太宰治...本名:津島修治♪ | みたか 鷹場そば

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晩年を過ごし、数々の名作を残した三鷹

 

三鷹は太宰が1939年から没するまでの晩年を過ごした地です。

この年、敬愛する作家の井伏鱒二の紹介で、

最後まで連れ添うこととなる石原美知子と結婚式を挙げ、

三鷹に転居しました。

この時、太宰は井伏に提出した「結婚誓約書」のなかで、

「再び破婚を繰り返した時には

 私を完全の狂人として棄てて下さい」と書き、

過去の複数に渡る自殺未遂から立ち直り、

美知子を一生かけて守っていくとする決意を語っています。

精神的にも安定し3人の子どもにも恵まれ、

『富嶽百景』『駆け込み訴へ』『走れメロス』などの

優れた短編を発表。

死の前年には、没落華族を描いた『斜陽』が評判を呼び、

ついに流行作家の地位を手に入れます。

しかしその翌年、『桜桃』『人間失格』などを書きあげたのち、

1948年6月13日に玉川上水で愛人の山崎富栄と入水自殺。

2人の遺体は6日後の6月19日、

奇しくも太宰の誕生日に発見されることになるのです。

三鷹の街中には、太宰ゆかりの場所が数多く残されています。

まずは、太宰治文学サロンへ。

三鷹下連雀に住んだ太宰の足跡を、

写真や地図などを使ってわかりやすく展示しています。

数少ない太宰が生きた当時のままの姿で残されている場所が、

駅から程近い陸橋と呼ばれる三鷹電車庫の跨線橋です。

太宰はこの陸橋を好み、ここで撮られたマント姿の写真が有名。

また、太宰が住んだ家から移植された

百日紅(さるすべり)の木がある

井心亭(せいしんてい)も訪れたいスポット。

建物は木造数奇屋造りの純和風建築で、

庭の百日紅は8月頃にピンク色の美しい花を咲かせます。

墓がある禅林寺、『日の出前』『黄村先生言行録』『ヴィヨンの妻』など

多くの作品の舞台となった

井の頭公園もぜひ足を運びたい場所です。

太宰横丁と呼ばれる行きつけだった飲食街

、原稿料を受け取った郵便局などは、

今も当時と同じところにあります。

これらは、三鷹駅を中心に徒歩で2時間程度。

時季は梅雨ですが、ゆかりの場所を巡りながら、

太宰の生きた当時の雰囲気に

思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
黒々とひとは雨具を桜桃忌 石川桂郎

 

《みたか de ひとナスの思い出 そば》

 林寺より当店まで徒歩で約10分

さくらんぼ takabasoba.com さくらんぼ

 
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