関東大震災の教訓を忘れない... | みたか 鷹場そば

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三鷹市役所前 挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

9/1の『防災の日』は、

 

1923年(大正12年)のこの日に起きた

 

「関東大震災の教訓を忘れない!」という意味と、

 

この時期に多い台風への心構えの意味も含めて

 

1960年(昭和35年)に制定されたものです。

 

暦の上では立春から数えて210日目を

 

特に「二百十日」と呼びます。

 

ちょうど稲の開花期に台風が来たり、

 

強風が吹き荒れることに

 

注意を促したしきたりと言えます。

 

 

実は、山下公園が関東大震災の復興事業のひとつとして

 

瓦礫を埋め立てて造成されたことはご存知でしょうか?

 

山下公園といえば横浜の観光の中心、

 

横浜の「顔」と言ってよいでしょう。

 

「公園」としてだけではなく、

 

「観光地」として知らない人は

 

いないと言ってもいいでしょう。

 

大桟橋の入口から山下埠頭までの

 

およそ1キロメートルの長さで海岸に面しており、

 

面積は約7万平方メートルを有します。

 

中華街、元町、山手など、

 

これもまた横浜の有名な観光スポットにも近く、

 

そういった意味でもまさに

 

横浜の観光の拠点となる公園です。

 


1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は、

 

横浜の市街、横浜港にも壊滅的な被害をもたらしましたが、

 

1925年(大正14年)に横浜市長に就任した有吉忠一氏によって

 

復興事業が強力に推し進められたという。

 

道路の整備、河川運河の整備、橋梁の整備、

 

学校・病院の新設・改築と並んで、

 

公園事業もまた復興事業の急務とされ、

 

神奈川公園、野毛山公園、横浜公園、山下公園

 

の四公園がこの時に整備されました。



震災被害の瓦礫や焼土を

 

埋め立てて造成された山下公園は、

 

日本で最初の臨海公園として

 

1930年(昭和5年)に開園しましたが、

 

それはまさに震災からの復興を象徴していたと言えるでしょう。

 

 

三鷹市役所前 挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

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