本日の新青梅街道側の黒目川出水口。昨日だったかは雨が降り出したので判然としなかったのですが、今日は午後は晴天、水位が下がったからこそ見えるようになったということなのか、こんなにひっきりなしに波紋が上がってきているのは…そんなことってありでしょうか??

 

そして、わずか10mぐらい下流なだけですが、普通の小川に。この間も川床の底下から湧き上がってきているはず。

 

 

動画のリンクの仕方がやっとわかったので、遡って順次上げていきます。撮った順序はこの逆で、黒目川の橋下を見てこれは動画でないとわからないと気づき、下流から遡っています。

 

一日だけ仕事で行けなかった26日のうちに流れ出したようで、7月27日朝には滔々たる?渾々と涌き出る?流れとなっていたことに気づいたのが南の橋に着いた時点。

 

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/jeLVVpEjHCc

 

 

https://youtu.be/BPy8rxE0L3o

 

 

https://youtu.be/nYnTf3lkuH0

 

 

https://youtu.be/me5W8IVNzho

 

 

 

 

 

 

 

流れ復活と喜んで初めて新青梅を渡って見た。大水量に驚き、間抜けにもここで初めて、台風や洪水があった後でもなし、こんな水量が昨日や今日急に生まれるはずはないので、もっと前から新青梅の北側は流れていたはず、と気づく。

 

 

 

 

滝山図書館でお尋ねしたところ、司書の方が以下調べてくれました。

・小平霊園造営前は野うさぎも遊ぶ起伏に富んだ雑木林だったとのこと。(「たまら・び」79号、2013。霊園関係者へのインタビュー?霊園の記録から?のようとのこと)

・『東久留米市史(誌?)』に、「霊園のできる前は常に涌いていた」との記述あり。霊園造営以前の宅地開発時代に、「滝山台地」と呼ばれていたこの一帯の平坦化が進んだ。

・霊園造営前後のことは、小平市の図書館に資料があるかもしれない。当時の市内各地の写真がサイトで公開されている。

 ※東久留米は一番郷土資料の多い中央図書館が現在改装中で閉館(2021-03まで)のため、これ以上調べられない。

 

※自分で調べた館内の郷土資料中(「毎年(旧暦か?)年末には枯れるので「「年知らず」の水(だったか、川だったか、泉だったかど忘れ)」と称されていた」とあって、以前は常に湧き続けていたという話と矛盾するのは、毎年冬にだけ枯れていたということなら辻褄が合うが…??

 

 

小平図書館

『小平市史 地理・考古・民俗編』p28~33   下の図はp30~31

武蔵野砂礫層の上に乗る関東ローム層の最も薄いのが「ぐみ層」(東大和市駅付近からほぼ真東へ延びる)〜「小川の窪」〜ここから北東へ向かい、「さいかち窪」を経て黒目川へ。黒目川の源流は東大和市駅付近の「ぐみ層」地下水脈から!

 

資料室の司書の方の話とも合わせて、『小平霊園50周年』記念誌に開設当時?の職員の回想p74にある、霊園の排水路がさいかち窪に注ぎ込んでいる旨の記述は勘違いと思われる。クヌギ、コナラ、イヌシデなどの樹林と林全体がヤブランの群落で花穂

p23「昭和40年頃まではかなりの推量の清流が見られたが、最近は殆ど涸れ、大雨の後にわずかな流れ」「平成3年の夏から秋にかけての長雨で地下水位上昇、9月中旬から2ヶ月半にわたってこんこんと流れる清流(20年振りの復活と近隣住民を驚かせた。)」この頃「流れ」についての問い合わせが増えたとのこと。「その後1993年(平成5年)の9月、1998年(平成10年)9月と二回復活」。

p70「園内は起伏に富んでおり、雑木で姿が見えなくなったり、起伏で先が見えなくなって、時々野うさぎが目の前を横切ることも」、これが出典の模様。

武蔵野台地調査隊」ブログ サイカチ窪も追いかけておられます。今年の7/26の出水日を押さえておられました。

 

 

さいかち窪 出水続報 2019.10.19 中より引用。

 

「源流のオオカミ窪は既にアスファルトに覆われていますが、更に上流側の萩山公園方面で浸透した地下水が集まって流れてきているのではないでしょうか。地下の水みちはまだ生きているのかもしれません。」 → 『小平市史』によれば、地下水みちが生きているのはその通りで、しかし、オオカミ窪はそれより西へは繋がっていないようでした。

 

 

https://ameblo.jp/taiyo1964k/entry-12537716739.html

 

 

 

https://ameblo.jp/taiyo1964k/entry-12540206569.html