こんばんは。
今日は「あなたは神」であるということを物語でお話してみます。
あなたは神
ずっと昔、ある村に「黄金の仏陀」と呼ばれる寺院がありました。
そこには巨大な黄金の仏像がありました。
ある日、寺院がある村に隣国から敵が侵略してくるという知らせが入りました。
村の人々は黄金の仏陀が敵に見つからように隠すための策として、泥やコンクリート、石や木などで覆い、黄金の仏陀を単なる石の仏像にみせようとしました。
そうすれば、敵の軍隊から見て、価値がないように見えるからです。
そして、敵の軍隊がやってきました。
彼らは大きな石の仏像を見つけましたが、価値がないと思ったため壊しませんでした。
敵の軍隊は侵略を続け、何十年もの月日が経ち寺院や村には石の仏像が本当は黄金の仏像だったことを覚えている人は誰もいなくなりました。
あるとき、新しくやってきた僧侶が石の仏像のもとで瞑想をしていると、何かの破片が落ちてくることに気がつきました。
彼が目を開けると、石の仏像を覆っていたコンクリートが剥がれ落ち、何かが光るのを見つけました。
よく見てみると、それは黄金でした。
僧侶は仲間の僧侶たちのもとに行き、「あの仏像は黄金でできている!」と叫びました。
皆が石の仏像の周りに集まり、石やコンクリートを取り除くと中から黄金の仏陀が現れ始めたのでした。
おしまい。
このお話が伝えたかったこと......
それは、私たち一人ひとりが生まれつき輝くような黄金やダイヤモンドのような存在だったということです。
私たちはみな、愛そのものであり、生まれながらにして真実を知り、至福や喜びとつながっている存在。
仏陀やキリストをはじめとする、偉大なスピリチュアルな師が知ることは全て知っていて、そうした存在とひとつであったのです。
そう、神、だったのです。
それにもかかわらず、多くの人は生まれてからしばらくすると自分を制限のある身体そのものだと思い込みはじめ、輝くような本当の自分を忘れてしまいました。
ある人は、自分が輝いてしまったら誰かから攻撃されたり、嫉妬されたり、邪魔されたり、批判されたりすると思い、自分を小さく見せること、つまり石の仏像を装うことで安心しようと思いました。そうしているうちに本当の自分を自分までもが忘れるようになってしまいました。
一度本当の自己を忘れた後は、石やコンクリートが黄金を何層にも覆ったように、どんどん自分の周りをネガティブな自己概念で覆っていき、すっかり本当の自分が「神」であったことを忘れてしまいました。
それどころか、自分のことを制限だらけのとてもちっぽけな存在だと思いはじめました。
しかし、ある時、コンクリートが剥がれ落ちて黄金がチラリと見えたように......
それは多くの場合、起きてはほしくないようなことが起こった時、こんな人生ではなかったはずなのにと思った時、本当の自分に気づき旅が始まり、本当の自分に目覚めるのです。
(自我でうまくいっている時は本当の自己もスピリットもいらない!ってなっていますもんね。自分でできるもん!って。)
人生がうまくいかないというのは、私たちが思ってきたこととは真逆で、本当は、本当の自分、つまり「自分は神」に気がつくための最短距離の場所にいるんですね。
そう考えると、困難を与えてくれた人にも感謝ですね。(厳密に言えば、自らがそうセッティングしたんですけどね)
一度、光が見えたのなら、後はコンクリートや石を取り除いていくことだけです。
自分だと思ってきた小さい自己をなんとかするために生きるのではなく、神であるあなたを思い出し、それを楽しんで思い切り生きたいですね!
(Special thanks to Alan Cohen)