(そんで元の生活に戻る、体感7割くらい?)

 

こういう人物像って、やっぱり読者の需要があるから出てくるんだろうけど(逆に男のこういう人の小説あんま見ない、自分の目に入らないだけか?)読者はこういった登場人物を自分に重ねて読むのかな、それとも他人事の癒し小説として消費するんだろうか。

自分の場合は完全に癒し小説として、たまには日常から喜びを見出していこうな的な要素として消費するんだけども。

 

けっこう売れっ子の作家さんにこういう登場人物出てくる気がするので、なんだかんだマーケティングの末に生まれる人物像だと思うのよね。

そして本をたくさん読む余裕の出てくるようになった自分は、どっちの立場でこれらの話を読むことになるんだろうなと。

今はまだ仕事だけじゃなくて、子供のこともあるから他人事として読んでいるけれど、子供がもうちょっと成長して今日みたいな日が増えると、むしろ自分に重ねて読むようになるんだろうか。

 

それとも仕事がもっと忙しくなっていて、やはり自分に重ねられないままなのかな?(考えたくないな)

 

 

まあいずれにしても、しっかりお休みがあると普段腰を据えて考えないようなことも言語化する余裕があってよいですわね。

 

写真が、とても楽しい。

 

 

去年に仕事の関係で写真係に任命されたときに、さすがにスマホで撮るのも気が引けるから安いコンデジでも買おうかなーと家電量販店に行ったものの、一眼レフ機と取る比べてみたら圧倒的な描写力の差に、思わずお買い上げしてしまったのがPanasonicのLUMIX G100D。

祖父がカメラにどはまりしており、形見としてカメラをいただいていたもののやはりそこは昔のカメラ、画質が昔なりだし何よりでかいもので、どうも持ち歩くモチベーションが持てていなかったところに、比較的コンパクトな一眼を手に入れて出張先で撮影を楽しんだのが昨年の夏。

 

手前の商店街のディープ感と奥のビルの落差よ!

 

久しぶりに海外へ行ったその時、自分が住んでいるのとは違う文化圏の生活の痕跡を残すということが楽しくてたまらない感覚を覚えた。

ただきっとレンズの画角が基本28mmと広角気味で、撮った写真に写りすぎ感があることと若干ゆがみを感じてしまってはまりきるまではいかなかった。

 

しかしそこから、子供たちの模試や休日の授業が本格化してきて暇を持て余す頻度が上がるにつれて、あカメラもうちょいやろうー、というモチベーションになったことと、最近カメラ楽しいんすよなどと職場のカメラフリークの人に話したことが運の尽き。

 

 

 

 

単焦点レンズの存在を知る→50mm画角の存在を知る→単焦点レンズ購入→Leicaカメラ(SL2-S)をいじる→Leicaカメラ(Q2)をいじる→Q2買い取り

 

 

 

という経緯を経て、あれよあれよという間にLeicaユーザーとなるまでに沼ってしまったのである。カメラにはまって1年も経っていないのに!!!

 

 

特にQ2購入のくだりが我ながらおかしいと思うんだけどね。いや一回触らせてもらってしまうと後戻りできませんでしたね、相手がちょうど手放そうというタイミングであったというのもミソでね。なんたって

 

①ハイスペックなのにどこでも持っていけるコンパクト感

②ボタンが少なくて撮影に至るまでの迷いが少ない

③ゆえにカメラそのもののルックスが洗練されていておしゃれ

④なのにフルサイズ

⑤手持ちのLUMIXになかった影の繊細な描写力

⑥ファインダーの映りがめちゃくちゃきれいで覗いていて楽しい

⑦レンズ交換ができないので勝手に荷物が少なくなる

⑧クロップズーム楽しい

⑨マクロレンズがついている

 

いいことしかない!!!!!

 

 

 

ちょっとごはん食べに行ったとき、テーブルフォトに使っても気合入った感のない佇まいのハイスペックカメラってどれくらいあるかなと。

 

 

 

何よりこれが撮れた瞬間に勝ちを確信したんですわ

いや誰に見せてもなかなか理解してもらえない写真なんだけども。

人の営みとそれを鮮やかに飾りつつ、自分が主役だよと訴える植物とそれに呑まれようとしている建物がまとう影、みたいな。

とはいえここからなかなかこういう写真取れてないんだけどねー。

 

 

 

Q2の魅力は影もさることながら描線のシャープさにもあるというか、作例見ると本領はそっちで発揮されている感があるので、被写体についてはいろいろと模索しているし何より私自身がいまいち魅力を発揮させられていないので、とにかく研鑽を積もうと思うのだけど。

 

これ書いていて思ったんだけどアメブロって写真アップするのになかなか向いている感じしないな、写真用の記録ブログはまた別に作ろうかな。noteかな。ちょっと探してみよう

 

写真の何が楽しいって、魅力的な被写体に出会えることももちろんなんだけど、たまにこれは自分にしかわからない魅力のあるやつっていうのに出会う瞬間があって、それってそれを見たときになんとなく思考が掻き立てられる瞬間でもあるのよね。

 

 

 

 

印象的だったのが去年の夏に釜山で撮った写真で、屋台でごはんを食べるおばあちゃんたちのうしろ姿。

部屋着みたいな恰好でかっこいいとは言い難いながらも(失礼)、ただ平日の朝からこういうふうに気心の知れた相手ととりとめもない話をしながら時間を気にしないでごはんできる関係ってすてきだなと思ったんだよね。

色々と時間に追われている今の自分はそもそも生活圏の中でそんな気心の知れた人間関係を構築する余裕もなく、

構築したとて時間を気にしないで生活できる自身もなく。

彼女たちの生活圏みたいな気取らない屋台みたいなお店が周囲にあるかしらと思って見回したところで良いとこ個人経営の居酒屋かな。

たぶん居酒屋も気心知れたセカンドプレイス的なところにはなるんだろうけど、何かね、生活とはちょっと違う気がしていてね。

 

何より、同じような感覚を若いころ仕事帰りに、おそらく銭湯帰りのおばあちゃんの後姿をみて抱いたことがあるんだよね。

 

おそらく自分が手に入れることのできない生活だろうなとか、じゃあこういう人生を送ることのできる可能性がこれまでの人生で提示されていたとしたら、それを自分は選んだのだろうか、とかこれから提示されたとしてそれを選ぶだろうか、とかしみじみ考えたものだったよ。地元とその中の人間関係に根差した人生。

 

ただのおばあちゃんの後姿からそこまで考えるのってたぶん万人に共通することじゃないだろうけど。新しい生活を一瞬生きる感じがして楽しかったんだよね。

そして少なくとも2回そんな感覚に落ちたということは、きっと自分の中で外せない大事な価値観がその中になんか隠れているんだということでもあるんだろうね。

 

その感覚をもうちょっと鮮明に思い出せるようにするためにも、そんな心動いた瞬間をちゃんとした絵にしたいなって思ったの。

 

上記の釜山のおばあちゃんの後姿については写真には撮ったんだけど、残念ながらブレブレなんだわ。今ならもうちょいまともにおさめる自信があるのに…!

 

だからちょっとは、自分が心動かされた瞬間に出会ったときにそれをしっかり記録する習慣をつけるのもいいかもって思い始めた。最適なプラットフォームを探ってみよう。幸い明日は時間がたくさんあるしな!!