秋のお休み期間に入ってのんびり過ごしています。

とはいえ、何だかんだ子供達の付き添い予定があったりして全く家から出ないということはなかったのと、毎日ご飯何作ろうって考える作業はあって全くのフリー時間というのは限られてはいたのね。

 

 

それが今日はですね、午前中だけ野暮用で出勤して、あとは帰ってのんびりの午後。

子供たちが学校から帰ってきたけど、また2人して塾に行くのが月曜の習慣。家族がそろって夕食になるのが遅めの時間になるぶん、手の込んだ夜ご飯を作ろうと思ってはいましたよ。

 

だがしかしその間の私。

 

 

写真整理→マイクラ→お昼寝→スマホゲーム(超絶しょうもないやつ)

 

 

最後のスマホゲームタイムでこのレベルが終わったら、を繰り返して、気づいたら18時半!!!

 

それから夕ごはんのお買い物へ。

 

 

やべー今日の私、惚れ惚れするほど怠惰だわー。最高だけどこれが毎日だと飽きちゃうのかなぁ。こんなプレイしたのはもしかしたら結婚して仕事を辞めてから娘を産むまでのあの専業主婦期間以来かもしれん。

 

あの頃は、それ以前のどブラック職場での生活との落差にめまいがするような生活を送っていたなぁ。今日の過ごし方がかわいく思えるほど、お昼まで寝てごはん食べたらスマホいじってまた寝て、そのまま夜になるみたいな日がめずらしくなかったような。妊娠中だったのもあるんだろうけど、そのまま夫氏に夜ご飯を買って帰ってきてもらった時もあったっけ。なんか活字にすると終わってるなw でも今でも忘れられない平和な日々だったんだよなー。

 

あの頃からすると、仕事もしてあの頃よりは家のこともして、なかなかたくましくなったのではないかしら、私。

 

 

と、そこまでつらつら考えていてふと思った。

午後の私のマイペース主婦っぷりって、たまに小説で見る登場人物のやつだな?

(マイペース主婦が出る小説の一例:ナイルパーチの女子会 バリキャリさんと主婦さんの生活の書かれ方と狂っていく登場人物、ラストの救い要素などのバランスがとても良い感じのお話だと思う。ほっこりすぎずホラーすぎずご都合主義感もない、程よいヒューマン小説)

だいたい子供のいない専業主婦か、子供がある程度大きくなったおうちの奥さん、たまに早期退職した独身女性で、

 

①刺激のない生活の中にも楽しみを再発見する系(体感3割)

②なんかきっかけがあって新しい世界に足を踏み入れる系(そんで元の生活に戻る、体感7割くらい?)

 

こういう人物像って、やっぱり読者の需要があるから出てくるんだろうけど(逆に男のこういう人の小説あんま見ない、自分の目に入らないだけか?)読者はこういった登場人物を自分に重ねて読むのかな、それとも他人事の癒し小説として消費するんだろうか。

自分の場合は完全に癒し小説として、たまには日常から喜びを見出していこうな的な要素として消費するんだけども。

 

けっこう売れっ子の作家さんにこういう登場人物出てくる気がするので、なんだかんだマーケティングの末に生まれる人物像だと思うのよね。

そして本をたくさん読む余裕の出てくるようになった自分は、どっちの立場でこれらの話を読むことになるんだろうなと。

今はまだ仕事だけじゃなくて、子供のこともあるから他人事として読んでいるけれど、子供がもうちょっと成長して今日みたいな日が増えると、むしろ自分に重ねて読むようになるんだろうか。

 

それとも仕事がもっと忙しくなっていて、やはり自分に重ねられないままなのかな?(考えたくないな)

 

 

まあいずれにしても、しっかりお休みがあると普段腰を据えて考えないようなことも言語化する余裕があってよいですわね。

 

写真が、とても楽しい。

 

 

去年に仕事の関係で写真係に任命されたときに、さすがにスマホで撮るのも気が引けるから安いコンデジでも買おうかなーと家電量販店に行ったものの、一眼レフ機と取る比べてみたら圧倒的な描写力の差に、思わずお買い上げしてしまったのがPanasonicのLUMIX G100D。

祖父がカメラにどはまりしており、形見としてカメラをいただいていたもののやはりそこは昔のカメラ、画質が昔なりだし何よりでかいもので、どうも持ち歩くモチベーションが持てていなかったところに、比較的コンパクトな一眼を手に入れて出張先で撮影を楽しんだのが昨年の夏。

 

手前の商店街のディープ感と奥のビルの落差よ!

 

久しぶりに海外へ行ったその時、自分が住んでいるのとは違う文化圏の生活の痕跡を残すということが楽しくてたまらない感覚を覚えた。

ただきっとレンズの画角が基本28mmと広角気味で、撮った写真に写りすぎ感があることと若干ゆがみを感じてしまってはまりきるまではいかなかった。

 

しかしそこから、子供たちの模試や休日の授業が本格化してきて暇を持て余す頻度が上がるにつれて、あカメラもうちょいやろうー、というモチベーションになったことと、最近カメラ楽しいんすよなどと職場のカメラフリークの人に話したことが運の尽き。

 

 

 

 

単焦点レンズの存在を知る→50mm画角の存在を知る→単焦点レンズ購入→Leicaカメラ(SL2-S)をいじる→Leicaカメラ(Q2)をいじる→Q2買い取り

 

 

 

という経緯を経て、あれよあれよという間にLeicaユーザーとなるまでに沼ってしまったのである。カメラにはまって1年も経っていないのに!!!

 

 

特にQ2購入のくだりが我ながらおかしいと思うんだけどね。いや一回触らせてもらってしまうと後戻りできませんでしたね、相手がちょうど手放そうというタイミングであったというのもミソでね。なんたって

 

①ハイスペックなのにどこでも持っていけるコンパクト感

②ボタンが少なくて撮影に至るまでの迷いが少ない

③ゆえにカメラそのもののルックスが洗練されていておしゃれ

④なのにフルサイズ

⑤手持ちのLUMIXになかった影の繊細な描写力

⑥ファインダーの映りがめちゃくちゃきれいで覗いていて楽しい

⑦レンズ交換ができないので勝手に荷物が少なくなる

⑧クロップズーム楽しい

⑨マクロレンズがついている

 

いいことしかない!!!!!

 

 

 

ちょっとごはん食べに行ったとき、テーブルフォトに使っても気合入った感のない佇まいのハイスペックカメラってどれくらいあるかなと。

 

 

 

何よりこれが撮れた瞬間に勝ちを確信したんですわ

いや誰に見せてもなかなか理解してもらえない写真なんだけども。

人の営みとそれを鮮やかに飾りつつ、自分が主役だよと訴える植物とそれに呑まれようとしている建物がまとう影、みたいな。

とはいえここからなかなかこういう写真取れてないんだけどねー。

 

 

 

Q2の魅力は影もさることながら描線のシャープさにもあるというか、作例見ると本領はそっちで発揮されている感があるので、被写体についてはいろいろと模索しているし何より私自身がいまいち魅力を発揮させられていないので、とにかく研鑽を積もうと思うのだけど。

 

これ書いていて思ったんだけどアメブロって写真アップするのになかなか向いている感じしないな、写真用の記録ブログはまた別に作ろうかな。noteかな。ちょっと探してみよう

 

写真の何が楽しいって、魅力的な被写体に出会えることももちろんなんだけど、たまにこれは自分にしかわからない魅力のあるやつっていうのに出会う瞬間があって、それってそれを見たときになんとなく思考が掻き立てられる瞬間でもあるのよね。

 

 

 

 

印象的だったのが去年の夏に釜山で撮った写真で、屋台でごはんを食べるおばあちゃんたちのうしろ姿。

部屋着みたいな恰好でかっこいいとは言い難いながらも(失礼)、ただ平日の朝からこういうふうに気心の知れた相手ととりとめもない話をしながら時間を気にしないでごはんできる関係ってすてきだなと思ったんだよね。

色々と時間に追われている今の自分はそもそも生活圏の中でそんな気心の知れた人間関係を構築する余裕もなく、

構築したとて時間を気にしないで生活できる自身もなく。

彼女たちの生活圏みたいな気取らない屋台みたいなお店が周囲にあるかしらと思って見回したところで良いとこ個人経営の居酒屋かな。

たぶん居酒屋も気心知れたセカンドプレイス的なところにはなるんだろうけど、何かね、生活とはちょっと違う気がしていてね。

 

何より、同じような感覚を若いころ仕事帰りに、おそらく銭湯帰りのおばあちゃんの後姿をみて抱いたことがあるんだよね。

 

おそらく自分が手に入れることのできない生活だろうなとか、じゃあこういう人生を送ることのできる可能性がこれまでの人生で提示されていたとしたら、それを自分は選んだのだろうか、とかこれから提示されたとしてそれを選ぶだろうか、とかしみじみ考えたものだったよ。地元とその中の人間関係に根差した人生。

 

ただのおばあちゃんの後姿からそこまで考えるのってたぶん万人に共通することじゃないだろうけど。新しい生活を一瞬生きる感じがして楽しかったんだよね。

そして少なくとも2回そんな感覚に落ちたということは、きっと自分の中で外せない大事な価値観がその中になんか隠れているんだということでもあるんだろうね。

 

その感覚をもうちょっと鮮明に思い出せるようにするためにも、そんな心動いた瞬間をちゃんとした絵にしたいなって思ったの。

 

上記の釜山のおばあちゃんの後姿については写真には撮ったんだけど、残念ながらブレブレなんだわ。今ならもうちょいまともにおさめる自信があるのに…!

 

だからちょっとは、自分が心動かされた瞬間に出会ったときにそれをしっかり記録する習慣をつけるのもいいかもって思い始めた。最適なプラットフォームを探ってみよう。幸い明日は時間がたくさんあるしな!!

ラスピに、はまりにはまっている。

BMSGのオーディションを始めてリアタイできてるってこともあるんだけど、何よりあの十代の子たちのリスクを考えず迷いなく進める強さよ!

 

アーティストになりたいなんて、だいぶリスクの高い勝負なわけじゃない。

 

オーディションに通ってデビューにこぎつけるだけでも天文学的な確率なのに、それがうまくいくとは限らないというか、一度失敗した子もいたりする中でさ、どうして迷いなくアーティストになりたいって言えて、一直線にそれに向かっていくことができるの!?

音楽だけやっててもそれで生きていける可能性低いしとか、

ちゃんと勉強して進学するほうが確実に安定した人生送れるしとかそんなこと考えないで進めるわけ!?

ていうかそもそもアーティストになりたいって公言すること自体恥ずかしいって思うお年頃なんじゃないの!?

どんだけ覚悟決めてんのこの子たち!???

 

ていうか親!!よっぽど子供の才能や決断を信用していないと送り出せなくないか!?十代よ彼ら!?

 

そんでしっかり向き合うじゃない、音楽にさ(ちょっと幼すぎる印象の子もいるけども。ただしっかり淘汰されてるな)

十代のころにこんな歌詞もメロディーも考えつかなかったわよってレベルのものを作るのよ、そんで。

いままでどんだけ音楽してきたのよこの子らって。そこでも思うわけですよ。好きなものがありつつも娯楽としてしか享受してこなくて、それを極めるより確実性の高い将来を手に入れることを選んだ身としては。いやできないよ普通!!

たぶんそこまで覚悟する実感してなくて参加している子もいたような気がしたけど、それをしっかり見極めてふるいにかけるSKY-HIの審美眼たるや!!!

同じ学年でもしっかりそこでフィルタリングして、若くても通過させたりしてるからね。

 

 

もう彼らを埋めるお年頃の私さえも突き動かされますよ彼らの姿には。

思わされましたよ、とりま今の自分が向き合わなきゃいけないことは何なのかと。

家庭的な部分は言うまでもないんだが(もう少しちゃんと家管理しようね)、仕事面でもうちょっとプロ意識ないといかんな、的な。

 

今の自分が彼らみたいに一心に磨きたいものは何かと自問した時にやっぱり教科指導力が出てくるわけですよ。なにせ教養がない。

これと今の自分の立場を両立させることってできるのかなと、例えば自ら歌手活動をしながらグループをプロデュースしているSKY-HIみたいなさ(好きすぎw)

彼は若いころ現役歌手だったことに加えてたぶんラッパーとしても相当いろいろな音楽を聴いてきているし、自分で作曲もしたし作詞ももちろんしてきたし、それらの蓄積があって今歌手としての活動とプロデューサーとしての活動の両立ができていると思うんだ。

彼にとっていろいろな音楽を聴いたり活動をしてきたことが私にとってはいろいろな本を読んで教養を深めることや色々な大学の問題を解くことであり、

プレイヤーとプロデューサーの両立というのは、いわば今の仕事でいえば一教科担当と主任の両立にあたると思うわけよな。SKY-HI大好きなので無理やり自分の立場との共通点を見出したくて仕方ないわけだけど。

 

現状その主任という立場がしかも二つのしかかっているわけよな。

どちらもやりがいがあって好きな仕事だけど、それはプレイヤーとしてのスキルと、その平のプレイヤーだった時代に蓄積されたものがあってはじめて回せるものであり(特に科の主任業務については関わるところ大だわな)。

そのプレイヤー時代の蓄積が足りないんだよなあ、やっぱり。

いや昔に比べたら作問スキルも上がった自覚があるし、自信もって仕事できる範囲が増えたように思えるけど、かといって集団を説得力もってプロデュースできるほどの語彙力があるわけではなく。

 

いっかい平のプレイヤーに戻って自信をつけるための蓄積にはげむというか、科のプロフェッショナルになりたいという思いが強いのだが、じゃあ平に戻ったら研鑽を積みますか?と聞かれるとはい!とも答えきれない怠け気質w

 

ある意味主任としても自分にしかできない仕事の仕方はあるよなあとも思っている。が、しかしだ!この自負から解き放たれて好きな事思い切りしたい思いもある!しかしいちばん若くて元気なうちに経験も積んでみたい!!

うーーん新年度も同じ立場に拘るか否かというところ、ここにきて迷いが生じてきたの巻。

プロデューサーとプレイヤーの両立、できるのかなあ。。。

ラスピの子たちみたいにまっすぐ突入しようかしら。いやでもSKY-HIにもなりたい!

「……けれど日々を甘く詩的にするのは恋だけじゃない。音楽、本、アート、映画、旅、自分を飾ること、自分を大切にすること。それらすべてが日々を甘く詩的にする。……」

 

何ならこれは主人公(の一人)が結局、これじゃやっぱりだめだったんだってフリみたいになる一節なんだけど、私の色気心をくすぐるにはまあ十分で!!

本当にここのところ目の前の仕事と写真のことばっかり考えていたなと、しっかり周りを見てみれば自分の日常を甘くしてくれるものにもっと囲まれているじゃないのと、風邪ひきはじめの頭でそう考えた。

 

そして、いよいよ発熱(微熱)して頭だけが元気な状態でスマホで色々な情報を見漁った結果、

久しぶりに「意識高い系☆身の回りのことちゃんとやろうおばさん」が爆誕しましたよ。

 

夏休みが始まるし、もっと子供(特に娘)の受験のことを見ていこう!

目前の授業準備としてだけでなく、純粋に本を読もう!

自分にしか撮れない写真を追求していこう!

 

ややもすると仕事とか特定のトピックのことばかり考えてしまいがちだけど、それだけだと自分がゴリラ化しゆく一方なので(まあそれも理想像の一つではあるのだが)、しっかり日々を甘く詩的にしてゆきますぞ。

先週とんでもないことが起きた。

4月からちょっと仕事しにくくなったと感じつつも自分なりに向き合ってきたつもりだったんだけど、立派に裏切られましたわ!


いやー、人間性は合わないと思ってたけど仕事はちゃんと当事者意識持ってくれるしそこは信用できるかなって思ってたのに、ここまで決定的に人間アウトなことをされると仕事するうえでの信用もなくなったよね一気に。


結局向き合えているつもりで私の勘違いだったんだなーって純粋に悲しいのもあるんだけど、何よりいい大人がする事じゃなさすぎて情けない。

あんな人らと3月まで仕事しなきゃなの!?っていう気持ちが強いわ。


あまりにも自分に非がなさすぎて、こんなしょーもない人間相手に凹んでる自分も嫌だし、他の人を巻き込むのも申し訳ないくらいひどい話だと思うし、なによりいちいちぐちぐちしてあんなことする人らと同レベルだと思われるのも嫌だから、ここで吐き出しておきたいんよね。


自分に非がないのだから、仕事に悪影響でないようにしれーっと日常に戻らないと足元を掬われそうなので今日からしれーっと戻ろうと思うわ!

単身赴任時代にもあの界隈に追い詰められたことがあったけどなんとか乗り越えてきたんだし、客観的に頭おかしい奴らに追い詰められる筋合いなんてないもんねー。