改装中であろうが、水道が止まりタンクの水の冷水シャワーしかなかろうが、仮にも首都北京の一角に一泊20元(220円)で滞在できるとあって、宿は常にバックパッカーでごったがえしていた。
可能な限りの人間を収容しようと、ドミトリーの部屋には簡易ベッドが増設され、隣のベッドとの隙間はほんの20センチほどである。
そこに、男女の区別なく東西の旅人たちが詰め込まれ、てんでに勝手な生活をしているのであった。
スタッフは全員20代の若さで、凄まじく無愛想なフロントのお姉さんだけが、たったひとり英語を話した。
孫雲橋という名のこのお姉さん、なかなかの美形ではあるが、その接客態度はとにかく凄まじいの一言に尽きた。
彼女には是非とも一章を割く価値があるので詳細は後述とする。
季節はいつの間にか7月中旬、夏休みに突入していた。
ここをうろつくバックパッカーの中にも日本人がかなりの割合を占めていた。
4割程度は日本人だったろうか。
日本の大学生、中国に来ている日本人留学生が多かったように思う。
僕がこの宿でまず取り掛かったのは、中国将棋の習得であった。
天安門近くの百貨商場でポケット版の将棋セットを購入し (マグネットがお粗末で、いつも駒の管理に泣かされた)、まずは大連に留学しているという日本人のにいちゃんに駒の動きを教わる。
ルールは日本の将棋と、チェスをごちゃ混ぜにしたような感じ、とでも言えようか。
将棋版の中央には川が流れて領土を敵味方に二分しているのが特徴的である。
駒には象、大砲などがあり、いかにも中国の戦争ゲームだ。
中国の道端では実によくこの将棋のバトルが行われており、僕はいつの日かあれに飛び入り参加したいものだといつも指を咥えて見物していたのであった。
北京の記憶として真っ先に思い出すのは、旅人たちが眠りにつき比較的静かになった夜のフロント前で、従業員の誰彼となく 「西瓜食べよう」 と誘い、毎晩赤子の手をひねるようにコテンパンに負かされていたこの中国将棋の記憶である。
後日、僕は中国各地でじいさま達を相手に、野次馬の応援とおせっかいな指導を受けながらストリートファイトを繰り広げる事になる。