い(1)い(1)ふ(2)ろ(6)の日♪いい湯だな...アハハン♪ | みたか 鷹場そば

みたか 鷹場そば

蕎麦鑑定士1級&野菜ソムリエ&唎酒師のいる            石臼で挽きたて打ちたて茹でたての蕎麦屋          
純水仕込つゆ みたか野菜と卵                

日本人はお風呂好き...♡

日本人のお風呂好きは世界的に有名で、

昔から清潔な国民と言われております。

これは日本の気候風土によるところが大きく、

すなわち、日本はアジア・モンスーン地帯の亜熱帯地域にあり、

周囲を海で囲まれ、温暖・湿潤な気候のため、

水浴・温浴が好まれたとも言われております。


 

お風呂に関する豆知識

◆ゆあみ

"ゆあみ"(湯浴み)とは、河の水であれ、

海の水であれ、湯水であれ、

それを用いて身体や髪を洗い、清めること、

つまり沐浴(もくよく)です。
"ゆあみ"の「ゆ」とは、清らかなもの、

けがれがないという意味があり、

「あみ」は、浴びるという意味である。

"ゆあみ"とは、元来は水浴のことで、

沸かした水で身体を洗うことは、

文化の発達した時代になってからであり、

裕福な人達でなければできませんでした。

 

◆風呂の語源

私達は入浴することを"風呂に入る"と表現します。

しかし"風呂"と言う言葉は、本来、蒸し風呂を意味していました。
蒸し風呂は、蒸気を浴びて身体の汚れをふやかし、

こすりだした後、湯で流すという仕組みの為、

蒸気を逃がさない狭い部屋(室)にこもります。

そのため室(ムロ)から派生して風呂(フロ)の語源が

生まれたとも言われています。
一方、私達が日頃行っている入浴スタイルは、

江戸時代中期以降(約270年前)確立されたもので

"風呂"に対し"湯"と呼ばれていました。
"湯"とは、本来、身体にかけるもの(=行水という行為)から、

全身で浸かるものに変化し、時代を経るに従い、

蒸し風呂が日常生活で見られなくなり、

"風呂"と"湯"は混同して用いられるようになりました。

 

◆銭湯

1584年(天正14年)四肢浴のために

銭を取って入浴させたのが始まりです。

入浴が実質的に庶民化したのは

1665年(寛文5年)頃から1703年(元禄16年)で、

庶民の娯楽場として栄えました。

 

◆湯船

水上生活者や東京・江戸川地区のように、

水路に取り囲まれた居住区の銭湯のない場所で

船に浴室を設けて巡回営業した移動浴舟から

"湯舟"の語源が生まれたと言われています。

 

◆五右衛門風呂

1595年(文禄4年)大盗人の石川五右衛門が

手下とともに捕らえられ、見せしめとして、

残酷な釜ゆでの刑に処せられた

という説話にもとづく名の風呂です。


お風呂の名脇役

◆浴衣(ゆかた)

本来、入浴する際は着物を着て入浴していました。

この着物を湯帷子(ゆかたびら)と言います。

江戸中期頃から裸で入浴するようになると、

湯帷子は次第に夏の着物"浴衣(ゆかた)"となり、

入浴後の外出着となりました。

 

◆風呂敷(ふろしき)

風呂敷は、本来、物を包むための布で

「平包み(ひらづつみ)」と呼ばれていましたが、

風呂の着替え時の敷物にしたり、

脱いだ衣類を包むなどの用途が加わった

江戸時代に"風呂敷(ふろしき)"の語源が

生まれたと言われています。

 

◆入浴剤

1897年(明治30年)、婦人薬の飲用漢方薬「中将湯」を

風呂の湯に溶かす浴用タイプを製造発売し、

『浴用中将湯』と名付けられました。

開発秘話
漢方の花─順天堂実記より
漢方薬「中将湯」を精製する課程で、

品質に不適合とされた原料(刻み生薬)を

ある社員が自宅に持ち帰り、

試しにお風呂に用いたら、

夏場は子供のあせもが消えるし、

冬場は温泉に浸かったように、

身体がよく温まり、実に好都合であった。
このうわさが日本橋や目黒界隈の銭湯経営者の耳に入り

次から次へと、評判を聞いて津村順天堂に

やって来たことから浴剤の開発に乗り出した。

 温泉露天風呂と猿 みたか 鷹場そば 秋momiji☆☆ おんせん。。温泉

そばの!ソバで!♪( ´▽`)
 
いつもあなたのそばに!(*^^)v

  嬉しぃ!楽しぃ!本当に!感謝!感激!(^^♪

   心を込めて、今日もご覧頂きありがとうございます!