#37 北京入城 | かふぇ・あんちょび

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このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

 北京には鉄道で到着した訳だが、これがまた大都会である。
その後にもだんだんと強化されてゆくこの街の印象を簡潔に表現するならば、

 でかくて、広い

これは僕の持つ東京の印象にも通じる。
田舎育ちの僕にとって、広い所に人がうじゃうじゃいるという光景はすなわち祭りを意味し、気分が浮いてくると同時になにか落ち着かない。

 そんな祭りの予感を秘めながら駅へと降り立ち、お世話になった夫婦連れと別れて宿へと向かう。
情報は上海で入手済みである。
今度の宿はバックパッカーの溜まり場らしかった。

 バスに乗ってはるばると北京南駅に移動し、その僑園飯店という教わった宿へと歩いた。

 まるで古びた公団住宅といった外観の宿の前には、掘っ立て小屋のような食堂がずらりと並び、歩道に置かれたテーブルにものすごい数のガイジン達がたむろしている。

その光景は、上海以来まともな会話をしていない僕にとって小躍りしたくなるくらい嬉しく頼もしく見えた。
上海を離れてたかだか半月といったところなのだが。

 喜び勇んで宿へと入るが、外観ばかりか中身までもがまるで団地のようで、しかもやけに荒れ果てている。
営業して旅行者を泊めているのは3階部分のみらしい。

 1995年7月当時、僑園飯店は高級ホテルへと改装工事の途中であった。
したがって、これから述べるようなバックパッカー達の溜まり場的光景は現在もはや存在していない。
そして、僕が到着したのはまさにその歴史の終末期であり、宿のいいかげんさは最高潮に達し、いささか大仰に言えばロウソクの最後の煌きにも似た素晴らしい瞬間に立ち会えたとも思えるのである。

 僕はこの僑園飯店のスシ詰めドミトリーでさまざまな素晴らしい旅人と出会った。
彼らの自由な旅の仕方には大いに教えられ、実際に僕の数年後の旅先を密かに決定さえもした。
中には10年後の今でも文通の続く人物さえある。

 ともかくこうして、水道さえ止まった状態の、果たして正規に営業許可の下りているのかも疑問の安宿で、僕の北京生活は幕を開ける訳であった。
ちなみに宿泊料は、1ベッド20元(220円)。